「港に灯がともる」

「港に灯がともる」©︎Minato Studio 2025

2025.1.14

「港に灯がともる」を見て「今から見る今」と「過去から見る今」、「未来から見る今」はきっとそれぞれ違うと思った

誰になんと言われようと、好きなものは好き。作品、俳優、監督、スタッフ……。ファン、オタクを自認する執筆陣が、映画にまつわる「わたしの推し」と「ワタシのこと」を、熱量高くつづります。

筆者:

和合由依

和合由依

阪神大震災。震災が起きた当時、私はまだ生まれていなかった。この映画の主人公、灯(あかり)は阪神大震災が起きた1995年に生まれた。当事者でありながらも震災の記憶が無い。そんな彼女は、家族の心の傷を理解することができず苦しむ。自分を見失いそうな状況に陥っている彼女は新しい自分の居場所を見つけようと、自分を見つめ一歩ずつ進んでいく。


「自分に依存している」とは

人は皆、自分に依存している。大人になればなるほど依存していく。灯の生活を垣間見たことによって自分のなかで生まれたこの言葉。この文章を読んでくださっている方たちはこの言葉をどのように受け取るのでしょうか。年齢や生き方がそれぞれに違う私たち。生きることに苦戦したり、感情と向き合うことにぎくしゃくすることは、だれもが経験をすることだと思います。うまく言葉に表せなかったり、目に見えなかったりするそのモヤモヤについて向き合い「自分に依存している」とはどういうことなのか私なりに整理してみました。

今から1年半ほど前の高校1年生の時です。入学したばかりで生活環境が新しくなり、それに伴って内面的な部分でも変化しようとしていた私ですが、この時、自分との向き合い方に苦戦していました。今でも自分自身に「なぜそうなったのか」と問うと、はっきりした答えが出てこないのですが、おそらく、自分自身で感情をコントロールすることができなくなっていたからなのだと思います。自分の中だけではこのモヤモヤを管理することができないと感じ、友達に話を聞いてもらおうと悩みを打ち明けました。その時返ってきた言葉が「人間、思い込みの力が強いからね」というものです。主観的な自分の沼のようなものにはまっていた私はハッとしました。自分の中にあった混沌(こんとん)としたものがその瞬間に消え、腑(ふ)に落ちる感覚がありました。今でも支えられることの多いこの言葉は「自分に依存をする」ということにもつながるような気がします。自分自身に対して過剰に肯定をし「自分はこうだからこうだ」と決めつけて行動することは「思い込み」から始まるものなのかもしれない、そう思った時私はこの言葉に共感を覚えました。

家族はなかなか灯に寄り添うことができない

本作は、主人公である灯が自分を見失っている状態を物語のスタートにして彼女の人生を追っていきます。そんな彼女の瞳は、まるで色を無くし「孤独」を叫んでいるかのようでした。瞳はうそをつきません。それはたとえ、心から誰かの助けを必要としているのに声に出すことができない時でも。瞳だけは、感情の赴くままに叫ぶのです。在日韓国人家族のもとに生まれた彼女は、震災当時のことや震災によって起きた被害についての記憶が無く、自分が在日コリアン3世であるという自覚をあまり持つことのないまま、「今」の自分を生きます。けれど、「今」に至るまでにさまざまな感情や環境と遭遇しながら生きてきた家族はなかなか灯に寄り添うことができません。灯以外にとっても、良い居場所だと感じることのできない家族の空間があることに、映画を見ていて私はとてもつらく思いました。

私と同じ人間

映画の中で印象に残っているシーンで、「私たちはグラデーションの中で生きている」という言葉が登場するのですが、私たち人間を優しく包んでくれる言葉だと感じました。私たちは日々たくさんの人々と出会ってたくさんの新しい刺激を受けています。この作品で描かれる、時の流れと人々が交差していく様子はとても美しいです。灯が時間とともに自分自身が成長をしていく姿や、彼女の周りにいる、彼女の人生をつくっている人々はそれぞれにみんなが人間くさい部分を持っていました。何かにもがいたり、人間関係に苦戦したり、自分に疲れたり、人間である者ならだれもが一度は感じるであろうモヤモヤや感情を彼らはしっかり持っていました。どこから見ても、その姿は私と同じ人間でした。

灯のようにまっすぐに生きたい

自分を見失った先に待っていた、灯の「新しい自分」は、自分と、家族と、友達と、街の人と、手を取り合いながら進もうとしていました。私は時々、「他の人の人生の中で生きることができても、その人の人生を歩むことはできない。けれども、自分という存在とこの体があるから、好きなように動いて、たくさん自分を試すことができる」と考えることがあります。自分に人生があるからこそ、たくさん自分を試して実験することができる、自分で自分を自由に動かすことができる、という意味です。灯がエンドロールで見せた表情とその姿に、私のこの言葉と私自身を重ねました。私が何者であるのか、大事なのはこれを見失わないようにすることだと思います。私は何者でもありません。「自分はこうだからこうだ」と勝手に思い込み、勝手に依存し「今の自分」を評価しない人でありたいとこの映画を見てより一層思いを強くしました。「今から見る今」と、「過去から見る今」、「未来から見る今」はきっとそれぞれ違います。失敗や経験を恐れないで、灯のようにまっすぐに生きたいと彼女の背中を見て思いました。灯、ありがとう。幸せになってね。

震災や人の心について、とても考えさせられた作品でした。私が映画を見終えた時に感じた余韻は、涼しい風が頰にあたるような感覚でした。目をつぶって、深く呼吸をしてみたくなる、もしかしたら私以外にもこの映画を見た方はそんな感覚に陥るかもしれません。

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