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2024.8.31
永瀬正敏② 「ミステリー・トレイン」ジャームッシュ監督との夢のような1カ月
主演作「箱男」が公開中の永瀬正敏。オーディションで抜擢(ばってき)された「ションベン・ライダー」(1983年)でデビューし、相米慎二監督にしごかれたものの撮影現場の魅力にとりつかれ、宮崎県の高校を中退して単身上京、俳優への道を歩き始める。
「音楽屋みたいだな」オーデションで落ち続け
「ションベン・ライダー」で鮮烈にデビューした永瀬正敏だったが、80年代はなかなか役がつかなかった。「お金がなかったから、古着屋でやっと買った革ジャンでオーディションに行くと、その格好だけで『音楽屋みたいだな』と不合格。俳優らしいってなんだ、と思っていた」。一張羅の服なのに、見かけだけで既成の型に押し込めようとする世間に反発しながらも、「いつかまた映画をやれる」と確信し、「田舎に帰ろうとは一度も思わなかった」。時間はたっぷりあったので、事務所にあった古いビデオで映画を見まくった。「長谷川和彦、神代(くましろ)辰巳、鈴木清順といった監督の映画を見て、映画ってこんなに面白いんだと改めて確認した時期でした」
転機は90年。憧れていたジム・ジャームッシュ監督が日本人の出演者を求めてオーディションをすると聞いて駆けつけた。「『ストレンジャー・ザン・パラダイス』は満員の劇場で階段に座って見た覚えがあります。『ダウン・バイ・ロー』も大好きだった。ちょっと会えるだけでも光栄でサインももらおうかと思いましたけど、さすがにやめました」
いつも通りの革ジャンにラバーソールのブーツで面接に行くと、「日本でもそんな服を着る人がいるのか」と盛り上がった。もっぱら音楽の話ばかりで「だめだろう」と思っていたが、再度呼び出され、今度は即興演技を求められる。「小手先の芝居をしたって見透かされると、当時〝超能力者〟として有名だったユリ・ゲラーのスプーン曲げのように、ひたすらコーヒースプーンをさすって『曲がれ』と念じていたら、『はい、これで終わり』と言われて、またやっちゃったなと思って帰ってきた」。『アクターズ・ファイル 永瀬正敏』(キネマ旬報社刊)によると、永瀬さんはジャームッシュ監督の「イメージにぴったり」で、「帰りの飛行機の中で、急に『永瀬に依頼したい!』と思った」という。
「ミステリー・トレイン」で世界へ
「ミステリー・トレイン」はブルースの聖地・米メンフィスのホテルを舞台にしたオムニバスで、永瀬は恋人役の工藤夕貴と、日本からやってきたカップルを演じた。「1カ月の撮影は夢のようでした」。ジャームッシュ監督は「お芝居はしなくていい、演じたジュンの気持ちでいてくれたら、それが正解」と求め、「いいアイデアはない?」と常に問いかけたという。スーツケースの取っ手に棒を通して2人で運ぶとか、永瀬がジッポのライターで手品のように火を付けるといった動きは、撮影現場で出たものだった。「キャラクターを一緒にふくらませていきました」。この作品で名前を知られ、翌年は山田洋次監督の「息子」、君塚匠監督の「喪の仕事」が公開。永瀬さんは毎日映画コンクール男優主演賞など映画賞を席巻し、一線に躍り出る。
海外にも飛躍した。91年はアジア6カ国・地域で永瀬を主演にした映画を作るシリーズ「アジアン・ビート」の撮影で飛び回った。「ミステリー・トレイン」への出演が契機となり、アイスランドの「コールド・フィーバー」(95年)、米国の「フラート」(同)にも出演。当時は日本人俳優が海外の映画に出演することは珍しく、先駆けとなった。「アメリカやヨーロッパは特別だと思っていたけれど、映画撮影でやることは一緒。ドアは開けておきたい、声がかかればすぐに出て行ける態勢と気持ちは作っていたい」。そう思いつつ軸足を日本に定めたのは、ジャームッシュ監督からのアドバイスもあったから。「海外に住んでバイトしながら役をつかむのはもったいない。日本の映画も素晴らしい。日本できちんと演じていれば、みんなが見てくれる、と」。自由で軽やかなフットワークは現在も変わらず、永瀬が開いた道を多くの俳優たちがたどっている。
優れた映画人と出会い求め
そしてこの時期、永瀬は積極的に出会いを求めた。「夢みるように眠りたい」の林海象監督に自ら会いに行ったことが「アジアン・ビート」の企画を生み、永瀬さんの代表作の一つとなる林監督の「濱マイク」シリーズにつながった。「待ってるだけじゃ物事は動かないと思い始めていたので。日本の優れた映画人と組んで、世界の人に見てもらいたいと」。そんな中に、石井聰亙(現在は岳龍)監督がいた。「爆裂都市 BURST CITY」(82年)、「逆噴射家族」(84年)など斬新な作品で映画界に殴り込んだ。「音楽を感じさせる映画が好きなんですが、石井監督自身がロックな人」。「いつか一緒に」と訴え、新作「箱男」まで長い付き合いとなった。