毎週公開される新作映画、どれを見るべきか? 見ざるべきか? 毎日新聞に執筆する記者、ライターが一刀両断。褒めてばかりではありません。時には愛あるダメ出しも。複数の筆者が、それぞれの視点から鋭く評します。筆者は、勝田友巳(勝)、高橋諭治(諭)、細谷美香(細)、鈴木隆(鈴)、山口久美子(久)、倉田陶子(倉)、渡辺浩(渡)、木村光則(光)、屋代尚則(屋)、坂本高志(坂)。
2024.5.17
この1本:「ありふれた教室」 どこで間違ったのか…
スリリングな上に考えさせる、ドイツ製の秀作。一つのボタンの掛け違いから最悪の事態へと転げ落ちていくスリラーであり、悪意なき悲劇であり、今日の教育現場の困難さをあぶり出す社会派作品でもある。ドイツ映画賞で作品賞などを受賞した。
カーラ(レオニー・ベネシュ)は中学校に赴任したばかり。校内で盗難事件が多発していて、カーラのクラスの生徒も疑われてしまう。一計を案じたカーラは、ジャケットに財布を残して席を離れ、その間をパソコンのカメラで隠し撮りする。財布からお金が消え、特徴ある柄のシャツを来た人物がジャケットに手を伸ばす映像が記録されていた。カーラは学校の事務員クーンを疑うものの、顔は映っておらず、クーンは激怒する。
この出来事をきっかけに、みるみるうちに学校の秩序が壊れていく。盗撮が職員室でも不信の芽となる。生徒たちはカーラに反発し始める。学校新聞がスキャンダラスに事件を書き立てる。保護者会でカーラはつるし上げられる。
カーラは優秀で子供思いの良い教師に見える。〝不寛容主義〟を掲げる校長の強引なやり方に異を唱える。クーンの息子で教え子のオスカーが、自分に反対するのにも理解を示す。教員仲間の一方的な意見をたしなめるし、批判されても感情的にならない。それなのに……。
この学校、生徒は自由にモノを言う。職員会議にも出席して発言する。教室には人種や宗教が混在し、日本の学校と比べれば開放的で風通しは良さそうだ。それなのに……。
巧みな脚本と演出で、事態はすべてが自然に悪くなっていく。いったいどこで間違ったのかと、観客は映画を見ながら考えることになる。学校や教師の権威と信頼性が失われたせいか。保護者や子どもたちの人権意識が肥大したせいか。SNSの発達で学校内の出来事が筒抜けになったせいなのか。
映画はいかようにも解釈できる場面で終わる。学校とカーラとオスカーはどうなるのか。教育の理想とは。物語への感慨とともに、思索と疑問がさまざまに広がっていく。イルケル・チャタク監督。1時間39分。東京・新宿武蔵野館、大阪・テアトル梅田ほか。(勝)
ここに注目
カーラにどれだけ理想や情熱があったとしても、隠し撮りという行為は許されるものではない。しかし、やり方を一度間違えたからとて、ここまで彼女は追い詰められなければならなかったのか。教師、生徒、保護者。立場によって見えるものは違い、信じたいと思っている正義は異なることを、チャタク監督は隙(すき)のない脚本とカットのつなぎで表現している。犯人捜しに軸を置いた物語ではなく、正解が示されるわけでもない。あとはあなた自身が考えて、と問いを差し出すようなラストも含めモヤモヤが残る傑作。(細)
技あり
チャタク監督とは3本目のユーディット・カウフマン撮影監督が撮った。いい出来だ。趣味のいい地味な色合いの短いカットで話は進み、まとまりもいい。光の強弱と方向によって撮影監督の意思は分かる。たとえば体育館での授業、天窓からの太陽の流し込みと、全体に午後の柔らかなだいだい色の光が満ちて、とがりがちな子供たちの心情を、短い時間だが和ませた。夜の保護者会は、照明の明暗比を大きくして暗部を多くし、いらだっている親たちの気分をうまく表現した。ドイツカメラ賞2回の腕がさえた。(渡)