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2025.1.29
阪神大震災30年 〝震災後〟世代在日コリアンの苦悩と再生「港に灯がともる」
「港に灯がともる」は阪神大震災の直後に生まれた女性が主人公だ。震災を直接経験していない世代の苦しみや葛藤に焦点を当て、同時に新たな視点で今の神戸を切り取った。「まんぷく」や「カムカムエヴリバディ」など数々のNHKのドラマを演出してきた安達もじり監督と、主演でNHK連続テレビ小説「ブギウギ」などに出演した富田望生が、製作の意図や視点、役へのアプローチなどを語った。
灯(あかり)は震災の翌月に神戸市長田区で生まれた在日コリアン3世。高校を卒業して就職するが、親から聞かされる震災時の混乱や在日家族の苦難の歴史を受け止めきれず、双極性障害(そううつ病)を発症する。同じ病で悩む人たちのグループホームに通い回復を目指す中で、周囲に助けられながら新たな仕事に希望を見いだし、家族との関係修復も図ろうとする。
心のケアに寄り添い、リアルを撮る
「神戸を舞台とした心のケアをテーマに、震災30年のタイミングで映画を作りたい」。プロデューサーの依頼に安達監督は綿密な取材を始めた。大きな被害のあった長田区に足を踏み入れ、多くの人から話を聞いているうちに、長年にわたってここに根を張ってきた在日コリアンを主人公にすえることにした。「当初は1995年の地震発生時の話にすることも考えたが、この30年は何だったか、時間の流れを表現することに意味を感じた」
もう一つ理由があった。「神戸には震災を経験していない人も、すでにたくさんいる。〝震災前〟と〝震災後〟という言葉を何度も聞いた。世代によって、何歳で遭遇したかによって(震災への)感覚が異なる。今、神戸で生きている人のリアルを描きたかった。それは、家族の中で最も濃密に表現できると考えた。」。主人公の灯の周囲に両親、姉や弟、祖母と異なる世代を配し、受け止め方の相違を描出した。
「港に灯がともる」©Minato Studio 2025
神戸を歩き、暮らし、肌で感じた
「今回は何も調べずに神戸に向かった」。富田は役への向き合い方をこれまでと大きく変えた。普段なら、在日の歴史を一通り学んである地点までたどりつき、双極性障害も踏み込めるところまで知識を入れて撮影に臨むところだった。「(役柄について)きっちりとピースを埋めないとクランクインを迎えられないタイプ」というスタンスを根底から翻した。安達監督も基本的な設定は伝えたが、資料を読むなどの要求は一切しなかった。「神戸に行って、暮らしてください。神戸を知って、感じてください」と富田に伝えた。
富田は福島県いわき市の出身で、子供の時に東日本大震災を経験していた。被災体験はプラスに働いたのか。「撮影時にプラスになることは一つもなかった」と言い切った。灯は震災後に生まれ育った。「自分の経験を切り離すのが、一番難しかった。(体験を)ないものとして撮影に臨んだ」と話した。撮影の数日前まで、自身の被災体験を言葉にする機会があったという。「脚本に向き合うのは神戸に行ってから」と決め、新幹線の中でも脚本を読まず、撮影の1週間前に神戸に着いた時がスタートとなった。
それから神戸で生活を始め、撮影中も街を歩き、好きなものを食べ、暮らしている人と話をした。山と海がすぐ近くにあること、古いものと新しいものが一緒にあることも肌で感じた。「神戸の人は外から来た私を受け入れてくれた。そういう街だから、灯は暮らし続けているのだと思った。(後半、灯が仕事でかかわる)丸五市場に、初めて足を踏み入れた時の感覚が作品にも投影された。撮影中はそんなことの繰り返しだった」
富田望生は無限大 灯がごく普通の女性になった
富田が安達監督とのコミュニケーションで最も印象に残っていることを明かした。「本番前に必ず目を合わせに来てくれたのです。ちゃんと見てますからね、という合図だったと思います」。取材中も笑顔を絶やすことのない、安達監督らしいエピソード。「それを監督からのプレッシャーとは全く感じませんでした」。映画のクライマックスは、灯が疎遠になっていた父親の家を訪ね、自身の将来への決意や父親への思いを伝える長いシーン。「この時も『行ってらっしゃい、ちゃんと見てますよ』と声をかけてくれた」
本作が初顔合わせの2人。安達監督は「無限に表現力のある人。以前から一度ご一緒したいと考えていた」と念願のキャスティングだった。「脚本を作って灯のキャラクターが見えてきた時に、富田さんにお願いしませんか、と僕自身がプロデューサーに声をかけた」と起用の経緯を語った。
安達監督の作品への考え方は、撮影中も変化していった。「物語の構造が固まり、人物の出会いや灯の表情を撮って、いろいろなものをそぎ落として磨いていくと、これが特別ではなく、ごく普通の女性の物語に見えてきた。編集しながらもシンプルになって、(普通の女性が)経験しているように仕上げたつもり」とかみしめるように語る。
いいモノづくりできた、残る映画になった
富田も撮り終わって、強く感じたことがあるという。「人から受け取るものが、どれだけ大きいかということ。役者としても灯としても、共演者、ロケ先から受けたものがどれほど重要か、これほど身にしみて感じたのは初めてかもしれない。クルーの人たちといいモノづくりができた、後世に残る映画だと実感した」と満足げに目を輝かせた。
撮影はほぼ順撮りで行われ、あまりカットを割らずに長回しも多く使われた。富田は柔らかな表情で語る。「カットを割らず、撮り直すことも少なかった。やり直すには、そこにいたる前の灯(の心情)に戻らなければならず、ものすごく時間が必要だったからとても助かった」。安達監督も「灯が生きた時間を大事に撮りたいと思い、全スタッフと役者が集中した。本番は1回。『もう1回』はほとんどなかった」。