「オッペンハイマー」© Universal Pictures. All Rights Reserved.

「オッペンハイマー」© Universal Pictures. All Rights Reserved.

2024.3.29

「恐怖の時代の始まり」だけでいいのか  死者と残された人への視点がない 「オッペンハイマー」:藤原帰一のいつでもシネマ

〝原爆の父〟と称される天才物理学者の半生を描いた「オッペンハイマー」。第二次世界大戦末期、広島、長崎に投下された原爆開発の舞台裏と天才科学者の葛藤を、壮大なスケールで映像化。日本公開までに曲折を経た一方、アカデミー賞では作品賞、監督賞、主演男優賞など7部門を制覇。賛否渦巻く問題作を、ひとシネマが独自の視点で徹底解剖します。

藤原帰一

藤原帰一

原爆を開発したマンハッタン計画の責任者ロバート・オッペンハイマーを描いた映画「オッペンハイマー」、ようやく日本でも3月29日から公開されます。ようやくなどと申し上げるのは理由があります。アメリカなど世界各国では昨年7月に上映が始まりましたが、日本ではながらく公開されなかった。日本では公開されないのではないかという観測も流れました。

 

海外での圧倒的評価 日本でもようやく公開

映画の監督は、クリストファー・ノーラン。「バットマン」3部作や「インセプション」など、優れている上に大ヒットを飛ばしてきた人ですし、原爆開発責任者のお話ですから、どんな映画になるのか、公開される前から評判でした。これも大当たりが予想されたグレタ・ガーウィグ監督の「バービー」と同じ7月21日に全米公開となったことから、観客が多いのはどちらになるかなどと取りざたされ、「バーベンハイマー」などという言葉が生まれました。

そして、日本国外での評価は圧倒的といってもよいものでした。ゴールデングローブ賞で作品賞、監督賞、主演男優賞を含む5部門、英国アカデミー賞7部門、米国のアカデミー賞では作品賞、監督賞、主演男優賞など主要部門を含む7部門を受賞しました。極めて高く評価されたといっていいでしょう。

核兵器への恐怖 広がり受け

映画はその時代の気分、時代精神を反映します。抜きんでて高い評価を得た作品は、単に優れているだけではなく、観客が優れていると感じ、強く思い入れるからこそ評価されるわけですね。また、カンヌ、ベネチア、ベルリンなどの国際映画祭では審査員が受賞作を選びますが、アカデミー賞の場合、映画芸術科学アカデミーの会員、つまりアメリカで映画関係の仕事に従事する人の投票によって受賞作が決まる、いわば映画業界の賞です。かつて米国アカデミー賞11部門を受賞した「ベン・ハー」は、テレビとの競争で観客の減ったハリウッド映画が、テレビでは考えられない大作によって観客を集めることへの願望の表れでした。

「オッペンハイマー」も、アクションやコミック映画化などではないドラマでありながら大当たり、ブロックバスターとなったことが高い評価の背後にあるといっていいでしょう。「メメント」「ダンケルク」や「テネット」に見られるように、クリストファー・ノーラン監督は映像表現が精細な上、映画のなかの時間を極端なほど操作しながら多くの観客を集めることのできる例外的な人ですから、評価されるのは当然だとも思います。

でも、おそらく、それだけではない。核兵器を持っているぞとロシアのプーチン政権が恫喝(どうかつ)するかのような言動を続けるなか、核兵器への恐怖が、少なくとも欧米地域には広がっていることが「オッペンハイマー」への注目の背景にあります。問題は、その恐怖がどのようなものなのかという点にあります。


〝大量虐殺〟受け入れぬ米国

この映画「オッペンハイマー」には原爆投下後の広島・長崎の映像が映っていません。そのことが伝えられたために、映画が公開される前から、この映画に反発する声がソーシャルメディアなどで流れ、報道もされました。広島と長崎における原爆投下の惨状に目を向けない映画に対する反発と言っていいと思います。

原爆投下は一瞬のうちに膨大な数の民間人の命を奪ったばかりか、生命は保っても放射能の被ばくに苦しむ人々を生み出しました。日本では、広島・長崎への原爆投下が、核時代の始まり、核を廃絶しない限りその危険から逃れることのできない核戦争の時代の始まりとして捉えられてきたといっていいでしょう。

アメリカでは原爆投下によって第二次世界大戦が終わった、原爆投下は正しかったという考え方は珍しくありません。実際、1995年にスミソニアン博物館が大規模な原爆展を企画したとき、この原爆展は原爆投下を大量虐殺として描いている、歴史の書き換えだという批判にさらされ、当初の展示は大幅に縮小されました。原爆によって戦争が終わったと信じるアメリカ国民にとって、大量虐殺としての原爆投下は受け入れることのできない議論でした。

私は原爆投下に関する日米の距離を強く感じてきました。アメリカで暮らした小学生のころからそうでしたが、95年スミソニアン博物館の原爆展が実質的中止に追い込まれたときには、そのワシントンにいたこともあって衝撃を受け、「戦争を記憶する」という本を書くきっかけにもなりました。また、私は広島と長崎への原爆投下によって日本政府がポツダム宣言を受諾したとは考えません。ソ連の対日参戦が日本指導部に衝撃を与えたからですが、仮に戦争終結において役割を果たしたとしても、膨大な民間人の殺傷行為を正当化することはできません。

製作動機は「正当化」と無縁

ただ、原爆投下の正当化とか大量殺戮(さつりく)を繰り返すアメリカという切り口でこの「オッペンハイマー」を捉えるのは正確ではない、誤りだと私は考えます。問題点はもっと微妙なものです。

この映画はオッペンハイマーの主観的視点から表現されていますから、原爆投下後の広島・長崎が映っていないからといって、映画表現を批判することはできません。さらに、映画の原作に当たるのはカイ・バードとマーティン・シャーウィンによる評伝「オッペンハイマー」ですが、著者のひとりマーティン・シャーウィンは「破滅への道程」(75年)では原爆開発、日本への投下決定、さらに米ソ対立と冷戦の起源について論じた歴史家であり、また議会やアメリカ世論から反発を招いたために実質的中止に追い込まれた95年のスミソニアン博物館の原爆展を準備した一人でもあります。どう間違っても原爆投下を正当化する人ではありません。

むしろ、クリストファー・ノーラン監督が「オッペンハイマー」を企画した背景には、核兵器の恐ろしさを広く知ってもらいたいという期待が込められていたと思います。そもそもノーランはアメリカ人ではなくイギリス人であり、80年代初めの反核運動が展開されヨーロッパを知っている世代の人です。では原爆を正当化していないのなら、オッペンハイマーはどのように描かれているのか。そして、そこに描かれた原爆投下と、核兵器をめぐる日本と世界の間のギャップはどう考えればよいのでしょうか。


三つのストーリーが相前後して展開

映画のメインストーリーは、若いオッペンハイマーが量子力学の専門家となり、マンハッタン計画の責任者に抜てきされ、ロスアラモスに巨大な研究所をつくって原爆を開発し、45年7月に最初の核実験、トリニティ実験を行うというお話です。トリニティ実験と、その実験によって可能となった広島・長崎への原爆投下によって、オッペンハイマーは戦争を終わらせたヒーローとして持ち上げられることになりました。

原爆開発に成功したために、オッペンハイマーは、アインシュタインによって知られるプリンストン高等研究所の所長にも招かれます。ところがそのとき、招いた人、原子力委員会の委員長ルイス・ストローズが、オッペンハイマーにばかにされた、アインシュタインに告げ口されたと思い込んでしまった。ストローズはオッペンハイマーへの復讐(ふくしゅう)の念に燃え、米ソ対立が激化し、ソ連が核実験を行い、アメリカ国内で赤狩りが進むなか、オッペンハイマーは水爆開発に反対した、かつては共産党と関係があった、機密情報にアクセスすることは認められないなど、オッペンハイマーを排除する先頭に立ちます。

この、ストローズの企てによって窮地に追い込まれたオッペンハイマーを描くのが二つ目のストーリーでして、これにストローズが閣僚就任のための議会公聴会に立たなければならないという三つ目のストーリーが加わります。

映画は、原爆の開発とトリニティ実験、第二次大戦後のオッペンハイマーへの迫害、そしてストローズの議会公聴会という三つのストーリーを、相前後して展開してゆきます。クリストファー・ノーラン監督は映画のなかの時間を操作するのが特技みたいな人ですが、ここでも時間・空間・登場人物の一致を壊すスタイルをとっているんですね。

オッペンハイマーの頭の中にいるよう

映画の視点はオッペンハイマーのものです。戦争映画が主人公の視点から描かれるのはむしろ常套(じょうとう)手段でして、ちょっと考えても「人間の條件」は梶、「地獄の黙示録」はウィラード大尉の視点から描かれていました。ただ、梶もウィラードも、主人公であるばかりか、映画の語り手という役割も担っています。ところが「オッペンハイマー」では、主人公は「語り手」などではなく、映画の中核。オッペンハイマーの目に見えるもの、頭に浮かぶイメージ、聞こえる音、強迫観念までもが、そのまま観客に伝えられますが、その外の世界を描くようなことはしない。主観的表現としても極限的とも言える手法なので、精細な画像と音響によって、観客はオッペンハイマーの頭の中に閉じ込められたような気になってしまいます。

そしてこのオッペンハイマー、感情移入できるような人じゃないんですね。骸骨を皮膚で覆ったような風貌で、自分の知性を過信する傲慢な科学者、相手を思いやることはなく、女性関係は乱脈。頭でっかちのお化けみたいな人です。自分が得意なのは理論だ、工学や数学ではないと繰り返し自分で言うように、人間社会の現実から遊離しているんですが、自分が中心となってつくり出した爆弾が現実の都市に投下されると、その殺戮、破壊に恐怖を覚えながら、その現実に向かい合うことができません。地球の各地で大爆発が起こる映像が、オッペンハイマーの脳裏をよぎるイメージとしては描かれても、恐怖にとらわれるだけなんです。

核廃絶に向けては〝何もしない人〟

核兵器を開発した後のオッペンハイマーは、原爆実験までの過程で発揮した積極的なリーダーシップとは一転して、極めて受動的で、悪く言えば何もしない人になってしまいます。水爆開発に賛成はしませんが、阻止するわけでもない。原爆投下でおびただしい数の人が死んだことへの罪悪感を表すかのように、自分の手は血で汚れているとトルーマン大統領に言いますが、オッペンハイマーが核兵器を廃絶するために力を注ぐことはありませんでした。赤狩りの中で機密情報へのアクセスを奪われていっても運命を引き受けるかのようにするだけで、無抵抗です。

この映画にも描かれているように、原爆投下前にも原爆は実験にとどめるべきだ、使ってはならないと主張する科学者はいましたし、第二次大戦後には核兵器の廃絶や国際管理は科学者によって叫ばれ、後のラッセル・アインシュタイン宣言とパグウォッシュ会議の開催に続いていくわけですが、オッペンハイマーが何かしたわけじゃありません。

戦後は受け身 物語にも力強さ欠く

ナチス・ドイツに先に原爆をつくられないよう、その競争の中で原爆という兵器の正当性に目を向けることのなかったオッペンハイマーが、原爆が実際に使われることで、とんでもないものをつくってしまった、その責任などとりようもないという罪悪感にさいなまれてゆく。オッペンハイマーは殺戮の現場から遠く離れたところで殺戮を引き起こしましたが、終始一貫、現実から目を背け、理解することもない。自分が始めてしまった破壊を前にしてもたじろぐばかりで、核兵器は世界を破滅に導くと考えつつ、その考えは、ごく抽象的で、一般的な恐怖にとどまっています。

感情移入することの難しいキャラクターの視点に観客を引きずり込んだ点において、映画としての「オッペンハイマー」は優れた作品です。ただ、戦後のオッペンハイマーを描く二つのストーリーには力がありません。主人公が受け身の人になった以上それは避けることのできない結果ですが、それに加えて、オッペンハイマーを迫害するルイス・ストローズをロバート・ダウニーJrが小憎らしいほど上手に演じているので、核時代とか米ソ核戦争の危機じゃなくて、オッペンハイマーがストローズにいじめられたというお話になってしまいます。


核実験の「成功」に引き込まれる

戦後の二つのストーリーに力がないためもあって、映画表現の山場は、やはりトリニティ実験、つまり世界で初めての原爆実験が成功したところにあります。その山場は、言ってみればマンハッタン計画のサクセスストーリー。ここに、核兵器への恐怖を伝えるはずのこの映画の逆説があります。

フランソワ・トリュフォーが、戦争を描いた映画はすべて戦争礼賛になってしまうと言ったことがあります。観客はスクリーンに展開する戦争に引き込まれてしまうと言う逆説ですね。私はこのトリュフォーの考えに必ずしも同意しないんですが、この「オッペンハイマー」におけるトリニティ実験は、恐ろしい時代の始まりではなく、ちゃんと爆発してよかったよかったという表現になってしまう。原爆投下を肯定するどころか、最初の核実験の「成功」に引き込まれるんです。

「オッペンハイマー」は原爆投下を大量虐殺として描いていますが、恐ろしい時代が始まってしまったと描くだけにとどまっています。ここにとどまっているからこそ日本の外で高く評価されたのだろうと私は思いますが、「恐ろしい時代の始まり」だけでは、現場で生命を失った人、そして自分ではなくなぜあの人が死んだのか、それが理解できないまま深い罪悪感にとらわれてしまう、サバイバーズギルトにとらわれた人への視点は出てきません。「恐ろしい時代」に具体性がないんです。

あきらめてはいけないはず

日本では核による破滅は抽象的な恐怖ではなく、再び大量殺戮が起こるかもしれないという具体的な恐怖として語られてきました。54年のビキニ環礁の水爆実験が恐怖を与えたからこそ、最初の「ゴジラ」映画が作られました。最近公開された「ゴジラ-1.0」は、その最初の「ゴジラ」に立ち返るかのように、第二次世界大戦における民間人の犠牲、生き残ったものの罪悪感、そして核実験とゴジラの変異が出てきます。原爆で戦争が終わったのではなく、原爆が新しい戦争の時代を開いたという恐怖が、現実の大量殺戮の経験と結びついて語られています。

戦争の記憶は恣意(しい)的な選択と地域文脈性から免れることは難しい。多くの国において、戦争の記憶は、「私たち」の戦争の記憶でした。広島・長崎への原爆投下を中心として第二次世界大戦の公的記憶が共有された日本では、中国戦線から東南アジアや太平洋地域など日本の侵略によって戦場となった地域において、日本軍の大量殺害が第二次世界大戦の記憶として共有されることは少なかったと言っていいでしょう。広島・長崎の経験を中心として第二次世界大戦の犠牲を語ることが、それだけで普遍性を持つとは、私は考えません。

それでも、核兵器の恐怖が一般的な表現にとどまる「オッペンハイマー」と、具体的な犠牲と罪悪感に彩られた「ゴジラ-1.0」における戦争と核との間には距離があります。

これは、「オッペンハイマー」と「ゴジラ-1.0」のどちらが優れているかという問題ではありません。「オッペンハイマー」がアメリカやイギリスで高く評価された背景には、クリストファー・ノーラン監督や俳優、音響効果やカメラなど映画としての抜きんでた技量に加え、現代世界で核兵器が使われることへの危機感があるといっていいでしょう。ウクライナ侵攻後のロシア政府がNATO(北大西洋条約機構)諸国を脅すかのように核兵器について触れていることはご存じの通りです。日本で「ゴジラ-1.0」がつくられた背景にも「ゴジラ」の原点に立ち戻ることを強いる国際政治があったのでしょう。

ただ、その危機感は、原爆開発によって核時代が始まった、もう止めることはできないという受動的なあきらめであってはならない。もっといえば、あきらめることのできる人は、自分が死ぬことを考えていない。「オッペンハイマー」を見て、そんなことを考えていました。

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ライター
藤原帰一

藤原帰一

ふじわら・きいち 千葉大学特任教授、映画ライター。1956年生まれ。専攻は国際政治。著書に「戦争の条件」(集英社)、「これは映画だ!」(朝日新聞出版)など。「映画を見る合間に政治学を勉強しています」と語るほどの映画通。公開予定の新作や古今の名作の見方を豊富な知識を交えて軟らかく紹介します。