〝原爆の父〟と称される天才物理学者の半生を描いた「オッペンハイマー」。第二次世界大戦末期、広島、長崎に投下された原爆開発の舞台裏と天才科学者の葛藤を、壮大なスケールで映像化。日本公開までに曲折を経た一方、アカデミー賞では作品賞、監督賞、主演男優賞など7部門を制覇。賛否渦巻く問題作を、ひとシネマが独自の視点で徹底解剖します。
2024.5.02
映画「オッペンハイマー」 愛の欠乏が生んだ原爆と開いたロスアラモスの記憶の扉
米国から8カ月遅れで映画「オッペンハイマー」が日本で公開された。この映画には、記憶の扉を開けるマジックがあるようだ。友人は大学時代に学んだ芸術と平和のための講義の資料を読み返して、リポートを書き始めている。なかには、映画を2度見てオッペンハイマーに関する本を買い込んだ知人もいる。どうやら、この映画は平和を追求する人たちのスイッチを入れ、記憶を呼び覚ますパワーを持っているらしい。
登場人物ほぼ全員が精神錯乱者
学生時代のオッペンハイマーは、大学の教授にダメ出しされ、憎しみを込めて教授の青いリンゴに青酸カリを注入する。それほど、直情的で精神的にヤバイ人物がやがて優秀な科学者となって、人類を破滅に導く巨大な毒リンゴ、原爆を開発していくことになる。
精神錯乱者はオッペンハイマーだけではない。映画の登場人物はほぼ全員、精神的にどこか病んでいて、どこかが奇妙だ。軍人は高圧的だし、原爆投下後に一人の科学者は水爆を開発しようとするし、一人の男は「オッペンハイマーに軽蔑された」という卑屈で卑小な思い込みで、オッペンハイマーにスパイの容疑をなすりつける。オッペンハイマーが愛した共産主義者の女性は精神的に苦しみ自害してしまうし、結婚相手の女性もアルコール依存症になって、育児放棄してしまう。この異常さは戦争という緊急事態が引き起こしたものかもしれない。あるいは、知恵の実のリンゴを食べてエデンから追放されたアダムとイブの子孫たちが数千年をかけて、じわじわとむしばまれてきた人類の終末の姿そのものなのかもしれない。
「愛の欠乏」が生んだ原爆
この映画には、温かな家庭や、互いの愛に守られ支え合いながら生きる幸せな人間の姿はいっさい描かれない。オッペンハイマーはぬくもりも安らぎもないゆがんだ夫婦関係と人間関係のなかで、多くの科学者を引き連れて原爆開発を先導していく。地球を全滅させる可能性がゼロではないと知りながら、まっしぐらに原爆の開発を進める国家と科学者たちの「巨大なエゴ」と「狂気」をクリストファー・ノーラン監督は描き出す。優秀な科学者たちが大きな時代のうねりにのみ込まれながら、大量虐殺のための兵器の開発に突き進んでいく姿はあまりにも切なく涙が出る。
この映画を見ると、原爆は「愛の欠乏」から生まれたものだということがよく分かる。私はこの映画を、美しさも喜びも、ぬくもりもない「冷たい世界の終焉(しゅうえん)」の教訓として見届けた。
描かれなかったネーティブインディアンの犠牲
私と友人はこの映画について数時間、電話で語りあい、お互いに情報を交換した。私は映画では描かれなかった史実について話した。映画ではカナダのウランを使用したと言っていたけれど、実際はアリゾナ州やニューメキシコ州で採掘されたウランが使われたこと。そのとき、採掘に雇われたのはネーティブインディアンたちだったこと。「大地を掘り起こしてはいけない」という言い伝えがありながらも、政府にあらがうことができなかったこと。そして、戦後、劣悪な環境下でウランを採掘した人や、汚染された大地に住む人々の間で白血病やがんが多発したこと。そんな話をするうちに、記憶の扉がパカッと開いた。かつて自分が原爆開発地ロスアラモスに立ち寄ったことやネーティブインディアンの言葉を思い出したのだ。
私は25年ほど前に雑誌の取材でサンタフェに出向いた。憧れの町で大好きなジョージア・オキーフの美術館を取材し、おいしい料理やワインをいただき、上機嫌だった。ネーティブインディアンの集落、タオスのプエブロまでロングドライブに出かけたある日。途中でコーディネーターがロスアラモスに立ち寄ったのだ。取材スケジュールにロスアラモスは入っていなかったし、当時の私はその名前が何を意味するかも知らなかった。
コーディネーターについて行く。一軒の店のコーナーを曲がるとその奥に中庭があった。木々に陽光が降り注ぎ、その葉をきらめかせていた。人の姿はなかった。その時、コーディネーターが言った。「ここで、原爆が開発されたんです。あの部屋で研究されたんですよ」と中庭の向こう側にあるれんが造りの建物の一室を指さした。その瞬間、脳がフリーズした。芸術の町サンタフェと悲惨な原爆となぜ関係あるのか理解できなかった。ネーティブインディアンの地からウランが採掘されたことを知っていただけで、恥ずかしながら原爆の開発側に関する知識は皆無だったのだ。音のない空間に立ちすくみ、中庭の向こうの薄暗い研究室を重い気持ちで無言のまま見つめていたことを思い出す。
それから20年後。私は友人が住むサンタフェ近くのナバホの地を再び訪ねた。小さなマーケットの前のテーブルで仲間と談笑していると、よれたシャツを着た見栄えのしない二人のインディアンが近づいて「皆さんは日本人ですか?」と声をかけてきた。ナンパ?と警戒しながら、日本人ですと答えると一人が言った。「日本に申し訳ないことをしました」「えっ?」
「我々の親の世代が採掘したウランが原爆となってあなた方の国に落とされて、途方もなく多くの命を奪ってしまった。本当に申し訳ありませんでした」彼らはそう言って深くお辞儀をすると、ぽかんとする私たちを残して立ち去った。原爆で苦しんだのは日本だけではなく、開発側の人々もまた贖罪(しょくざい)を背負って苦悩していることをこのとき知った。
私たちは今、核兵器が存在する世界を生きている。映画「オッペンハイマー」は、今を生きる私たちに、その逃れられない関わりを認識するよう強いている。明確にそれを認識した人たちは、これからの生き方を問うことになるだろう。今後の指針になるかもしれない言葉を最後に記しておく。
「原爆は決して人に落とすものではありません。落とすなら自分自身のエゴに落とし、エゴを爆破させなさい」 (チベット僧侶 パトゥル・リンポチェ)