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「いきもののきろく」の原案、主演の永瀬正敏新宮巳美撮影
2025.3.14
永瀬正敏「東日本大震災への思い投影、今見るべき映画」 封印11年 再公開に込めた真意「いきもののきろく」
約11年の時を経て、〝幻の作品〟となっていた一本の映画がある。永瀬正敏の原案、主演した「いきもののきろく」(井上淳一監督)。東日本大震災から3年とたたないころに撮影され、その影響を強く受けている。永瀬、井上監督の2人は「良くも悪くも『今』の映画」と声をそろえる。その真意は--。
舞台あいさつ後の強引ロケハン「出会ってしまった」
今作は2013年末、名古屋市内を流れる中川運河と廃虚のような工場で撮影された。登場人物は、「男」(永瀬)と「女」(ミズモトカナコ)のほぼ2人のモノクロ映像。セリフはごくわずかで、サイレント映画のように字幕に映し出される。上映時間は50分に満たない作品だ。タイトルは、原水爆実験の放射能を極度に恐れる老人(三船敏郎)の悲劇を描いた、黒沢明監督の映画「生きものの記録」(1955年)からとった。
製作は13年4月、井上監督がメガホンをとり、永瀬が主演した映画「戦争と一人の女」の舞台あいさつがきっかけだった。場所は名古屋市内のミニシアター「シネマスコーレ」。故若松孝二監督が設立した映画館として知られる。元々、中川運河を舞台にしたご当地映画として同館の木全純治支配人(肩書は当時)が企画しており、永瀬と井上監督に声をかけた。
永瀬は「舞台あいさつの後、なんか車が用意されていて、それに乗ったらロケハンだったんですよ。『これが中川運河です』みたいな。これって、ロケハンに行っているんだなと思いながら」と、半ば強引だったオファーを笑いながら「でも、(映画の舞台となった)工場に出会ってしまった」。直後に今作の原形となるプロットを書き上げる。「『3・11』など心の中にあった思いが湧き出て、掘り起こされた」と回想する。
プロットを井上淳一監督が脚本化
かねて被災地への思いは強かった。未曽有の震災が起こった際は「俳優はなんも役に立たねえ」と憤った。半年ほどして、ある映画の撮影で岩手県山田町を訪れることに。「今、映画なんか撮っている場合じゃないんじゃないか」と葛藤を抱えた訪問だったが、被災者と触れ合う中で、初めて知る思いもあった。初対面の自分に対し、何時間も身の上話をする人の多いこと。「彼らは周囲も同じ状況だから、気持ちを吐露できなかったんでしょうね。僕は、ただ聞くことしかできなかった」
その後、プライベートでも東北地方を巡った永瀬。中には今でも交流が続く人もいる。自宅が壊滅的な被害を受けた老人から「ここには『がれき』なんて一つも無い。みんな生活の一部で、大切な思い出だったんだ」と聞かされたこともある。そうした、被災地で実際に見たり、聞いたりした経験はずっと心の中にあったといい、ロケハンで訪れた廃虚のような工場を見たことでプロットに投影した。それを元に劇映画に昇華させたのが脚本も担当した井上監督だ。
「いきもののきろく」
原発事故で抱えた「喪失」描く
劇中の男は、運河周辺でゴミを拾い集めて、黙々とイカダを作る世捨て人のような人物。そこに女が現れることで男の日常が変わっていく物語。2人は共に原発事故で人生が変わったことがうかがえる。
「僕がやった仕事は、永瀬さんのプロットに『なぜ』をつけることだった。『なぜそこにいるのか』『なぜイカダを作っているのか』って。(震災があったばかりで)黒沢明の『生きものの記録』のことが頭にあり、再見もしていた。永瀬さん演じる今作の男が、あの三船敏郎(演じる主人公)のその後だったらどうだろうって」とのイメージから膨らませた。
井上監督は、「福島の被災者の中には、『危険と知りながら原発を立地して、何も言ってこなかった自分たちも悪かったんだ』って、持たなくてもいい加害者意識を持っている方々もいる。みなさんいろんな後悔があったと思う」とおもんぱかる。その上で「でも、永瀬さんのプロットには生きる方向にベクトルが向いていた。『生』が明快に匂い立つプロットだったので、劇中には、そこにきちんと存在している男と女として描こうとしました。これは、被災地の物語であると同時に、自分たちの物語。映画を作るということはたぶん、人ごとの話を自分事として捉え直す作業だと思う」と語った。
「ルックバック」ヒット 「短編でも公開できる」
最初の公開はごく小規模に終わってしまう。14年にシネマスコーレで公開されたものの、上映はそれきり。井上監督は「当時は、『そんな短い時間の映画のためにわざわざ劇場に足を運ぶの?』と思われる時代だったし、僕自身、この短編で劇場公開できると思っていなく、短編の可能性を信じられていなかった」と振り返る。
ところが昨年、「ルックバック」(押山清高監督)や「Chime」(黒沢清監督)といった1時間未満の新作がヒットし映画興行の環境が変化。上映時間47分の今作の公開へとつながった。また井上監督自身、この11年の間に「福田村事件」(脚本・製作、23年)、「青春ジャック 止められるか、俺たちを2」(監督・脚本、24年)などの話題作を手がけ、舞台あいさつなどで全国のミニシアターを行脚。各劇場と関係性を作ってきた実績も大きかった。
時代も国籍も関係ない「応援歌」に
物語は、「喪失」を描きながらも「再生」や「生きること」を問いかける。モノクロで、ほとんどサイレントにした作りについて「これだけ情報過多の時代に、いろんな要素をそぎ落とした結果の豊穣(ほうじょう)さに自分自身が驚いた」と言う井上監督は、「最初の公開から11年が経過しましたが、改めて見直して、全然古びていないし、むしろ『今の話だ』と思った。でも、それは『残念ながら』でもあります」との思いを抱いている。
永瀬は「今こそ見てもらいたい作品。日本だけでなく、世界中で災害があり、戦いも起きている。そして戦争と違う意味の、個人個人の心の中の戦いもある」と言ってこう続けた。「だから、自分に置き換えて、ナショナリティーも関係なく見ていただける。ある意味で応援歌になればいいなって思います」