失語症を理由に引退を表明した、ブルース・ウィリス。1980年代からアクション、スリラー、コメディーやシリアスドラマまで、ジャンルをまたにかけた作品で、映画ファンを楽しませてくれた。大物感とちゃめっ気を併せ持ったスターに感謝を込めて、その足跡と功績を振り返る。
さよなら、ありがとう ブルース・ウィリス
先日、惜しまれつつ失語症による引退を発表したブルース・ウィリス。そのブルース・ウィリスが出演するアクション映画の代表作といえば、「ダイ・ハード」シリーズを思い浮かべる方が多いと思うが、特に女性にはキャリア円熟期の快作「RED/レッド」(2010年)を推したい。 キャリア円熟期 若手を蹴散らす快作 理由は主に二つ。 一つは、RED、正式には「RETIRED EXTREMELY DANGEROUS」、つまり「引退した超危険人物」と呼ばれるかつての精鋭たちが、若手のエージェントを蹴散らす痛快さ。 身体能力や視力、聴力、反射神経といったエージェントに必要不可欠な肉体的な能力は、年を重ねると衰えていくものだが、彼らは体が動かなくなった分を、経験で補う。 対峙(たいじ)する若手エージェント(カール・アーバン)が、身体能力の高さを誇示するように全速力で疾走するなど、動きのあるシーンが多いのに対して、ブルースをはじめとするREDの面々は、敏捷(びんしょう)ではなくても少ない動きで成果をあげる。効率的でプロフェッショナルなのだ。 そしてもう一つは、ブルース・ウィリスというイケオジが恋する可愛い男を演じていること。現役感があってかっこよく、たまに見せる包み込むような優しいまなざしに引き込まれてしまうのだ。 実年齢に近い、引退した元CIAエージェント 元CIA(米中央情報局)エージェントで今は静かな独身年金生活を送るフランク(ブルース・ウィリス)は、ある晩自宅で謎の部隊に命を狙われる。ある暗殺リストに自分の名前があることを知り、全米に散ったかつての仲間たちを招集し、現役のエージェントと対峙することになる、というストーリー。 映画のはじめの方で、田舎でのんびりと暮らすフランクが、年金事務所の電話担当のサラ(メアリー・ルイーズ・パーカー)に思いを寄せ、話をしたいがために「小切手が届いてない」と苦情を言って、自らきっかけを作る。 おそらく仕事柄、恋愛からは遠ざかっていたであろうフランクのサラを見るまなざしといい、CIAに捕まったサラの安全を保証させるための交渉や行動といい(こちらは他の目的もあり一石二鳥を狙っているのですが)、一生懸命になる男の姿はカッコイイのである。 受けの演技にもスターの貫禄 10代の頃から同年代よりも年長の俳優に魅力を感じることが多かった自分にとっては、この映画のブルース・ウィリスは、今見てもとても魅力的。それまでの人生経験が表情に表れ、年齢を重ねて円熟味を増しつつも老け込んでおらず、ユーモアと知的な色気も感じさせる。 ストーリーに詰めの甘さもあると思うが、バックグラウンドが違う個性豊かな俳優たち(モーガン・フリーマン、ジョン・マルコビッチ、ヘレン・ミレン、ブライアン・コックスら)との演技合戦は、アクションと同じくらい見応えがあるし、彼らをまとめプロ集団のコアとして存在するブルース・ウィリスは、スターの貫禄を感じさせる。 アクション以外での彼の魅力は、バランサー的な主役が演じられる点と、受けの演技にあると思う。だからこそ、オムニバス映画「フォー・ルームス」などにもお声がかかるのだろう。「RED」では、同年代でクセのある役者たちとの演技のダンスを楽しい気分で見ることができる。 ブルース個人のアクションは「ダイ・ハード」で、アンサンブルの中で魅力が光るブルースに興味を持った方は、ぜひ「RED」を見てほしい。1粒で2度おいしい、を地で行くブルースの魅力を堪能できるとともに、明るい気分でエンドクレジットを迎えられるだろう。 「RED/レッド」 ブルーレイ発売中、デジタル配信中 発売:ウォルト・ディズニー・ジャパン © 2022 Summit Entertainment, LLC. All Rights Reserved.
後藤恵子
2022.5.27
1991年11月、毎日新聞学芸部記者だった野島孝一さんは、来日したブルース・ウィリスに単独インタビュー。同年12月3日、毎日新聞夕刊芸能面に掲載されたインタビュー記事を再掲しよう。 新作「ラスト・ボーイスカウト」のキャンペーンで来日したブルース・ウィリスが、単独インタビューに応じた。さすがの「ダイ・ハード」(なかなか死なないヤツ)のウィリスも強行日程には勝てないらしく、長いすに横になったままの受け答え。それでも写真を撮る時はシャキッとして、独特の表情に戻った。 ――「ラスト・ボーイスカウト」はせりふがユーモラスですね。しゃべりながら、思わず噴き出してしまうことはないですか。 「それはあったさ。NGになったこともある。こういうヘビー・アクションは息抜きが必要なんだ。この脚本は良く書けていて、笑いもバランス良く入っている」 ――今度はぶんなぐられるシーンが多い。 「痛さを見せないのがハードボイルド、男の美学なんだ」 ――この作品もハラハラするようなシーンがあります。けがしたことはないのですか。 「擦り傷ぐらいはあるが大きなけがをしたことはない。本当に危険なように見せているのさ」 ――夫人のデミ・ムーアと共演した「愛を殺さないで」では、女にだらしない嫌な男の役をやっていますが、けっこう楽しんでいる? 「そう。私はいろいろなキャラクターを楽しみながらやっているよ。あの男のようなヤツは若いころに知っていた」 ――あの作品はデミ・ムーアのプロデュースですが、プロデュースや監督をやる気がありますか。 「プロデュースはやったことがある。監督はやる気になれない。一年間も時間を取られるのはごめんだ」 ――今回はミュージシャンとして演奏活動もしました。 「うん、ハーモニカとボーカルをやっている。リズム&ブルースが大好きだ」 ――仕事のないときは、何をしていますか。 「娘が幼稚園なんで、車で送り迎えをしたり、本を読んでやってベッドに寝かせたり」 ――それじゃあ、家庭ではナイス・パパですね。 「まあ、そうさ」
2022.5.26
ブルース・ウィリスが初来日した1991年11月、当時毎日新聞学芸部の映画担当記者だった野島孝一さんがインタビューしている。ここでも大物ぶりを遺憾なく発揮。記者を驚かせたインタビューを振り返ってもらった。 「ラスト・ボーイスカウト」© 1991 Warner Bros Entertainment Inc. All Rights Reserved. 取材部屋に入ったものの……あれ、どこいった? 失語症で引退を表明したブルース・ウィリスにインタビューしたのは、1991年の初冬だった。「ダイ・ハード」(88年)、「ダイ・ハード2」(90年)で世界中の人気をさらったアクション大スターが、新作「ラスト・ボーイスカウト」のキャンペーンで来日した。こちらも張り切って取材しなければならない――と、勇んでホテルの一室に案内されたまではいい。あれ? ブルースどこへいっちゃったんだ。見れば、カウチに寝そべっている。「やあ、ちょっと腰が痛くてね。寝たまま失礼するよ」。ええーっ。寝たままインタビューかよ。と思ったが、これも仕事だ。 ――「ラスト・ボーイスカウト」はせりふがユーモラスですね。しゃべりながら噴き出したりすることはありませんでしたか? それはあったさ。NGになったこともある。こういうヘビーアクションは息抜きが必要なんだ。この脚本はよく書けていて、笑いもバランスよく入っている。 「ラスト・ボーイスカウト」はトニー・スコット監督作品で、脚本はシェーン・ブラック。ブルース・ウィリスは私立探偵を演じた。シェーン・ブラックの脚本には、当時最高額の175万ドルが支払われたという。せりふも相当おもしろかったに違いないが、残念ながらまったく覚えていない。トニー・スコット監督は、リドリー・スコット監督の弟で「トップガン」などのヒット作がある。 精悍で髪もふさふさ スクラップブックを見ると、わりにまともにインタビューした記事が残っている。しかし、実際には寝たきりの相手とインタビューするのは、かなり調子が狂った。 もっと調子が狂ったのは、いつのことか覚えていないが、ブライアン・デ・パルマ監督をインタビューしたときだった。なんとインタビュールームに入ると、デ・パルマ監督はハンディーカメラをこっちに向けて撮影している。そのうちにこっちを向いてまともに相手してくれるだろうと思っていたのだが、一向に撮影をやめてくれない。とうとう最後までカメラ越しのインタビューになってしまった。あんなにやりにくかったことはない。 ブルース・ウィリスのインタビューに戻るが、もう30年も前のことだったので、ブルースは精悍(せいかん)で、髪もふさふさしていた。「ダイ・ハード」ではほとんどスタントを使わなかったと聞いていたので、アクションについても聞いてみた。 ――今度(ラスト・ボーイスカウト)は、ぶん殴られるシーンが多い。 痛さを見せないのがハードボイルド。男の美学なんだ。 おーっ、かっこいい。通訳がどなただったか覚えていないが、もしかしたら戸田奈津子さんか、あるいは竹内まりさんだったかも。いずれにせよ、名訳だ。 「ラスト・ボーイスカウト」© 1991 Warner Bros Entertainment Inc. All Rights Reserved. なんだ、起きられるじゃねえか ――プロデュースや監督をやる気はありますか? プロデュースはやったことがある。監督はやる気になれない。1年間も時間を取られるのはごめんだ。 音楽活動について聞くと、「ハーモニカとボーカルをやっている。リズム&ブルースが好きなんだ」 インタビューが終わり、毎日新聞社のカメラマンが写真を撮る段になると、寝ていたブルースはむっくりと起き上がり、にっこり笑った。 なんだ、起きられるじゃねえか。 その晩、ブルースは六本木でリズム&ブルースを熱演したそうだ。 「ラスト・ボーイスカウト」DVD(1572円) 発売元:ワーナー・ブラザース ホームエンターテイメント 販売元:NBC ユニバーサル・エンターテイメント
野島孝一
ブルース・ウィリス全盛期の1990年代から2000年代初めにかけて、日本市場はハリウッド映画の大得意のお客さんだったから大物スターがこぞって来日し、宣伝に精を出したものだった。ウィリスも「ダイ・ハード」(88年)の配給収入(興行収入から劇場側の取り分などを除いた売り上げ)が11億8000万円、「ダイ・ハード2」(90年)が32億円とヒットを連発していたから、当然来日の声もかかったはずだ。 取材嫌いがついに日本へ しかしウィリスは取材嫌いだったようで、来日が実現しない。そんな彼が初めて日本を訪れたのは、ワーナー・ブラザース配給の正月映画「ラスト・ボーイスカウト」の公開に合わせた1991年11月だった。当時宣伝会社で本作を担当したのが、元宣伝マンAさんである。ウィリスはなぜかバンドを同行させて来日、Aさんを驚かせる。数々の武勇伝を残した大スターの、日本上陸記を回想してもらおう。 「ラスト・ボーイスカウト」© 1991 Warner Bros Entertainment Inc. All Rights Reserved. 愛すべきちゃめっ気とロマンチシズム 村山章 仰天! カウチに寝たままインタビュー 初来日取材記 野島孝一 「ダイ・ハード」では来なかったのに 70年代から多くのハリウッドスター来日を担当したAさんだが、このタイミングでのウィリスの来日には首をひねった。 「『ラスト・ボーイスカウト』は本人が気に入ったんじゃないですか、来ることになった。前の年に公開された『ダイ・ハード2』では来なかったくせに、なんで今ごろ、って思ったもんです」 到着の3日ほど前になって、ワーナーに「バンドを連れて行く」と連絡が入る。ブルースバンドの「レッド・デビルズ」を同行させるというのだ。「映画の宣伝なのに、なんでバンド?」と面食らいながらも空港に迎えに行くと、Aさんは「楽器を積んで、バンドのメンバーと一緒の車に乗ってくれ」と指示される。ウィリスが乗ったリムジンの後に続いたバンの中、通訳もなく片言の英語での音楽談議とエアギター演奏でつなぐこと1時間半。無事、赤坂の宿泊先へ送り届けた。「冷や汗ものでしたよ」 さて当のウィリスは、到着の翌日、11月13日が取材日。宿泊先に隣接する別館で記者会見が設定されていたが、その会場までの数十メートルを移動するのに車を所望する。そして、昼すぎの会見開始時間に40分ほど遅れながら、悪びれることなく堂々と登場。会見の様子が、翌日付の毎日新聞朝刊で報じられている。ハリウッドスターの来日会見がニュースになることなどめったにない。ここにも大物ぶりがうかがえる。 「どうもアリガトウ」と日本語であいさつして機嫌良く会見をこなし、新聞や雑誌のインタビューに応じる。ここでは取材した記者を仰天させるのだが、その顚末(てんまつ)は、当時毎日新聞学芸部で映画記者だった 野島孝一さんの原稿 に譲ろう。 ブルースハープを見事に演奏 取材をこなしたウィリス、夜になって六本木の二つのクラブでレッド・デビルズとステージに立った。Aさんはスポーツ紙に取材させるため、記者を連れて同行した。「歌をちょっと歌って、ブルースハープも吹きました。歌はお世辞にも上手とは言えませんでしたが、ブルースハープの方はなかなかでしたよ。気持ちよさそうに演奏していました」 ウィリスは自らもR&Bのバンドを組み、アルバムを出すほど音楽活動にも熱を入れていた。「『ラスト・ボーイスカウト』のための来日にかこつけて、『レッド・デビルズ』の売り込みをしたかったんじゃないですかね」 来日から1カ月後、12月21日に正月映画として鳴り物入りで公開された「ラスト・ボーイスカウト」は、意外に振るわず配収5億9000万円。数々の大物スターを相手にしたAさんだが、「ブルース・ウィリスほど予想がつかなくて、ヒヤヒヤさせられた人も少ないですよ。引退するとは、残念ですねえ」と懐かしむのである。 「ラスト・ボーイスカウト」DVD(1572円) 発売元:ワーナー・ブラザース ホームエンターテイメント 販売元:NBC ユニバーサル・エンターテイメント
ひとシネマ編集部
2022年の3月30日、ブルース・ウィリスが俳優業からの引退を表明した。67歳で引退というのは、キャリアとしては遅いわけでも早いわけでもない印象だが、理由が失語症という発表はわれわれ映画ファンを驚かせた。近年のウィリスが、日本では劇場未公開のB級アクションが多いとはいえ、ゴールデン・ラズベリー賞でネタにされるほど膨大な数の映画に出演しまくっていたからだ。 特集:さよなら、ありがとう、ブルース・ウィリス記事一覧 「ダイ・ハード」 「こちらブルームーン探偵社」のお気楽キャラから一転、「ダイ・ハード」のアクションへ 日本でブルース・ウィリスが最初に認識されたのは、1986年にNHKで放送されたドラマシリーズ「こちらブルームーン探偵社」(アメリカでの放送開始は85年)だった。この恋愛劇とナンセンスな笑いをミックスさせたコメディー番組で、ウィリスはちゃらんぽらんな探偵デイブ・アディスンを演じて注目を浴びた。本気なんだかふざけているんだかわからないお気楽なキャラは、どこか植木等の無責任シリーズにも似ていて、吹き替えを担当した荻島真一の名調子もあいまってその憎めない持ち味に夢中になったのを覚えている。 とはいえブルース・ウィリスが世界的な映画スターになったきっかけが、88年の「ダイ・ハード」であることに異を唱える人はいないだろう。別居中の妻に会うためにロサンゼルスにやってきたニューヨークの刑事が、妻の職場を占拠したテロリスト集団に立ち向かうハメになるこのアクション映画は、ウィリスにアクションスターのイメージが皆無だったからこそ成功したと思っている。 傷つきボヤき、必死の活躍に思わず「がんばれ!」 もともと「ダイ・ハード」の主演候補には、原作の映画化権に関連していたフランク・シナトラは高齢過ぎたとしても、シルベスター・スタローン、クリント・イーストウッド、メル・ギブソン、ハリソン・フォードなど当時の第一線のハリウッドスターが挙がっていた。ウィリスに白羽の矢が立ったのは名だたるスターたちがオファーを蹴った結果だろうが、ウィリス以外の誰が引き受けていてもまったく別のテイストの作品になっていたに違いない。 ウィリスが演じたジョン・マクレーンは職業こそ刑事だが、マッチョなヒーローとは程遠く、「なんでこんなことに……」とボヤきながら、裸足で駆け回って傷だらけになり、必死で頭を働かせ、できる範囲の最大限をやることで、かろうじて事件を解決に導く。ハリウッドのアクション映画の大半は「最後は悪党がやっつけられてめでたしめでたし」という安心感と共に楽しむものだが、それでもなお、観客はウィリスの一挙手一投足に注目し、「がんばれ、がんばれ!」と応援せずにはいられなくなるのである。 アメリカでの「ダイ・ハード」の大ヒットは、主に口コミによるものだった。当時はまだテレビを映画よりも格下に扱っていた時代で、ウィリスの名前に映画スターとしてのバリューがなかったからか公開週の興行成績はかろうじて3位に過ぎなかった。しかし作品の圧倒的な面白さから息の長いヒット作となり、最終的には88年の全米公開作で7位の興収をたたき出した。 「ダイハード」シリーズはディズニープラス「スター」で配信中 © 2022 Twentieth Century Fox Film Corporation. All Rights Reserved. 高校時代、旅行先で目からウロコの映画体験 当時高校生だった筆者は、たまたま88年の夏休みにアメリカ旅行する機会を得て、滞在先の知人に頼んで「ダイ・ハード」をやっている映画館に連れて行ってもらった。単に「こちらブルームーン探偵社」を見ていたからで、アクション映画らしいという程度の情報しか持ち合わせていなかったが、仰天し、興奮し、夢中になった。また平日のマチネー興行で観客はまばらだったが、大声で笑い、歓声を上げ、クライマックスでは拍手喝采するというアメリカ的映画鑑賞の洗礼を受けて、なんと映画とは幸せなものかと目からウロコが落ちるような体験をした。 日本に帰ってすごい映画を発見したと吹聴して回ったものの、気がつけば「ダイ・ハード」はあれよという間に大人気作となり、いまでは史上最高のクリスマス映画のひとつとして語られ続けている。「自分だけが知っている」なんて小さな優越感はたちまち雲散霧消したわけだが、あれだけ面白いのだから映画もウィリスも大ブレークするのは必然だったろう。 自分の色に作品を塗りつぶさない ハリウッドスターとしては非常に珍しいケースだと思うのだが、ウィリスは自分の色で作品を塗りつぶすことがない。「アルマゲドン」の地球を救うために宇宙に飛び立つ掘削職人も、「パルプ・フィクション」の八百長ボクサーも、「シックス・センス」の霊視少年を支える精神科医も、作品に応じて渋味や深刻さが多少変わるものの、ぶっちゃければ演技の幅が広いわけではない。逆に言えば、どんなジャンルでも、作品の持ち味や監督の作風にすんなりとハマってしまうのだ。 おそらくウィリスの代表作は永久に「ダイ・ハード」のままだろう。彼が演じてきた役で「ダイ・ハード」のジョン・マクレーン刑事ほど替えのきかないキャラクターはいないからだ。しかしウィリスの偉大さは、むしろ他の出演作が証明していると言える。中でも世界観の緻密さで知られるウェス・アンダーソン監督の「ムーンライズ・キングダム」は、ウィリスのフィルモグラフィーでも異色だが、ウェス・アンダーソン特有のアートな絵作りでも映えるウィリスの魅力が堪能できる。 「ムーンライズ・キングダム」©2012 MOONRISE LLC. All Rights Reserved. R&Bアルバムもリリース 憂い帯びた歌声 もうひとつ、ウィリスの親しみやすさが感じ取れるのが、日本ではあまり知られていない音楽活動。リズム&ブルースに傾倒していたウィリスは80年代後半にモータウンから2枚のアルバムをリリースしており、テンプテーションズをゲストに迎えてドリフターズの「アンダー・ザ・ボードウォーク」をカバーするという、黒人音楽のファンには夢のようなことを実現させている。 また「こちらブルームーン探偵社」の劇中ではヤング・ラスカルズの60年代のヒット曲「グッド・ラヴィン」をカバーし、歌だけでなくブルースハープの腕前も披露していた。多分に趣味的なもので、音楽史に残る偉大なシンガーとは言わないが、ウィリスらしい陽気なちゃめっ気とロマンチシズム、そしてほんのりと憂いが宿ったとても魅力的な歌声だと思っている。 「ムーンライズ・キングダム」DVD(1320円)とブルーレイ(1980円)はハピネット・メディアマーケティングから販売中。
村山章
2022.5.25
「ダイ・ハード」「RED」 そして1991年初来日 ブルース・ウィリスが失語症の診断を受けて引退する意向、とのニュースが世界を駆け巡った。2022年3月30日に親族が発表した声明によると、認知能力に影響が出て、熟慮の末の決意という。出演作の興行収入は全世界で50億ドルを超えるそうだ。「ダイ・ハード」を嚆矢(こうし)とするアクション、SF大作「アルマゲドン」、「シックス・センス」「アンブレイカブル」などM・ナイト・シャマラン監督のスリラー、「隣のヒットマン」といったコメディー。出演作リストには大ヒット作もあれば少なからぬ失敗作も並ぶ。年間最悪映画を選ぶ米ゴールデン・ラズベリー賞の常連(疾病の公表により事務局が取り消しを表明)だったのは、広く愛された証しだろう。 ひとシネマは、映画の楽しみを教えてくれた大スターに感謝と惜別の思いを送ります。ありがとう、そしてさようなら、ブルース・ウィリス。 愛すべきちゃめっ気とロマンチシズム 村山章 ダイ・ハード©2022 Twentieth Century Fox Film Corporation. All Rights Reserved. カウチに寝たまま!? 1991年11月初来日取材記 野島孝一 ブルース・ウィリス インタビュー 殴られても痛さ見せないのが男の美学 1991年12月3日毎日新聞夕刊 バンドを連れたご一行さま 元宣伝マンが語る大物伝説 ラスト・ボーイスカウト©1991 Warner Bros Entertainment Inc. All Rights Reserved. イケオジ好き女子がお薦め「RED/レッド」 後藤恵子