「オッペンハイマー」© Universal Pictures. All Rights Reserved.

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2024.4.30

クリストファー・ノーランと核爆弾 「ダークナイト ライジング」「TENET」から「オッペンハイマー」へ 〝物理〟の裏付けは有効か

〝原爆の父〟と称される天才物理学者の半生を描いた「オッペンハイマー」。第二次世界大戦末期、広島、長崎に投下された原爆開発の舞台裏と天才科学者の葛藤を、壮大なスケールで映像化。日本公開までに曲折を経た一方、アカデミー賞では作品賞、監督賞、主演男優賞など7部門を制覇。賛否渦巻く問題作を、ひとシネマが独自の視点で徹底解剖します。

木村光則

木村光則

原子爆弾を開発した物理学者ロバート・オッペンハイマーの半生を描いた映画「オッペンハイマー」には、物理学の概念や用語も多数出てきて、相対性理論を生んだ物理学者アルベルト・アインシュタインも登場する。クイストファー・ノーラン監督には、相対性理論や重力といった物理学の概念や核爆弾がストーリーの鍵を握る作品が多数ある。そうした過去作を振り返りときながら、ノーラン監督の科学や原子力に対する考え方に迫っていきたい。


核を手にしたテロリスト「ダークナイト ライジング」

ノーラン監督作品で核爆弾が最初に登場するのが、バットマン3部作の最終作である「ダークナイト ライジング」(2012年公開)だ。ゴッサム・シティのダークヒーロー〝バットマン〟ことブルース・ウェイン(クリスチャン・ベール)は、ウェイン産業というエネルギー会社の会長を務めている。ウェイン産業は、原子力発電のための核融合炉開発を中断したことで、資金繰りが悪化している。

ここに「奈落」と呼ばれる地下の監獄で育ったベイン(トム・ハーディ)が登場する。とてつもなく強いベインはブルースを「奈落」へ落とし、ウェイン産業の核融合炉を奪って、炉心を抜き出し、それは4メガトンの核爆弾と化す。ベインは1200万人のゴッサム市民に核爆弾の保有を宣言し、それを盾にゴッサム・シティを支配しようとする。

核兵器を保有し、それを使うかもしれないぞ、という姿勢を示すことで、相手に恐怖心を与えて支配しようとする。この構図は、まさにロシアのプーチン大統領が現在、行使している手法そのものとも言える。同作では、核の持つ破壊力がいかに人々に恐怖を与え、時にそれが世界を支配する切り札になってしまう可能性を示唆している。

核爆発で終わらせるとは……

ちなみに同作の終盤で、核爆弾の爆発は不可避となり、バットマンが空を飛ぶモービル機「ザ・バット」で運び出して遠くの海上で爆発させる。ゴッサム・シティではバットマンは死んだことにされるが、ラストで、ブルースが実は生きていることを示唆する。ブルースの生死はともかく、被爆国の国民としては、核爆弾を爆発させてストーリーを完結させるという展開にいささか複雑な思いを禁じ得ないのも事実。

ただ、この頃、ノーラン監督はバットマン3部作を製作し映画監督として台頭していく真っ最中であり、核に対する深い考察よりも、作品にインパクトを与えてヒットさせることに重きを置いていたのだと思う。だからこそ、同作から12年を経て、核の恐ろしさに正面から向き合った映画「オッペンハイマー」はノーラン監督の成熟を示すものと言えるだろう。


 U-NEXTで配信中「ダークナイト ライジング」© Warner Bros. Entertainment Inc. and Legendary Pictures Funding, LLC

ノーベル賞学者が参画した「インターステラー」

次に物理学の概念をふんだんに盛り込んだ作品が「インターステラー」(14年公開)である。同作の企画には、重力波の研究で17年にノーベル物理学賞を受賞したキップ・ソーン氏が携わっている。
 
物語の舞台は、環境の変化によって砂ぼこりが舞う近未来の地球。人類は食糧難の危機にひんしており、宇宙開発などの予算は削減され、農業の振興がうたわれている。主人公のジョセフ・クーパー(マシュー・マコノヒー)も元テストパイロットだったが、今では農家だ。ある頃から娘のマーフィー(ジェシカ・チャステインなど3世代3人が演じる)の部屋で、本棚から本が勝手に落ちたり、砂ぼこりが模様を形づくったりする不思議な現象が起こるようになり、その模様から座標を解読したクーパーとマーフィーは消滅したはずのNASA(米航空宇宙局)の基地にたどり着く。
 

ワームホール抜け別の銀河系へ

ここから若干強引な展開なのだが、クーパーは人類を救出するため、宇宙飛行士として人類が居住できる惑星を探しに、ブランド博士(アン・ハサウェイ)らと共に旅立つ。この辺りから、作中ではありとあらゆる物理学の概念や用語が飛び交う。
 
中でも特に重要なのが「重力=グラビティー」だ。太陽系の銀河には人類が住める星はないため、太陽系の外に出なくてはならない。同作では、48年前に重力異常が起き、土星の近くに別の銀河系に移行できる「ワームホール」が発生したという設定になっている。クーパー以前に12人の科学者たちがワームホールを抜けて太陽系とは別の銀河系を目指した。そして、ある一つの銀河系の三つの惑星から、科学者の到着を告げる信号が送られてきたとされている。


U-NEXTで配信中「インターステラー」© Warner Bros. Entertainment Inc.
 

1時間が地球の7年 10歳の娘が33歳に

クーパーたちはその三つの惑星を目指すのだが、最初に到着した惑星は、ブラックホール「ガルガンチュア」の内側を公転しているため、すごく重力が大きい。重力が大きくなるほど時間の進行が遅くなるため、その惑星の1時間は地球の7年にあたるという設定だ。クーパーたちはその惑星で、あるトラブルに見舞われ、数時間を費やしてしまう。その間に地球では23年が経過し、父親のクーパーと別れた時、まだ10歳だった娘のマーフィーは33歳になっているというわけだ。

この後も「相対性理論」「重力場」「4次元、5次元」「ブラックホールの特異点」といった物理学の用語が次々と登場する。運動の第3法則「何かを置いていかないと前には進まない」なんてルールも出てくる。クーパーがブラックホールを抜ける際や、物理学者となったマーフィーが人類を救うための数式も、「重力」から導かれるのだ。

この辺りの展開は、物理学を専門に学んでいる人でなければ容易には理解できないが、ノーラン監督の巧みな演出や俳優たちの熱のこもった演技によって、物理学の高度な概念が人類の行方を左右しているのだということは十分に伝わり、見る者に知的なスリルを与えてくれるのだ。

過去の地球を破壊する未来人「TENET」

一方、20年公開の「TENET テネット」では、同じように近未来の地球が環境破壊によって人類が住めなくなるという設定なのだが、未来の人類は「インターステラー」とは正反対の選択をする。なんと過去の地球(私たちからすれば現在の地球)を破壊し、奪うことをもくろむのだ。そして、ここでも「核」が重要な鍵を握る。
 
現在の地球で、未来人との橋渡し役をしているのがロシア人の武器商人アンドレイ・セイター(ケネス・ブラナー)だ。セイターは核兵器の原料となるプルトニウムを狙っており、そのプルトニウムと、未来人が開発した「アルゴリズム」を使って、地球を破壊しようとしている。それを阻止すべく、元CIA(米中央情報局)工作員の主人公(ジョン・デビッド・ワシントン)たちがセイターと闘う、というのが大筋だ。


 U-NEXTで配信中「TENET テネット」Tenet © 2020 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved.

時間操作が大好き

この作品で重要な要素が、時を未来から過去へとさかのぼる「逆行」だ。「逆行」する技術をセイターも主人公も習得し、同作では幾度も「逆行」のアクションシーンが繰り広げられる。例えば、銃弾は先に対象物にぶつかっていて、そこから拳銃へと収まっていくし、車は前から後ろに走る(戻る?)のだ。
 
ノーラン監督はこのように映画の中で「時間」を操ることが大好きである。初期作品「メメント」(01年公開)では、未来から過去へと逆行するシークエンス(場面)と、過去から未来へと進んでいくシークエンスを交差させ、見る人を驚かせた。また、「インセプション」(10年公開)では、近未来で、他者の夢に潜り込んで、アイデアを盗んだり、植え付けたりする世界を描いたが、その中では、他者の夢から夢へと深く潜行していけばいくほど、時間の進行が遅くなるという「インターステラ―」に似た設定が施されており、それがストーリー展開を左右する。
 

エントロピーの法則、相対性理論

私たちは時間を巻き戻したり速度を変えたりすることはできない。しかし、ノーラン監督は映画の世界でなら、映像や編集を駆使したり、ストーリー展開や設定を工夫したりすることで、時間を自在に操り、時空を超えることができると初期から考えて、チャレンジしてきた。
 
そして、時間を操るには物理学の裏付けが必要になるため、ノーラン監督作品では物理学が常に重要な要素となる。例えば、「TENET」では「エントロピーが減少すると逆再生に見える」「陽電子は時間をさかのぼる」といったセリフが出てくる。エントロピーとは熱力学の概念で、無秩序で混沌(こんとん)とした状態を表す。例えば、コーヒーとミルクは最初は分離しているが、一緒にコップに入れればどんどん混ざっていく。これがエントロピーの大きい状態。これを逆再生すれば、コーヒーとミルクは分離していく。これが「エントロピーが減少すると逆再生に見える」の意味だ。
 
ノーラン監督は単なる思いつきで時間を操っているのではなく、常に物理学で裏付けようとしている。例えば、「インターステラ―」では、相対性理論の「重力は時空をゆがませ、時間の進みを遅らせる」という考え方を基に、重力の違う惑星ごとの時空のゆがみを表現し、それをストーリーに巧みに結びつけている。


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科学の可能性と危うさ ともに見つめ

公開中の「オッペンハイマー」は近未来の話ではなく、過去に実在した人物を描いた作品だが、ここでも、ノーラン監督の時間を操る技が繰り出されている。作中では、「オッペンハイマー(キリアン・マーフィ)が物理学を学び、マンハッタン計画を指揮して原爆を開発する」という第二次世界大戦前の物語と、「戦後になって、政府から共産主義との関係を追及され、原子力委員会議長のルイス・ストローズ(ロバート・ダウニー・ジュニア)と対立する」という戦後の物語が、作品の序盤からクロスして描かれていく。戦前と戦後のストーリーを交ぜ合わせることで、オッペンハイマーという人間の矛盾や苦悩をより多層的に描こうというのがノーラン監督の狙いである。

そして、「オッペンハイマー」では、物理学の英知が巨大なエネルギーを発する兵器の開発に結びついていく過程と、それに関わる科学者たちの心理と苦悩がリアリティー豊かに描かれている。科学者たちは、ナチス政権下でドイツが先に核兵器を開発することを恐れ、全力で核開発を進める。しかし、科学者たちが核兵器を開発した途端、その兵器は科学者たちの腕から奪われ、政治家たちのコントロール下に置かれる。そして、原爆は広島と長崎に投下された。

物理学の概念を駆使してさまざまな作品を生み出してきたノーラン監督は決して科学の持つ可能性を否定していないと思う。しかし、その作品には常に、科学の力を人類がどのように使うのか、ということに対する危機感や、人類が科学の力を正しい方向に使うことへの願いが通底している。映画では、オッペンハイマーが物理学の先達であるアインシュタインと研究所の庭で会話する場面がある。ラストシーンで明かされるオッペンハイマーがアインシュタインに伝えた言葉と、それを聞いたアインシュタインの表情に、ノーラン監督の現代社会に対する警鐘が込められている。ぜひ、それを映画館で目撃してほしい。

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ライター
木村光則

木村光則

きむら・みつのり 毎日新聞学芸部副部長。神奈川県出身。2001年、毎日新聞社入社。横浜支局、北海道報道部を経て、学芸部へ。演劇、書評、映画を担当。

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