「ちひろさん」の一場面 ©2023 Asmik Ace, Inc. ©安田弘之(秋田書店)2014

「ちひろさん」の一場面 ©2023 Asmik Ace, Inc. ©安田弘之(秋田書店)2014

2023.2.27

有村架純が風来坊のヒロインを演じる「ちひろさん」:オンラインの森

いつでもどこでも映画が見られる動画配信サービス。便利だけれど、あまりにも作品数が多すぎて、どれを見たらいいか迷うばかり。目利きの映画ライターが、実り豊かな森の中からお薦めの作品をお選びします。案内人は、須永貴子、村山章、大野友嘉子の3人です。

ひとしねま

須永貴子

2021年1月に公開されて大ヒットした恋愛映画「花束みたいな恋をした」の絹役以降、「コントが始まる」(日本テレビ)の里穂子、「石子と羽男-そんなコトで訴えます?-」(TBS)のパラリーガル・石子(こと石田硝子)、現在放送中のNHK大河ドラマ「どうする家康」の瀬名と、有村架純が演じる人物がのべつ幕なしに魅力的で、無双状態にある。
 
彼女がタイトルロールを演じるNetflix映画「ちひろさん」もまた例外ではない。人を魅了する風来坊だが恋には落ちない〝逆・寅さん〟のような主人公を、深みと軽さを両立しながら、実に人間味豊かに演じきっている。
 


周囲の人たちにとって大きな存在の主人公・ちひろ

 舞台は海辺の小さな町。人の出入りがそれほどないこの町に流れ着いたちひろは、亀のマークの弁当屋さん「のこのこ弁当」の店番として働いている。彼女が過去に風俗店で働いていたことは、本人の口から周知済み。
 
ちひろは、少年たちにいじめられていたホームレスのおじさん(鈴木慶一)を助け、お弁当を食べさせ、自宅のお風呂にも入れてあげる。ちひろの隠れファンともいえる女子高生のオカジ(豊嶋花)は、学校でも家庭でも群れからはぐれることが怖くて本音を言えずにいた。
 
そんなオカジはちひろを通して、母親(佐久間由衣)と2人暮らしで寂しさを抱える9歳のマコト(嶋田鉄太)や、不登校の女子高生べっちん(長澤樹)と交流し、学校と家族以外に自分の居場所を見つけていく。〝大人なのにちょっとヘン〟なちひろは、大通りで一糸乱れぬ行進に行き先もわからず参加させられている若い彼らにとって、脇道の存在を教えてくれる存在なのだ。
 
一方、ちひろの過去に何があったのか、彼女がその時々で何をっているのかは、明確には語られない。ちひろの背中には誰かに刺された傷がある。ちひろという通り名は、少女の頃に出会ったチヒロ(市川実和子)という女性にちなんだものらしい。弟からの電話で母親の死を知らされても、ちひろは葬式には行かないと言う。
 
「のこのこ弁当」の店主(平田満)の入院中の妻・多恵(風吹ジュン)の前でだけ、ちひろはなぜか本名の「綾」を名乗っている。父親との関係が今の人生に暗い影を落としている青年・谷口(若葉竜也)から「本気で死にたくなったことあります?」と聞かれ、ちひろは「あるよ」と返答する。
 
家から出てこないちひろを心配して、オカジとマコトがお見舞いに来るシーンでは、彼女が落ち込んでいる理由がはっきりとは語られないからこそ、「あるよねそういう日も」と共感できるのだ。
 

有村架純がちひろという難役を成立できた理由

 つくづく、ちひろという人物像が興味深い。ホームレスのおじさんをお風呂に入れてあげたり、カモメの死骸を埋葬したりと、他者に対して愛情深いのに、絶対的な心の境界線を持っている。すべての生と死から目をそむけない彼女は、マザーテレサのような、なのに死の天使のような、特別な人物だ。
 
しかし、有村はちひろを演じるにあたって、特別な人ではなく、29歳の女性としてアプローチする。過去の経験から人の痛みがわかるからこそ、自分の心の安寧のために他者に執着せず、自分に必要な孤独の領域を大切にして生きている。そんなちひろに対するある人物の、「あなたならどこにいたって孤独を手放さずにいられるわ」という言葉は、最大級の賛辞でありエールだろう。
 
劇中で、有村演じるちひろが、漫画原作特有の「名台詞(せりふ)」を言うシーンがいくつかある。強い台詞は一歩間違えると言葉だけが悪目立ちしてしまうが、有村は観客や視聴者に向けてキメるのではなく、ちひろの目の前にいるキャラクターだけに向けて、気持ちを込めて言葉を届ける。
 
彼女が演じる人物が魅力的な理由は、観客にどう見られるかを気にせず、こうして目の前の人物に気持ちを集中しているからだろう。だから観客は有村の目の前にいるキャラクターへの羨望(せんぼう)から、「私もちひろさんに会いたい」「(パラリーガルの)石子に問題を解決してほしい!」とふと願ってしまうのだ。
 

恋愛映画の名手、今泉力哉監督の新境地。

今泉力哉監督は「愛がなんだ」、「街の上で」「窓辺にて」など、恋愛映画の名手として定評があるが、その神髄は群像劇の巧みさにあり。恋愛映画は、主人公の恋愛描写のために脇役が都合よく利用されるケースが多々あるが、今泉作品では、主人公が関わる人々すべてが、それぞれの人生の主役として存在しているのだ。
 
本作も、心の空虚さ(スペース)を抱えているからこそ寛容で、恋愛から距離を取っている〝ちひろさん〟を媒介にした群像劇だ。それぞれに悩みや問題を抱える人たちが、どうやったらその人らしく他者とつながれるのかを探り、そのヒントを提示した。この作品からは、社会に対する問題意識も確かに伝わってくる。恋愛映画の名手として名高い今泉力哉監督が、恋愛がメインテーマではない本作で新境地を開拓した。
 
「ちひろさん」はNetflixにて独占配信中


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ライター
ひとしねま

須永貴子

すなが・たかこ ライター。映画やドラマ、TVバラエティーをメインの領域に、インタビューや作品レビューを執筆。仕事以外で好きなものは、食、酒、旅、犬。

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