「夜明けまでバス停で」

「夜明けまでバス停で」©2022「夜明けまでバス停で」製作委員会

2022.10.07

この1本:「夜明けまでバス停で」 路上から直球の怒りを

毎週公開される新作映画、どれを見るべきか? 見ざるべきか? 毎日新聞に執筆する記者、ライターが一刀両断。褒めてばかりではありません。時には愛あるダメ出しも。複数の筆者が、それぞれの視点から鋭く評します。筆者は、勝田友巳(勝)、高橋諭治(諭)、細谷美香(細)、鈴木隆(鈴)、山口久美子(久)、倉田陶子(倉)、渡辺浩(渡)、木村光則(光)、屋代尚則(屋)、坂本高志(坂)。

新型コロナウイルスの猛威は、社会に潜在していたさまざまなひずみをあぶり出した。高橋伴明監督はあらわになった日本の問題の総ざらえにとどまらず、ここに至る現代史の道筋までも振り返る。これでいいのかという真っすぐな怒りにユーモアもまぶし、ベテランの余裕を感じさせる直球の社会派映画。

居酒屋のアルバイトをしていた三知子(板谷由夏)は、緊急事態宣言が出ると一方的に解雇された。寮を追い出され、住み込みで働くはずだった介護施設も採用を見送り。折り合いの悪い実家にも帰れず、行き場を失って路上生活者となってしまう。行き倒れそうになったところを、公園のテントで生活するバクダン(柄本明)らに助けられた。

2020年に路上生活者の女性がバス停で殴られ死亡した事件が、着想のきっかけという。つつましく生きてきた三知子がバス停で夜を明かすことになるまでを手際よく見せて、日本社会の安全網の危うさ、日常の土台のもろさをあらわにする。政治は「自助」「自己責任」を求め、困窮する人たちには公的支援が届かない。非正規労働者や外国人が不当に搾取され、格差が固定してなすすべがない。

かつて過激派としてテロ事件に関与したらしいバクダンは、団塊世代の高橋監督自身か。「三里塚」「ベトナム」といった全共闘タームを連発して社会を呪っても、シラケた三知子は「こうなったのは自分のせい」と素っ気ない。しかし「政治家は社会の底が抜けようが痛くもかゆくもない。弱い者に押しつける」との怒りには、三知子も「私は真面目に生きてきたはずだ」と同調する。世代を超えた連帯の可能性を示すのだ。
 シンプルな結末は、社会をひっくり返せなくても、他者への想像力があればせめてバス停の事件は防げたと訴える。人ごとではない。1時間31分。8日から東京・Ks'シネマなど。大阪・なんばパークスシネマ(22日から)ほか順次公開。(勝)

ここに注目

多様な事件やいびつな社会を告発してきた高橋監督。本作ではこれまでにも増して今の政治、社会状況に怒っているように見える。危機的な就労環境やセクハラ、パワハラはもとより、自己責任や「自助・共助・公助」と政府の役割を後回しにする政治家、それに同調する人たちに刀を向ける。弱者をはじき出す冷酷な社会にあらがう視点は変わらないが、ホームレスが登場し始めるころから、激怒は軽いユーモアとアイロニーをまといだす。映画的なけれん味とでもいうべきか。現実とは異なるラストにも、願いが色濃く映し出されている。(鈴)

技あり

編集も兼ねた小川真司撮影監督は分かりやすい画(え)で撮る。三知子が仮眠できそうなバス停に行き着く場面。自動販売機だけが明るい夜、バスが乗客を降ろし、行き先表示を「回送」にして出て行く。横移動するとキャリーバッグを引きながら画面に入る三知子の後ろ姿。カットを変え、バスの来ない時間を確かめる三知子のバスト。次は引き画で、そばの椅子に座り、寝る体勢になるとオーバーラップ(画面が消え次の画面が浮き上がる)で、誰もいない早朝のバス停になる。居酒屋を解雇され、ホームレスになった三知子を克明に撮った。(渡)

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