毎週公開される新作映画、どれを見るべきか? 見ざるべきか? 毎日新聞に執筆する記者、ライターが一刀両断。褒めてばかりではありません。時には愛あるダメ出しも。複数の筆者が、それぞれの視点から鋭く評します。筆者は、勝田友巳(勝)、高橋諭治(諭)、細谷美香(細)、鈴木隆(鈴)、山口久美子(久)、倉田陶子(倉)、渡辺浩(渡)、木村光則(光)、屋代尚則(屋)、坂本高志(坂)。
2024.11.29
私と映画館:原子野の闇で
江戸時代からの開港地・長崎で育った。産業といえば三菱造船所などで造る軍艦や魚雷と物騒な物ばかり。小学校に入ったのは日中戦争が起きた年で、その頃までは新地の中国人や、グラバー邸付近に住む外国の人とも仲良く暮らしていた。南京陥落祝賀のちょうちん行列をやった翌年、三国同盟の宣伝に来た金髪碧眼(へきがん)のヒトラーユーゲントの行進にあぜんとなった頃から、生活物資は不足し、異人さんとの交流も途絶えがちになる。
家は繁華街で、近所に電気館や喜楽館、松竹座などの映画館があり、場内には売店と臨監席が必ずあった。洋画の記憶は、題名不詳だが、軍縮会議で廃艦になり、実弾射撃の標的にされる軍艦に愛着がある老艦長が、出航前に忍び込み運命を共にするというアメリカ映画。日本映画でいえば「ハワイ・マレー沖海戦」や本物の空母が登場する「雷撃隊出動」など、軍の推薦映画を新築の富士館で見た。
普段、映画館に連れて行ってくれた祖母は「愛染かつら」や「暖流」などを好んだ。内容はよく理解できなかったが、高峰三枝子さんや高杉早苗さんらは美女だと思った。後年、撮影所で本人と会おうとは思ってもいなかった。敗戦後は、中学生にも映画が解放され、せっせと映画館に通った。その帰り、原子野と呼ばれる闇を通る時、幾つもの人魂(ひとだま)が白くまたたいていたのが忘れられない。(映画技術史研究家・渡辺浩)