映画の魅力は細部に宿る。どうせ見るならより多くの発見を引き出し、よりお得に楽しみたい。「仕事と人生に効く 教養としての映画」(PHP研究所)の著者、映画研究者=批評家の伊藤弘了さんが、作品の隅々に目を凝らし、耳を澄ませて、その魅力を「よくばり」に読み解きます。
2024.11.07
「室井慎次」文机の上にある「全集 黒澤明」と「踊る大捜査線」のルーツ
「ノライヌさん?」。警視庁刑事部交渉課課長・小池茂(小泉孝太郎)は犯行グループの主犯格とおぼしき人物に、オンラインゲーム上のボイスチャット機能を通じて語りかける。「踊る大捜査線 THE MOVIE3 ヤツらを解放せよ!」(本広克行監督、2010年)の一幕である【図1】。
【図1】画面中央に位置するキャラクターの頭上にハンドルネームを示す〝ノライヌ〟の文字が見える。「踊る大捜査線 THE MOVIE3 ヤツらを解放せよ!」より
犯人がハンドルネームとして使用している〝ノライヌ〟が、黒澤明のサスペンス映画「野良犬」(1949年)を踏まえたものであることは、冒頭にこれ見よがしに映り込む黒澤の代表作「生きる」(52年)のポスターとのつながりから明らかだろう。
【図2】湾岸署内掲示板に「生きる」のポスターが張り出されている。「踊る大捜査線 THE MOVIE3 ヤツらを解放せよ!」より
「踊る大捜査線 THE MOVIE3」では、湾岸署の引っ越し作業中に署内から拳銃が盗まれるという事件が発生する。筋立ての点から言っても、若い刑事(三船敏郎)が盗まれた拳銃を探す「野良犬」と共通している(ちなみに「野良犬」における「刑事と犯人の表裏一体性」のモチーフはテレビシリーズ第1話「サラリーマン刑事と最初の難事件」で巧みに換骨奪胎されている)。また、主人公の青島(織田裕二)が医者から末期の肺がんである可能性を告げられており、余命宣告を受けた公務員(志村喬)が最後に一花咲かせようとする「生きる」の要素を取り入れてもいる。
「踊る大捜査線」(テレビシリーズの放送は97年。これに続く劇場版を含め、シリーズのほぼすべての脚本を君塚良一が手掛けている)は、先行する名作映画から数々の引用をおこなってきたことで知られるシリーズである。参照される作品は洋の東西を問わず、また実写とアニメーションの別を問わず多岐にわたるが、とりわけ黒澤映画への目配せは際立っている。
第1作のオマージュ「天国と地獄」
「いちばん好きな映画」を問われて返答に窮した経験のある映画ファンは少なくないだろう。これまでに鑑賞してきたあまたの作品のなかからたった1本だけを選び出すのは容易な業ではない。また、相手がその作品を知っているかどうかによって答えを変えることもある(意を決して告げたタイトルが相手に響かず、たいしたリアクションをしてもらえなかった寂しさを知るすべての人に幸あれ)。同様に「いちばんおもしろい映画」を答えるのも難しい。
かくいう私自身も、とうてい1本には絞り込めそうにない。ただし、おもしろい映画を5本挙げていいと言われたら、黒澤明の「天国と地獄」(63年)は確実にランクインする。ともすれば芸術映画の巨匠と見なされている黒澤だが、私にとっては史上最高の娯楽映画作家であり(もちろんその芸術性を否定するものではない)、「天国と地獄」は私が知る限り最高のサスペンス映画である。そして黒澤の「天国と地獄」はまた、よく知られているように「踊る大捜査線」の劇場版第1作「踊る大捜査線 THE MOVIE 湾岸署史上最悪の3日間!」(本広克行監督、98年)が盛大にオマージュをささげていた映画でもある。
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「天国と地獄だ……」。捜査に行き詰まってブラインド越しに窓の外を眺めていた青島は、そこに何かを見とめてハッとした表情を浮かべる(切り返しは周到に避けられており、この時点で彼が何を見たのかは明かされない)。メインテーマ曲「Rhythm And Police」(松本晃彦作曲)が高らかに鳴り響くなか、青島は湾岸署の屋上へと階段を駆け上がる。屋上からあたりを見回すと、煙突から上がっている奇妙な色の煙が視界に飛び込んでくる。風景は突如としてカラーからモノクロへと切り替わり、煙突の煙にだけ色が残る【図3】。これ自体は「パートカラー」という映画においてしばしば用いられることのある技法だが、直後に青島が「天国と地獄だ」とつぶやいて親切に元ネタを明かしてくれる【図4】。
【図3】「踊る大捜査線 THE MOVIE 湾岸署史上最悪の3日間!」より
【図4】「天国と地獄」より
「天国と地獄」の煙の正体は、身代金受け渡し用のカバンに仕込まれた「燃やすと異様なボタン色の煙が出る粉末」である。この細工によって、犯人がカバンを焼却処分した際にその場所がわかるようになっていた。「踊る大捜査線」では、映画の序盤でスモークボール(ゴルフコンペのブービー賞の景品)が和久平八郎(いかりや長介)の手に渡っている。犯人グループに拉致された彼が機転を利かせてそれを燃やしたために、青島による発見につながったのである。和久が捕らわれていた焼却炉にはご丁寧にも「黒澤塗料」と書かれた一斗缶が放置されており、黒澤映画へのオマージュであることを念入りに示している。
【図5】赤色のスモークボールの奥に「黒澤塗料」と大書された一斗缶が置かれている。「踊る大捜査線 THE MOVIE 湾岸署史上最悪の3日間!」より
恩田すみれの決断に「悔いなし」
「天国と地獄」は劇場版第2作「踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!」(本広克行監督、03年)にも顔をのぞかせている。押収品のなかに「天国と地獄」や「砂の器」(野村芳太郎監督、74年)の(時代を感じさせる)VHSが含まれているのである(この作品では「砂の器」から重要なモチーフを取り入れている)。
【図6】「踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!」より
さらに、黒澤映画への目配せは劇場版第4作「踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望」(本広克行監督、12年)にも引き継がれている。劇中には、恩田すみれ(深津絵里)が同僚の篠原夏美(内田有紀)に黒澤明の戦後第1作「わが青春に悔なし」(46年)と「ダーティハリー2」(テッド・ポスト監督、73年)のBlu-rayを返すシーンがある。
すみれは警察を辞めるかどうか悩んでおり、最終的に彼女が下した「悔いのない決断」がストーリー展開上、大きな鍵を握ることになる。ちなみに、「ダーティハリー2」からは「法で裁くことができない犯罪者への警察官による制裁」のテーマを拝借している。
【図7】「踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望」より
引退した室井の前に現れる日向真奈美の娘
「室井慎次 敗れざる者」(本広克行監督、君塚良一脚本、24年)は、劇場版第4作から12年を経て公開された「踊る大捜査線」の最新のスピンオフ映画であり、間もなく公開される「室井慎次 生き続ける者」との2部作構成になっている。「敗れざる者」では、警察の職を自ら辞した室井慎次(柳葉敏郎)が、故郷の秋田に帰っている。室井は里親となった2人の子ども(斎藤潤、前山くうが/こうが)とともに穏やかに暮らしていたが、自宅のすぐ近くで死体が発見され、いや応なく事件に巻き込まれていくことになる。
同時に、劇場版第1作と第3作に登場したサイコパスの殺人犯・日向真奈美(小泉今日子)の娘・日向杏(福本莉子)が室井のもとを訪れ、平穏だった彼の日常をかき乱す。日向真奈美の造形は、アカデミー賞主要5部門を独占した「羊たちの沈黙」(ジョナサン・デミ監督、91年)に登場する猟奇殺人犯ハンニバル・レクター(アンソニー・ホプキンス)に由来する。本作ではその彼女がひそかに獄中出産しており、娘がいたという設定が採用されている。
表向きは素直ないい子を演じている杏だが、里子たちにウソの情報を吹き込んで室井への不信感をあおったり、室井の不在時に彼の自宅を探り回ったりと、不穏な動きを見せる。その際、室井の文机の上に「全集 黒澤明」が置かれているのがチラリと映り込む。シリーズのこれまでの流れを考えれば、最新作に黒澤明への目配せが仕込まれていることは特段不思議ではない。
「史上最高の娯楽映画」系譜を継ぐのか
「目配せ」と言っても「引用」と言っても「オマージュ」と言っても「パロディー」と言っても「パスティーシュ」と言っても、あるいはそれ以外の別の言い方をしてもいいが(この文脈では特に区別する必要がない)、それが作中で有効に機能しているかどうか(作品内容とどのように関わるのか)によって、おのずと質的な違いが生じる。これまでのシリーズ作品では、(それがうまくいっているかどうかははともかくとして)言及している先行作品との間にストーリーやモチーフ上の強いつながりがあったが、「敗れざる者」を見た限りでは、特に黒澤明の名前を持ち出す必然性には思い至らなかった。
「引用」や「オマージュ」にはさまざまな効果がある。たとえば、(ときにユーモアを交えつつ)先行する偉大な作品に敬意を表し、その衣鉢を継ぐ覚悟を示すことができる。「踊る大捜査線」シリーズが実践してきた数々の引用の真骨頂もまたそこにある。史上最高の娯楽映画作家たる黒澤明の系譜に連なるべく、エンタメ路線のど真ん中を歩み続け、(ときに社会性や時事性を塗しながら)徹底しておもしろさを追求してきたのが「踊る大捜査線」シリーズである。「踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!」が依然として日本の実写映画における歴代興行収入1位(173.5億円)の座を守り続けているのは、その結果にほかならない。
「敗れざる者」がまいた黒澤明という伏線の種を、「生き続ける者」はいかにして回収するのか(あるいはしないのか)。「踊る大捜査線」シリーズの矜持(きょうじ)の行く末を、心して見届けたい。
図版の引用元は以下の通り。
【図1、2】「踊る大捜査線 THE MOVIE3 ヤツらを解放せよ!」本広克行監督、2010年(DVD、ポニーキャニオン、2011年)
【図3、5】「踊る大捜査線 THE MOVIE 湾岸署史上最悪の3日間!」本広克行監督、1998年(DVD、フジテレビジョン、2003年)
【図4】「天国と地獄」黒澤明監督、1963年(DVD、東宝、2003年)
【図6】「踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!」本広克行監督、2003年(DVD、ポニーキャニオン、2004年)
【図7】「踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望」本広克行監督、2012年(DVD、ポニーキャニオン、2013年)