2024年を代表する映画、俳優を選ぶ「第79回毎日映画コンクール」。時代に合わせて選考方法や賞をリニューアルし、新たな一歩を踏み出します。選考経過から受賞者インタビューまで、ひとシネマがお伝えします。
「悪は存在しない」の上映劇場の前で、(左から)濱口竜介監督、音楽の石橋英子、主演の大美賀均=提供写真
2025.2.08
映画に音楽は不要?「観客の気持ちをコントロールしたくない」石橋英子 毎日映画コンクール音楽賞「悪は存在しない」
「ドライブ・マイ・カー」で音楽を担当した縁で、自身のライブ用の映像製作を濱口竜介監督に依頼した。当人も濱口も、当初は映画になるとは予想もしていなかった。「好きな映画音楽について話していたら、ジャン・リュック・ゴダール監督が話題になったんです。音楽家の私も憧れだったし、濱口さんも音楽の使い方に興味があると」
「何回見ても飽きない映像を」濱口監督に依頼
音楽ライブで映像を流すパフォーマンスは珍しくないが、抽象的なものが多く、そちらに興味はなかったという。「濱口さんの作品はセリフ中心のようですが、東日本大震災のドキュメンタリー3部作では時間の使い方とか、被災者の話を聞いているだけで情景が立ち上がって、音楽がないのに音楽的だと感じたんです。ツアーに映像を連れて行って、何回見ても見飽きないような、お話のある方がいいだろうと依頼しました」
濱口とやりとりする間にいくつか案ももらったが、「いつもの映画を撮るように作った方が、面白いかもしれませんと提案しました。脚本が上がる前から、濵口さんだったら絶対面白いものになると思っていました」。
石橋が拠点を構えている長野・山梨県境での取材を基に脚本が書かれ、撮影も無事終了。「撮影が終わった日に、濱口さんがすごく充実して晴れ晴れとした顔をしていて、これはなんかあるかもとは思っていました。そしたら後から、映画も作っていいですかと。もちろん、すごくうれしいですと答えました」
「悪は存在しない」©2023NEOPA Fictive
言葉にしていない怒りを感じた
かくして同じ映像素材から、映画「悪は存在しない」とパフォーマンス用映像の「GIFT」の2本が生まれることになる。編集は同時進行で進んだが、音楽は映画の方を先に作ることになった。
映画の冒頭、真上に向けられたカメラが、林の中を移動してゆく場面をはじめ、映画のテーマとなる弦楽器の音楽が繰り返し流される。「はじめにテーマの音楽を作ってほしいと、木のシークエンスを見たように思います。脚本や映像から、濱口さんが言葉にしていない怒りみたいなものを感じ取ることができた。その気持ちから、ストリングスのスコアを書き上げました」
映画音楽の仕事は初めてではないが、濱口との仕事では「自由に作らせてもらった」という。「濱口さんは音楽の使い方をよく考え、知っている。私は思いついたものを大量に渡して、どう使うかは濱口さんが決めるという作業です。自分には合っていた気がします」。製作に取りかかるまでに時間をかけて意見を交換したことも、恵まれていた。「音楽を言葉に変換するのは非常に難しい。イメージをすり合わせるには時間が必要です。日本の商業映画ではその時間があまりないと実感していますが、今回はゆっくりイメージを育てることができました」
毎回驚きがあるのが楽しい
映画が大好きというが、実は「映画に音楽は基本的に必要ないと思っています」と意外な言葉。映画の中の現実には、音楽は存在しないはずだという。「なぜ音楽を付けるのか、どういう役割をするか、厳密に考えないといけない。そうでないと、お客さんの気持ちをコントロールすることになりかねない。音楽にはそういう危険性があると思う」。目指すのは「観客がいつまでも映画を好きでいたり、その作品について考えるよすが」だ。
一方「GIFT」は、「ドライブ・マイ・カー」を編集した山崎梓が脚本を読まずに素材をつないだ映像が基になっている。「悪は存在しない」の音楽に集中して取りかかったあとだけに「満足して、もういいかなと思ってしまった」と笑う。しかしもちろん、予定通りの初演に臨んだ。セリフはなく、物語性は希薄だ。石橋は「GIFT」を上映しながら、毎回即興で演奏するパフォーマンスを行ってきた。「もう何度も見ていますが、今でもここにこのシーンが来るんだっけ、みたいな瞬間が何回もある。その驚きとともに演奏も変わっていくのが、ものすごく楽しい」
「GIFT」にも通底するものが流れている
二つの作品は、濱口が「二卵性双生児」という関係だ。石橋にとっても、二つの作品の音楽は「別物だけどつながっている」という。「『悪は存在しない』が神話的な物語なのに対して、『GIFT』は、私自身にもお客さんにも、原始的な感覚を喚起するようなところがあると思います。二つの作品には通底する、つながる感情がある。『GIFT』に違う音楽を付けようという考えもありましたが、二つを無理に切り離さないで、映画のために作った音楽を『GIFT』のライブでも使っています。でもこれから10年ぐらい続けているうちに、変わっていくのかもしれません」
濱口との出会いが、音楽家としても刺激になったと振り返る。「音楽を作る中で、1人では行き詰まることもあるんです。濱口さんのような素晴らしい表現者、アーティストの映像に助けられ、喚起されて音楽を作れました。濱口さんの映画は、自分の音楽に対する考えとか、成長に影響していると思います」