「恋文」撮影時の田中絹代監督とスタッフら=芸游会提供

「恋文」撮影時の田中絹代監督とスタッフら=芸游会提供

2022.4.20

女たちとスクリーン⑤ 監督・田中絹代 映画の申し子、魔物に立ち向かう

「男性映画」とは言わないのに「女性映画」、なんかヘン。しかし長年男性支配が続いていた映画製作現場にも、最近は女性スタッフが増え、女性監督の活躍も目立ち始めてきました。長く男性に支配されてきた映画界で、女性がどう息づいてきたのか、女性の視点や感性で映画や社会を見たらどうなるか。毎日新聞映画記者の鈴木隆が、さまざまな女性映画人やその仕事を検証します。映画の新たな側面が、見えてきそうです。
 

鈴木隆

鈴木隆

三島有紀子監督に聞く・下 質の高い作品群に目を向けて

 
「幼な子われらに生まれ」「Red」など第一線で活躍する三島有紀子監督が、監督・田中絹代について解説するインタビューの後半。俳優として、監督として、生涯を通じて映画に身をささげた田中絹代の業に迫る。近年、女性監督の活躍も目立つ日本映画界だが、70年近く前に逆風に立ち向かいながら道を切り開いてきた田中絹代の功績、作品のクオリティーの高さに驚き、今こそ目を向けるべきだと訴える。

映画に身をささげる覚悟

 
--田中絹代監督は「演出しかできない」と言って監督になった。
 
田中絹代の歩んだ道筋を見ていると、映画に身をささげた人というか、映画が好きで、映画のために何ができるかをいつも考えていた人だった。俳優としてお母さんの役をやってもどんな役を演じても、立っているだけでもすごみがあった。監督としても撮りたい映画への執着を見せた。それは、女優としても、監督としても映画に身をささげるという覚悟ではないか。
 
一時期、病気の家族の看病で公の場に出ていないときがあった。映画人として生きるか、一人の人間として家族の世話をして生きるか選択を迫られた。ある日、仕事を断って病人食を作っていた時に、思わず鍋を床に投げつけてしまったことがあったと言う。「なんで私は演技をしていないんだ。なんでご飯の支度をしなければいけないのか」。(病人の家族を看病することは)人としては正しいが、どうしても抑えられなかったんですね。演じることが本能としてあって、いわば業に近い。鍋を投げつけたアクションがもう映画のシーンみたいで、田中絹代も「役者をしてなぜ悪いのか」って言っています。

「お吟さま」ロケスナップ=芸游会提供


自分の中の業やうみに立ち向かう

 
--監督という仕事にも必死だった。
 
ほとんどの監督は、撮りたいものがたくさんある。田中監督も同じ。作りたい作品がたくさんあったし、映画の魔物みたいなものに監督としてもとりつかれたんだと思います。実際に、カメラの後ろに立つことを「大変な仕事だが魅力的だ」と話しているし、自分がどれだけ撮りたくても「おもちゃを買う値段ではできない」と次々と撮れるものではないことも十分分かっていた。作品やそれに打ち込む姿を見ると役者が監督をやったというよりも、映画の申し子が監督をやったと言った方が正しいような気がする。
 
個人的には、「お吟さま」のような歴史物よりも、当時の女性の姿をもっと撮ってほしかった。田中監督が見た、あの時代の等身大の女性を見たかった。映画は一瞬の夢を見させてくれるものかもしれないが、田中監督の作品は、理想とか、こうなりたいという人ではなくて、自分の中の業やうみみたいなものを描き、それを映像として映し出した。
 
--自分をさらけ出すということか。
 
1本目の「恋文」、2本目の「月は上りぬ」までは、助監督から「田中監督は裸になっていない」と言われていた。監督ってみんなの前で裸にならないといけない仕事だと思うが「彼女はなっていない」と言われた。それが、3作目の「乳房よ永遠なれ」から明らかに裸になっている。恥ずかしいですが、監督はさらけ出さないとできない。監督の仕事って、身につけたものを一枚ずつはがしていくような作業でもある。普通に生きていたら、自分の醜いところやつらかったことをあえて見なくていいのだけれど。

--しかも、1950年代から60年代に。
 
それこそ、タイムマシンでもあったら話したかった。男性スタッフばかりの中で、監督をするときのコミュニケーションのとり方とか、気をつけていたこととか聞いてみたい。かなり気を張って、気を使ってやっていたでしょう。
 
「恋文」でNGを出し続けた男性の役者が、怒ってセットから出て行ってしまったことがあったと聞きます。当時は監督をおいて出て行くなんてあり得ないことで、大もめになったとインタビューで答えている。でも、結果として芝居を撮るのが目的だし、いい芝居を導き出すために役者さんに集中してもらうのが大切。
 
例えば、負けん気を刺激する方がいい人もいるし、カウンセラーのように寄り添ったほうがいい人も、今日は撮影をストップして気持ちを切り替えて明日やろうというのがいい人もいれば、それが逆にプレッシャーになる人もいる。人によって違う。そういう見極めも監督の仕事かなと思う。
 
私の場合は本読みでいかに完成に近づけるかというより、それぞれの人を観察する。どういう人で、どう言ったらどんな反応が返ってきて、癖があるか、を見ています。できるだけ役者さんひとりひとりに最適な方法を探る、それが後で演出する時にとても大切になる。役者さんの演出は限りなく繊細な作業だ。
 

「女ばかりの夜」ロケスナップ=芸游会提供


今につながる監督としての姿

 
--俳優も大変、スタッフも大変。
 
大概の役者さんは、この人(田中絹代)が言うんだったら、そうかもしれない、間違いないって思っただろう。対スタッフの方がより大変だった気もする。今でも映画を1本撮ると、監督は髪の毛が白くなるとか、奥歯がぼろぼろになるとか言われているくらいだ。
 
--三島監督にとって、田中監督はどんな存在か。
 
あえて、女性監督第1号の坂根田鶴子さんの名前を出すが、坂根監督と田中監督が、女性が映画を作ることの先陣を切り、道しるべを作ってくれた。その時その時に、女性が必死で映画を作っている姿を映画界の人に見せてくれたことが、今、私たちが撮れていることにつながっている。それこそ、映画の魔物みたいなものに立ち向かっていなかったら、女性が映画を作ることはなかった。立ち向かう姿が多くの人に刻まれてきた。それが作品を見ると伝わってくる。その時々に立ち向かってきたことが、今につながっている。正直、そう思う。
 
田中監督はやはり、映画の申し子。女性とか男性とか関係なく、しっかり業をむき出しにして、(表現者としてなら)狂っていいですよ、と私たちにも教えてくれる。監督として極めて大事なことだし、私もそうなれるよう努力していきたい。
 

三島有紀子監督=松田嘉徳撮影

三島有紀子監督(みしま・ゆきこ)映画監督、脚本家。大阪市生まれ。NHKで「NHKスペシャル」ほかドキュメンタリーを企画・監督。東映京都撮影所などでフリーの助監督後に、「刺青 匂ひ月のごとく」(2009年)で監督デビュー。 「しあわせのパン」「ぶどうのなみだ」「繕い裁つ人」などを発表。「幼な子われらに生まれ」(17年)でモントリオール世界映画祭審査員特別大賞のほか、国内でも受賞多数。「Red」(20年)で自分の意志で生き方を選択する女性を描き好評を得て、現在パリの55館で上映中。最新作は短編集「ミラーライアーフィルムズ2」内の「インペリアル大阪堂島出入橋」。

恋文

女優田中絹代の監督デビュー作。木下恵介脚本。復員兵の礼吉は、元恋人の道子のことを思い続けていた。道子が夫と死に別れ上京していると聞いた礼吉は、戦友山路の世話で恋文代筆業をしながら道子の行方を捜していた。清純だった戦前の姿を思い描いていた礼吉は、ある日、アメリカ兵相手の洋妾に変わり果てた道子に出会う。

月は上りぬ

田中絹代の監督2作目。斎藤良輔、小津安二郎脚本。戦争で疎開した奈良に住みついた浅井家には、未亡人の千鶴、未婚の綾子、節子の3姉妹がいた。寺に間借りしている千鶴の亡夫の弟昌二は、節子と愛しあっていた。節子は、昌二の旧友で電気技師の雨宮と綾子を結びつけようと、偽の電話で2人を呼び出して月の出の公園で会わせたりする。3姉妹の恋模様をユーモアを交えて描いた。

乳房よ永遠なれ

若月彰、中城ふみ子の原作を田中澄江が脚色した田中絹代の監督第3作。不幸な結婚生活に終止符を打ったふみ子は、勧められるままに詠んだ短歌が絶賛される。ふみ子は夫の実家から子供を連れ戻し東京で職を見つけようとするが、乳がんで札幌の病院に入院する。彼女の短歌は入選し、新人作家として歌壇の話題となっていたが乳房が切り取られる。手術後、ふみ子は元気だったが余命幾ばくもないことを知る。

女ばかりの夜

田中絹代の監督5作目。脚本は田中澄江。溝口健二監督の「夜の女たち」(1948年)で街娼を演じた田中が、売春婦たちの更生と社会的自立を描いた。1958(昭和33)年に売春防止法が完全施行されたが、法の網の目をくぐって春を売る女は後を絶たなかった。警察の取り締まりで検挙された彼女たちは、強制的に厚生寮か補導院へ送られた。その一つ、白菊婦人寮に収容された女性たちは更生への道を踏み出すが、社会は冷たく、差別や軽蔑のなか苦しい困難の日々が続いた。

ライター
鈴木隆

鈴木隆

すずき・たかし 1957年神奈川県生まれ。書店勤務、雑誌記者、経済紙記者を経て90年に毎日新聞入社。千葉支局、中部本社経済部などの後、学芸部で映画を担当。現在は毎日映画コンクールに携わる。著書に俳優、原田美枝子さんの聞き書き「俳優 原田美枝子ー映画に生きて生かされて」。

カメラマン
ひとしねま

松田嘉徳

まつだ・よしのり 毎日新聞事業本部カメラマン