〝原爆の父〟と称される天才物理学者の半生を描いた「オッペンハイマー」。第二次世界大戦末期、広島、長崎に投下された原爆開発の舞台裏と天才科学者の葛藤を、壮大なスケールで映像化。日本公開までに曲折を経た一方、アカデミー賞では作品賞、監督賞、主演男優賞など7部門を制覇。賛否渦巻く問題作を、ひとシネマが独自の視点で徹底解剖します。
2024.5.01
「オッペンハイマー」〝今までの世界〟には戻れなくなる「主観的な経験」
「善良な」人たちから
この映画はある真実を教えようとする。
今ぼくたちがどこにいるのか。
どこか遠くにさえ感じる「歴史的事実」は、ぼくたちと同じ「善良な」人たちからつくられた。その真実に迫るのは世界中の誰にとっても勇気のいることだ。
「バーベンハイマー」炎上により、日本での公開が遅れた。映画本編よりも、米アカデミー賞授賞式の中継で、賞を総ナメにしている様子を先に見ることになった「オッペンハイマー」。フィルムにこだわりのあるクリストファー・ノーラン。どんなにひきこまれるだろうと期待して見た。
翌朝、別の感情が芽生えてきた
不思議な映画だった。話題になっている通り、実際の投下シーンはなく、また伝記物のようで密室の裁判サスペンスがつづく。どこに気持ちをあわせればいいのか、肩すかしを食らった気分で見終えた。
・・・・・・翌朝、別の感情が芽生えてきた。自分はロスアラモスのことを知らなかった。冷徹かつ粛々と軍と科学者が原爆を作った。そこには寸分の乱れも迷いもない、そんなイメージだった。
でも実際そこにいたのは実に人間らしい人間だった。家族もいっしょに砂漠の真ん中につくられた街に住み、風の強い庭には洗濯のシーツが干してあった。泣いたり笑ったり憎んだり妬んだり、男と女、子どもたちがいた。ロスアラモスにいたのも人間だったのだ。
マシンのような「組織」が原爆をつくったのではない。数式に音楽を感じるような、繊細で人へのやさしさと義俠心(ぎきょうしん)と迷いを持ち合わせ、最高の知性と努力と勇気を持ってプロジェクトの成功に取り組んだ人々。
同じ人間が22万人をあやめる
ぼくたちと同じ人間。ぼくたちとわかりあえる、尊敬しあえるはずの人間。笑いも涙もある同じ人間が、エクスキューズを探した上で、22万人をあやめる。原爆投下の本質はそうなのだ、と気づく。
明るく勇敢で人情深い女性たちも多くあのプロジェクトにかかわっていたことを印象づけるビジュアルとサウンドが、一晩たって「自分自身の」忘れられない記憶のように〝よみがえらせ〟るのだ・・・・・・。
つくりあげたからにはつかう
彼らが手にして〝しまった〟のはプロメテウスの火。いつか自らを焼く可能性を十分にはらんだ炎。どれだけ心が痛もうが、葛藤があろうが、人はとめられない。お金をかけたからにはつくりあげる、つくりあげたからにはつかう。ドイツ降伏の報が入っても、日本の敗北が濃厚となっても。
標的を決める会議で「京都はやめよう。あそこはあまりにも素晴らしい街だ。新婚旅行でも行った」というセリフ。日本文化のよさを知りながら投下を決定する人たちもまた明るく〝善良〟な、ぼくらと同じ人間。
ノーラン監督からの挑戦
投下シーンはない。ぼくは意図をこう解釈した。「そのシーンを想像してみなさい。想像するのはあなたの義務だ」というノーラン監督からの挑戦。たいせつなのは、自らが主観的に創り上げる「想像力」。
はるか海の向こうから科学の粋を集めた新型兵器を「美しい街のある国」に送り込むときに〝悪気なく〟一瞬ミュートされてしまう「想像力」。
「なんでも与えられると思ってたらこうなるよ。自らの想像力を手にたたかえ」。きっとそんなメッセージ。
苦しい大きな一歩
子どもの頃から被爆の実態を教えられる日本人にとっては足りないと感じる側面があるが、彼らにとっては原爆投下を「よし」と描かないだけでも苦しい大きな一歩なのだろう。オッペンハイマーの苦しみは米国民の苦しみであり、この映画は、やっとそこにむきあう一歩のための「想像力」を試す投げかけなのだ。
記憶そのものになる
IMAXで人物接写を多用するぜいたくさと新しさ。主観的であることに徹底するからこそ、自分のこととして追体験する、自らの記憶そのものになる。
この〝経験〟をしてしまうと、もう〝今までの世界〟には戻れないことに気づく。どこか悠長に暮らしてきた日々。でもこの平穏な毎日は、映画の中で〝主観的に経験した〟あのオッペンハイマーの葛藤と実験成功の歓声の日々に地続きなのだ。