2018年6月9日から7月16日まで追悼特別展「高倉健」が行われたいわき市美術館

2018年6月9日から7月16日まで追悼特別展「高倉健」が行われたいわき市美術館

2022.5.06

いわき市立美術館館長、杉浦友治さんが選んだ高倉健映画5選

2021年生誕90周年を迎えた高倉健。
昭和・平成にわたり205本の映画に出演しました。
毎日新聞社では3回忌の2016年から約2年全国10か所で追悼特別展「高倉健」を開催しました。
その縁からひとシネマでは高倉健を次世代に語り継ぐ企画を随時掲載します。
Ken Takakura for the future generations.
神格化された高倉健より、健さんと慕われたあの姿を次世代に伝えられればと想っています。

ひとしねま

杉浦友治

「美術館から見た高倉健」と題して、追悼特別展「高倉健」巡回の美術館の学芸員から見た高倉健やその作品を語った記事を再掲載します。
3回目はいわき市立美術館館長(当時は副館長)、杉浦友治さんさん執筆の5回シリーズ一挙公開です。

「電光空手打ち」(1956年) 人柄浮かぶ手書きの文字

高倉健が生涯に出演した205本の映画すべてから、出演場面の抜粋映像を紹介し、初期から晩年にいたる演技や顔、しぐさなどの変遷を動画でたどるのがメイン展示です。また、スチール写真やポスター、高倉健が所蔵していた脚本36点も展示します。こうした貴重な資料からは、さまざまなことを考えさせられます。
初主演作「電光空手打ち」の脚本は半世紀以上前のもので、大切に保管していたことが分かります。一方、晩年の脚本では、項目ごとにインデックスが付けられ、その文字は丁寧に書かれています。
高倉健はスターになった後でも、初めて会うスタッフに対して自分から深々と頭を下げてあいさつするなど、礼儀正しい人格者として知られていました。脚本に書き込まれた手書きの文字からは、スクリーンの中の高倉健ではなく、人間・小田剛一(高倉健の本名)の姿が浮かび上がってきます。
脚本を見ると、情報量が意外と少ないと感じるかもしれません。俳優は限られた言葉からイメージを膨らませ、演技を考え、役作りをし、撮影に備えます。俳優になったつもりで演技を考えながら読んでみれば、俳優がいかにクリエーティブな表現者であるかが分かることでしょう。
2018年06月23日掲載
 

「非常線」(1958年) 現場で鍛えられて成長 

高倉健はもともと俳優志望ではなく、役者の道を歩むことになったのは偶然でした。貿易の仕事がしたくて明治大学商学部に進みましたが、不況のため思い通りに就職できずにいる時、東映の幹部にスカウトされたのです。
当時、新人は俳優座の養成所で半年間、演技の勉強をすることになっていました。しかし、高倉健は全くの素人だったため、講師から「他の人の邪魔になるので、脇で見ていなさい。役者には向いていない」などと言われる始末。なのに2カ月もたたないうちに、翌1956年の映画での主演デビューが決まります。初めて顔にドーランを塗られた時には、身をやつした気がして涙があふれたそうです。
晩年、高倉健は「きちんとした演技指導を受けぬまま俳優になってしまったことに、コンプレックスを持っていた」と回想していますが、彼は戸惑いながら、一作品一作品、ベテランの監督らから現場で演技の指導を受け、体で覚えていったのです。
「非常線」(1958年)は、子役としての英才教育を受け、日本舞踊の所作を研究し、演技指導に定評のあった名匠・マキノ雅弘監督の作品に初めて出演した映画です。高倉健を手取り足取り教えたマキノ監督は、恩人といえる人です。初期の時代、現場で鍛えられながら、役者として育っていくのです。
2018年06月26日掲載
 

「昭和残俠伝 唐獅子牡丹」(1966年) 任俠映画ではまり役

日本映画の全盛期だった1950年代後半、大手映画会社6社は毎週およそ2本ずつの新作を公開します。新人だった高倉健も年間10本程度の映画に次々と出演しますが、役者としては模索期といえる時代でした。
60年代、映画産業はテレビの急速な普及とともに斜陽の時代を迎え、63年には観客数が最盛期の半分ほどになります。映画界はワイドな画面を取り入れるなど、テレビにはまねできない魅惑で観客に訴えようとします。
そんな中、64年のマキノ雅弘監督の「日本俠客伝(きょうかくでん)」で、任俠映画のスター高倉健が誕生します。三白眼で目つきのきつい顔はかつて「役者には向かない」と言われましたが、逆にその目力のある顔が任俠映画でははまり役となり、マキノ監督の演技指導もあって俳優として花開きます。
「昭和残俠伝」シリーズでは、最後に悪い親分を倒しに高倉健と池部良が命を賭して殴り込みをかけるのがお決まりとなっていました。耐えに耐え、強大な力に立ち向かう姿は、当時の学生運動に力を入れていた学生や高度経済成長時代にとり残された底辺労働者たちの共感を呼びます。深夜上映の映画館では彼らが熱狂し、拍手喝采しながら見ていたといいます。
今回の展覧会では美術家、横尾忠則氏の展示ディレクションにより、当時の予告編6本のループ映像を、同時に5台のプロジェクターで映写する空間を設けます。その頃の熱気や時代が伝わってくる映像空間です。
2018年07月04日掲載
 

「幸福の黄色いハンカチ」(1977年) 控えめな演技、リアリティー

任俠(にんきょう)映画のスターとなった高倉健でしたが、1970年代前半に任俠映画はマンネリ化し、人気が下火となります。そして、深作欣二監督の「仁義なき戦い」など暴力と策略による実録やくざ映画が受ける時代となる中、高倉健は役柄に行き詰まりを感じ、76年に東映を退社しフリーの俳優になります。
77年、松竹で「男はつらいよ」シリーズを撮っていた山田洋次監督と出会うと、それまでのイメージを破り、市井の不器用な男を演じる高倉健のかたちが生まれます。
これらの映画では、高倉健の演技は、演技をしていないかのように控えめで、素のようにも見えます。それは彼が「映画はドキュメンタリーである」と考え、役柄になりきろうとしているからです。
「幸福の黄色いハンカチ」(77年)では、刑務所を出所した後、食堂でラーメンとカツ丼を食べるシーンがあります。その撮影の前日、彼は絶食して撮影に臨みました。シャバでうまい飯を食うことを楽しみにしていた気持ちを体全体で表現しようとしたのです。
2001年の「ホタル」では、漁師の役づくりのため、撮影に入る前、沖縄の海で船酔いに苦しみながらも小型船舶の免許をひそかにとっています。そうした姿勢が映画に丸ごと反映されるのであり、リアリティーをこのような形で映画に込めようとした俳優は多くないことでしょう。
2018年07月05日掲載
 

「鉄道員(ぽっぽや)」(1999年) 立ち姿だけで存在感

東映時代に20年間で183本の映画に出演した高倉健ですが、フリーになってからは36年間で22本と大幅に減ります。特に1980年代後半以降は3年に1本のペース。その間、出演依頼がなかったのではなく、脚本を吟味して出る映画を選んでいたのです。
前の作品から5年ぶりとなる「鉄道員(ぽっぽや)」では、廃線となる鉄道の駅長を演じます。地味な役柄ですが、ホームに立つ姿だけでも絵になっており、存在感のある彼でなければ映画が成立しなかったのではないかと思わせます。
この作品で4度目の日本アカデミー賞最優秀主演男優賞のほか、モントリオール世界映画祭でも最優秀男優賞を受けます。審査委員長を務めたスウェーデン人の女優は「あれだけしゃべらないで、あれだけの演技ができて、人を感動させることのできる俳優は素晴らしい」と講評しました。彼の演技は日本だけでなく、世界でも評価されたのです。
この映画から7年後には、世界的に評価の高いチャン・イーモウ監督が高倉健主演で「単騎、千里を走る。」を製作し、名作となりました。中国人の素人を相手に高倉健は演じますが、映画が実際の出来事のように自然に感じられるのは、スターとしてお高くとまるのではなく、一人の人間として相手に真摯(しんし)にぶつかっていったからでしょう。もっともっといろいろな監督が撮る高倉健を見たかったという思いを抱く人が少なくない中、2014年に惜しまれながら世を去りました。
2018年07月07日掲載

電光空手打ち

高倉健のデビュー作にして初主演作の青春空手映画。舞台は沖縄。勇作(高倉健)は沖縄空手の師匠・名越義仙(山形勲)の弟子として日夜修行に励んでいる。空手の大会が東京で行われることになって、沖縄代表に義仙が指名される。敵対する流派の怒りが収まらず妨害を仕掛け、義仙を擁護する師匠・空典(加藤嘉)と娘の志那子(浦里はるみ)も襲われる。しかし、義仙は復讐を認めなかった。勇作は愛する志那子を残して、東京へ旅立つ。(追悼特別展「高倉健」図録より)

非常線

無実の罪で追われる男を描いたクライム・アクション。銀行ギャングの容疑者として疑われた千代太(高倉健)は無実を主張して、ホテルの掃除夫をしている父(藤田進)と恋人・夏子(故里やよい)の前から姿を消した。一方、暴力団のボス・牛島(菅井一郎)の娘・葉子(森美代志)は父の仕事を嘆いて自殺未遂するが千代太に救われていた。やがて葉子を探す牛島は千代太を見つけて発砲、千代太は倒れるようにして父の元へ帰る。(追悼特別展「高倉健」図録より)

日本俠客伝

「日本俠客伝」シリーズ1作目。``東映任侠映画``のスター高倉健が誕生した記念すべき作品。深川木場。木場政組の組長が病死したため新興やくざ沖山運送がその勢力を伸ばし始めた。いきり立つ子分たちだったが姐さん(藤間紫)が挑発に乗らぬようにきつく言い聞かせていた。そんな時、小頭の辰巳の長吉(高倉健)が除隊して戻ってきた。一方、沖山(安部徹)は警察署長、代議士まで抱え、悪辣な手段で木場政を攻撃、それに対して、客分の清治(中村錦之助)が単身、沖山組に殴り込み惨殺された。ついに長吉が立ち上がった。(追悼特別展「高倉健」図録より)

昭和残俠伝 唐獅子牡丹

シリーズ第2作。以下、次作の第3作目を除きシリーズ第9作まで役名は<花田秀次郎>となる。宇都宮の石切り場を縄張りにする榊組は、親分を花田秀次郎(高倉健)に殺されてから新興の左右田組に押され気味である。出所した花田は罪の償いとして榊組に草鞋を脱いだ。榊組に陸軍省から石1000トンの注文が入った。手段を選ばぬ非道さで妨害する左右田組。ある日、榊組の元幹部・畑中(池部良)が満州から帰還する。花田と畑中の思いは一緒だった。二人は怒りの剣を抜いて左右田組に殴り込んだ。(追悼特別展「高倉健」図録より)

製作年 : 1966

監督 :

仁義なき戦い

深作欣二監督、菅原文太主演で一世を風靡したシリーズの第1弾。義理人情の任侠路線から、殺伐とした暴力シーン、実在のヤクザの抗争を実録路線としてリアルに描いた。戦後山守組組員・広能昌三(菅原文太)の目を通した広島呉抗争を描く。

幸福の黄色いハンカチ

山田洋次監督と初のコンビ作で、数々の映画賞を受賞した名作。北海道の雄大な自然を背景に妻との``約束``を願う男のロマンを描く。失恋した工員・欽也(武田鉄也)は中古車を買って北海道に旅行に来る。途中、網走で一人旅の娘(桃井かおり)を車に乗せた。2人は海岸で中年の島勇作(高倉健)と知り合い、一緒に旅をすることにした。勇作は網走刑務所を今日出所した男だった。そして妻(倍賞千恵子)が勇作の帰りを待っていてくれるなら、自宅の前に黄色いハンカチを下げておいてくれる、という。そして、夕張に着いた……。(追悼特別展「高倉健」図録より)
「幸福の黄色いハンカチ デジタルリマスター2010」好評発売中 DVD価格:3,080円(税込)発売・販売元:松竹
 ©1977,2010 松竹株式会社

鉄道員(ぽっぽや)

高倉健が17年ぶりに古巣東映の作品に出演した人情ドラマ。頑固で実直な鉄道員として気概と誇りを胸に生きた男・乙松(高倉健)が、定年目前となり自らの人生を振り返る。職務に忠実なあまり仕事優先の人生を送り、生後2カ月で死んでいった娘や、病で死んだ妻(大竹しのぶ)を看取ることができなかった。そして近く廃線となる幌舞線とともに一人で定年を迎えようとしている。そんな時、目の前に成長した娘(広末涼子)の姿が現れる。(追悼特別展「高倉健」図録より)

「鉄道員(ぽっぽや)」
Blu-ray&DVD発売中 Blu-ray:3,850円(税込)DVD:3,080円(税込) 販売:東映 発売:東映ビデオ

単騎、千里を走る。

チャン・イーモー監督が熱望した高倉健主演の中国を舞台にしたロードムービー。長らく民俗学者の息子・健一(中井貴一)と疎遠になっていた剛一(高倉健)。嫁(寺島しのぶ)から連絡があり見舞いに行くと、健一は重病で伏せっていた。そして嫁から、中国の有名な俳優リー・ジャーミンと交わした約束を果たせず悔やんでいると聞く。剛一は息子の代わりに彼が志なかばにしている仕事をやり遂げようと、無謀にも一人で中国に渡った(追悼特別展「高倉健」図録より)

ライター
ひとしねま

杉浦友治

いわき市立美術館館長

カメラマン
宮脇祐介

宮脇祐介

みやわき・ゆうすけ 福岡県出身、ひとシネマ総合プロデューサー。映画「手紙」「毎日かあさん」(実写/アニメ)「横道世之介」など毎日新聞連載作品を映像化。「日本沈没」「チア★ダン」「関ケ原」「糸」など多くの映画製作委員会に参加。朗読劇「島守の塔」企画・演出。追悼特別展「高倉健」を企画・運営し全国10カ所で巡回。趣味は東京にある福岡のお店を食べ歩くこと。