「熊は、いない」©2022_JP Production_all rights reserved

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2023.9.23

〝監視対象〟だった元テヘラン特派員が見たイラン映画の「自由への渇望、抑圧への怒り」

誰になんと言われようと、好きなものは好き。作品、俳優、監督、スタッフ……。ファン、オタクを自認する執筆陣が、映画にまつわる「わたしの推し」と「ワタシのこと」を、熱量高くつづります。

鵜塚健

鵜塚健

あの国はなぜ変わらないのか、変われないのか――。公開中のイラン映画「君は行く先を知らない」「熊は、いない」の2作品を通じ、改めて考えさせられた。2009~13年の約4年間、私は中東イランの首都テヘランに特派員として滞在した。帰国後10年もたつが、イラン人が抱える苦悩は当時と全く変わらない。
 
抑圧的な国家体制の下、国民の人権や自由が奪われ、独特の息苦しさが続く。ただ、そんな現実を前にしても、イランの映画人たちは力強さを失わない。巧みなストーリー展開やカメラワーク、時に娯楽性も交え、見る人をスクリーンに引きずり込む。イラン映画のすごさ、深みに感嘆させられる。

家族を送り出す苦悩 「君は行く先を知らない」


「君は行く先を知らない」は、イラン映画の巨匠ジャファル・パナヒの長男パナー・パナヒ監督による初長編作品だ。国境近くまでドライブする家族4人の姿を追ったロードムービーで、長男を外国に送り出す家族の苦悩が時間を追うごとに伝わってくる。
 
終盤、国境付近の村で長男との別れに際し、母親が取り乱すシーンがある。自宅を抵当に入れて資金を作り、家族が納得したうえでの送別のはずだが、具体的な未来も再会の保証もない別離はその重みが違う。現代のイラン人の場合、家族の別れには一定の「覚悟」が伴うのだ。


「君は行く先を知らない」©JP Film Production, 2021

経済制裁、自由抑圧 母国に見切りつける若者たち

私は特派員当時、一時帰国や出張の際にテヘラン郊外の国際空港をよく利用した。そこで印象的だったのは、家族や親族が総出で、若者を見送る光景だった。家族同士で何度も抱き合い別れを惜しむ。多くの若者が向かう先は欧州諸国や米国、豪州などだ。単なる観光旅行や短期留学で向かう人は少なく、長期の滞在を前提とし、「移民」となることも見据える。
 
イランはイスラム革命(1979年)以降、欧米諸国との対立を深め、長くそれらの国から厳しい経済制裁を受け続けてきた。経済状況の悪化が進み、宗教指導者が支配層を占める政府の無策が拍車をかける。教育水準は中東屈指のレベルだが、失業率は高く、若者の絶望は深い。表現や集会、報道の自由も厳しく制限されている。そんな息苦しさから、母国に見切りをつけ、国境を越える若者は今も後を絶たない。現代イラン人の歴史は、移民の歴史でもある。


正規に出国できるのは一握り

私が出会った多くの若者たちが国外を目指していた。仲良くなったテヘラン大卒のエリート学生たちは、能力を生かせる仕事がなく、今も日本やカナダで暮らす。若者だけではない。今も連絡を取り合っている50代の映画撮影助手の男性は、表現の自由がない母国に辟易(へきえき)し、ずっと国外脱出の機会を探っている。最近、大学院で修士号をとり、残りの人生をかけて海外で学びたいと願う。
 
イランには徴兵制があり、外国への出国条件も厳しい。空港から正規の手段で出国できるのはほんの一握りだ。機会に恵まれない大多数の若者たちは、今作品のように非合法な方法であっても国境を越えようとする。
 
「この選択は正しいのか」。今作品では、道中で母親が繰り返し悩む。父親は「これが正しい未来だ」と家族に、そして自分に言い聞かせる。やがて密出国の手配師と接触し、国境の村に向かう途中で迷い、分岐点を前に立ち止まる場面がある。家族が離ればなれになっても、自由で豊かな生活を追い求めるべきなのか。答えのない問いの前で逡巡(しゅんじゅん)する多くのイラン国民を象徴しているように感じた。
 

逃走図る2組のカップル「熊は、いない」



「熊は、いない」は、2組のカップルの行方を追うサスペンスタッチの作品。隣国トルコに逃れ、さらに欧州へと移民を計画する若いカップルが登場し、カメラがその姿を追いかける。それをジャファル・パナヒ監督がイラン国内の辺境の村から指示を出し、映像製作するという設定だ。
 
 
一方で、小さな村の古い因習から逃れようとするもう1組のカップルが登場する。いいなずけとの結婚が予定されていたが、別の男性が現れることで村の一大事に発展。やがてパナヒ監督もトラブルに巻き込まれていく。


「熊は、いない」©2022_JP Production_all rights reserved

報道にも締め付け 記事は全て翻訳、電話盗聴……

イランでは、イスラム体制や政府に対する批判は許されない。不満を持つ若者を描くことも、社会や政治に対する挑戦であり、取り締まりの対象となる。ジャファル・パナヒ監督は、これまでも多くの社会課題に向き合う作品を製作しており、10年には国家の安全を脅かした罪で、20年間の映画製作禁止と出国禁止の判決を受けた。監視下にあっても撮影を続け、今作品の完成直後に再び逮捕された(23年2月に釈放)。今作は国内での上映は禁止されたが、第79回ベネチア国際映画祭で審査員特別賞に輝く。不屈の映画人を世界が再び称賛した。
 
芸術同様、報道への締め付けも強い。私が当時書いたあらゆる記事がペルシャ語に翻訳され、事務所の電話は盗聴されていた。イラン政府に批判的なトーンの記事を書くたびに、メディア担当の役人に呼び出され、「この記事の情報源は誰か」などと詰問された。私の滞在当時も、イラン人記者が逮捕されたり、政府に批判的な現地の新聞社が発行停止処分を受けたりすることがあった。イランで映画や報道に携わるには、並々ならぬ覚悟が求められる。
 
今作に出てくる2組のカップルは、それぞれ国家の統制、村のしきたりに自由を奪われ、苦悩する。「都会の人間の頭痛の種は役人だが、村人を悩ませるのは迷信だ」。村人が語る言葉が意味深い。表題にある「熊」とは一体何なのか。作品の中で、そして自分の世界に置き換えて、考えさせられる。


諸外国にも向けられる批判の矢

父子による2作品の日本国内上映の時期がほぼ重なった。イランのひりひりした現実を伝える目線や手法が世代を超えて継承されていることを強く感じさせられる。そして、厳しい統制下でも告発をやめない映画人のDNAの強さに感服する。
 
こうした社会派のイラン映画が告発する先は、主にイランという体制、国家だろう。ただ、その視線は広く諸外国にも向けられていると私は考える。
 
イランは、ペルシャ帝国以来の長い歴史と文化を誇る国だが、天然資源が豊富な点や、地政学的な重要性から、長い間、諸外国に侵食され、翻弄されてきた。特にイスラム革命以降は、欧米諸国に対立を強めたことから、厳しい経済制裁を受け、国民の生活は打撃を受け続けている。


政府への不信、米追随の「国際社会」にも冷ややか

近年の経済制裁を巡っては、15年に欧米諸国とイランとの間で画期的な国際合意が成立した。イラン側の核開発の減速と引き換えに、欧米側による制裁緩和が実施され、一時はイラン経済に光が差し込み、国民も希望を抱いた。ところが、イランに不信を強めるトランプ米大統領が18年、一方的にこの合意を破棄し、制裁を再び強化したのだ。
 
明らかな国際ルール違反である独善的な行為だが、欧州や日本など諸外国は事実上これに追随した。制裁強化で再び苦しむイラン国民は、政府に対する不信とともに、米国主導の対イラン政策を手放しで支持する「国際社会」も冷ややかに見ている。
 
イランの映画人たちの絶え間ない告発は、そうした重層的な不条理に対する異議申し立てとも言えるのではないだろうか。

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ライター
鵜塚健

鵜塚健

うづか・けん 毎日新聞大阪本社編集制作センター編集部長。1993年毎日新聞社入社。大阪社会部、テヘラン支局長、大阪本社写真部長等を経て2023年4月から現職。著書に「イランの野望 浮上する『シーア派大国』」(集英社新書)、「SNS暴力 なぜ人は匿名の刃をふるうのか」(共著、毎日新聞出版)、「ヘイトクライムとは何か 連鎖する民族差別犯罪」(共著、角川新書)。龍谷大大学院非常勤講師。
 

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