毎週公開される新作映画、どれを見るべきか? 見ざるべきか? 毎日新聞に執筆する記者、ライターが一刀両断。褒めてばかりではありません。時には愛あるダメ出しも。複数の筆者が、それぞれの視点から鋭く評します。筆者は、勝田友巳(勝)、高橋諭治(諭)、細谷美香(細)、鈴木隆(鈴)、山口久美子(久)、倉田陶子(倉)、渡辺浩(渡)、木村光則(光)、屋代尚則(屋)、坂本高志(坂)。
2024.11.29
この1本:「正体」 〝5役〟熱演、横浜流星
高校3年生で一家3人を惨殺し、未成年者犯罪厳罰化の流れの中で死刑判決を受けていた鏑木(横浜流星)が脱獄する。犯行現場で凶器を手にしたまま逮捕された上に、生存者の目撃証言もあり、有罪は疑いないと思われていた。事件を担当していた警視庁の又貫(山田孝之)が彼の行方を追うものの、鏑木は変装し仕事を替えて逃走し続ける。逃げる鏑木の生活と周辺の人たちとの関わり、追う又貫と関わった人たちの証言を交互に描くうちに、鏑木が逃走した目的が明らかになっていく。染井為人の同名小説を原作としたミステリー。
映画の見せ場の一つは、鏑木=横浜の変身ぶり。ほぼ1年に及ぶ逃亡生活の中で、獄中の死刑囚から土木作業員、フリーライター、工場労働者、介護施設職員と次々と別人になりすます。そんなにごまかせるものかというご都合主義的な展開は、横浜の熱演が救った。俳優なら容姿や人格を操作するのは当たり前、とはいえ今作では、見かけは別人でも中身は同じ。顔つきや雰囲気、体形もガラリと変えて難役を演じ、彼が出会う人々と関わる中で、〝凶悪な殺人犯〟の本当の姿を説得力をもって浮かび上がらせた。
逃亡生活の必死さを表した身体表現でも奮闘した。刑事に踏み込まれた鏑木がアパートの2階から車の上に飛び降り、そのまま走って逃げて橋から川に飛び込むまでを1カットで見せるアクションなど、目を見張る。
そして物語の背景には、司法の危うさが置かれている。鏑木の事件の真相が少しずつ明かされる一方、鏑木を信頼する編集者、安藤(吉岡里帆)の父親は、痴漢で起訴されながら無罪を主張している。人が人を裁く制度の不完全さ、冤罪(えんざい)の可能性は、元死刑囚、袴田巌さんの無罪判決や検察官の不祥事など、多くの事例が示しているところだ。
逃走劇と謎解きが主眼の娯楽作で、ことさら問題提起しようという鋭さは感じられない。しかし企画から映画化の実現までに時間がかかったそうで、その間に社会の方から接続してきたようだ。藤井道人監督。2時間。東京・丸の内ピカデリー、大阪ステーションシティシネマほか。(勝)
異論あり
感動的である。ドラマチックな展開にひきこまれ、終盤にはハラハラしつつ人間性を信じたくなる。だが、途中何度も湧いた疑問は一向に解消されず、増幅されていく。そもそも、鏑木逮捕の理由が弱い。少年の凶悪犯罪ならなおさらだ。安藤が鏑木の逃走を助けるのも理解しづらい。フリーライター時代の鏑木に肩入れする編集者も謎。逃走にかかわる人たちとの関係を軸にするのはいいが、冤罪や裁判を扱うにはディテールへの配慮は不可欠。エモーショナルな見せ場は、その土台あればこそ、胸を打つのでは。(鈴)
ここに注目
多くの登場人物の人生が絡み合う複雑な話だが、回想シーンを多用した語り口が巧みで、人間ドラマ、サスペンス、ミステリーが濃密に一体化した映像世界に引き込まれる。俳優陣では〝逃亡映画〟に欠かせない追跡者役、山田孝之の感情を押し殺した演技がいい。唯一の難点は終盤、スローモーションの演出や音楽によって情感たっぷりに強調される〝人情〟の押しつけがましさ。とはいえ冤罪事件という題材はタイムリーだし、多義的な意味をはらむ「信じる」をキーワードにした人間模様が胸に迫ってくる。(諭)