「ラーゲリより愛を込めて」 ©2022 映画「ラーゲリより愛を込めて」製作委員会 ©1989清水香子

「ラーゲリより愛を込めて」 ©2022 映画「ラーゲリより愛を込めて」製作委員会 ©1989清水香子

2022.12.14

インタビュー:二宮和也×瀬々敬久監督「ラーゲリより愛を込めて」忘れられた歴史に光を

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鈴木隆

鈴木隆

第二次世界大戦後の1945年。シベリアの強制収容所(ラーゲリ)に不当に抑留された日本人と日本で待つ家族を描いた映画「ラーゲリより愛を込めて」(毎日新聞社など製作委員会)が全国で大ヒット上映中だ。死と隣り合わせの絶望的な状況下で、生きる希望を唱え仲間を励まし続けた実在の人物、山本幡男さんを演じた二宮和也さんと瀬々敬久監督がインタビューに応え、撮影現場の様子や本作への思いを語ってくれた。
 

シベリア抑留、縁感じて

瀬々監督は、映画化の意味について「全体的には愛の物語だが、今もそうだが、国と国が利害関係で争って犠牲になるのは国民。その悲劇を伝えたほうがいいと思った。日本が悪いとかソ連が悪いとか言ってはいない。国と国の争いが苦しむ人たちを生んでいる。今の状況もまさにそうだ」と語る。

二宮さんがオファーを受けて最初に浮かんだのは「縁」という言葉。「祖父がシベリアで抑留生活をしていた。当時のことは話さなかった祖父が、晩年になって何回も話していた。祖父は実際に1949年にシベリアから帰国。出演を断る理由などなかった」。祖父の話は「卑劣な事実に触れた感覚で、よくこんなことができると考えたし、長く続いていたと思うとゾッとする」と口調を強めた。「戦争というより、戦争の後遺症だと思っている」

山本さんについて、瀬々監督は「聖性、セイント性を持っているように見せたかった。ヒーローという意味ではなく、人のためにセイントとして生きた人。すがすがしさと言ったらおかしいかもしれないが、それに近いものを映画に付与したかった。そこがポイントだった」と話す。「山本さんは立派な人か」と尋ねると、「あまり立派とは思わない。どちらかというと変人」と即座に返ってきた。

二宮さんも「みんなに生きようと言っている中で自分も卑しい部分があった。卑しさもどこかで表現できたらと考えていた」。
 

酒うまくならぬよう

撮影に臨むスタンスとして、二宮さんの言い方が面白い。「毎日飲む酒が(撮影中は)うまくならないよう頑張っていた」というのだ。「(俳優は)やりがいを感じて劇的な芝居をしたり、非日常的なことをすると、達成感を感じて、エゴが強くなっていく。毎日酒がうまくなると、明日はもっとぶん回してやろう、大立ち回りしてやろうとかなりやすい。やりがいを感じないように、共演者に頼り切って芝居をさせてもらった」。

瀬々監督が付け加える。「状況もあり、みんな圧迫感の中で演じていたのではないか」。二宮さんがうなずくと「二宮君の笑い方にパターンがあった。本気で笑うことはなく、何かをかみしめながらいろんな感情やパターンが出ていた」。

瀬々監督の言葉に、にこりとする二宮さん。「つらかったり、何もなくても、笑ったら少し気分が楽になることがある。この映画ではいくつもあった」
 

大声の「カット」励み

「瀬々監督から『用意、スタート』より大きな声で『カット』をかけてもらおうと思って芝居をしていた。いい時は『カット』がメチャクチャ大きな声になる」。二宮さんが続ける。「瀬々監督の構想と近い芝居ができたと分かる。ただ、『カット』が小さいときははずれ。毎カットごとに、驚くような芝居はどこに転がっているのか」と考えていた。

「毎カットは無理でも1日5回は」と瀬々監督。

「5回もあったらいい方」と二宮さん。「僕らはかなり芝居が自由にできた。打てば響くような俳優たちばかり。何をやっても大丈夫といういい現場だった」
 
瀬々監督は俳優の提案を受け入れ、役者もそれに呼応して演じた。二宮さんが語る。「芝居を自由にやらせてもらえるから、モチベーションが上がっていく。ただ、できあがりを見ると、あそこの俺がいないとか、このセリフがないとか、合否が出る。合格発表みたい。ほとんどの現場は今、時間がないからそんなことはさせない」。

瀬々監督が理由を明かす。「群像劇は周りの人が大切。横にどんな面構えの人がいるかで変わる」。瀬々監督の俳優を動かすすべの一つだ。
 

忘れられた歴史に光を

映画について、二宮さんは「戦争映画は、(上映中)キャラクターに感情移入できたあたりで戦死したりするけど、この作品は戦争では死なない。死ぬときにキャラクターの閉塞(へいそく)感や密閉感とかが抜けることがあるが、この作品は、帰国を待つ山本の妻役の北川景子さんの場面でやっと『あー』と感じると思います」。

瀬々監督は最後に、今の時代を見据えて語る。「近過去で忘れられようとしている歴史の流れを、もう一回現代によみがえらせバトンタッチしていくことが大切だ」

ラーゲリより愛を込めて

第二次世界大戦後の1945年。そこは零下40度の厳冬の世界・シベリア…。わずかな食料での過酷な労働が続く日々。死に逝く者が続出する地獄の強制収容所(ラーゲリ)に、その男・山本幡男は居た。「生きる希望を捨ててはいけません。帰国(ダモイ)の日は必ずやって来ます。」絶望する抑留者たちに、山本は訴え続けた―
山本はどんな劣悪な環境にあっても分け隔てなく皆を励ました。そんな彼の仲間想いの行動と信念は、凍っていた日本人捕虜たちの心を次第に溶かしていく。山本はいかなる時も日本にいる妻や4人の子どもと一緒に過ごす日々が訪れることを信じていた。
終戦から8年が経ち、山本に妻からの葉書が届く。厳しい検閲をくぐり抜けたその葉書には「あなたの帰りを待っています」と。たった一人で子どもたちを育てている妻を想い、山本は涙を流さずにはいられなかった。誰もがダモイの日が近づいていると感じていたが、その頃には、彼の体は病魔に侵されてい

ライター
鈴木隆

鈴木隆

すずき・たかし 1957年神奈川県生まれ。書店勤務、雑誌記者、経済紙記者を経て90年に毎日新聞入社。千葉支局、中部本社経済部などの後、学芸部で映画を担当。現在は毎日映画コンクールに携わる。著書に俳優、原田美枝子さんの聞き書き「俳優 原田美枝子ー映画に生きて生かされて」。

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