誰になんと言われようと、好きなものは好き。作品、俳優、監督、スタッフ……。ファン、オタクを自認する執筆陣が、映画にまつわる「わたしの推し」と「ワタシのこと」を、熱量高くつづります。
2024.7.03
まだ見ぬ未来の家族像のイメージとして「ディア・ファミリー」劇場からすすり泣く声が止まらなかった
劇場からすすり泣く声が止まらなかった
心臓病を患う次女、佳美を救うため、父親である宣政が人工心臓をつくるという挑戦の物語。物語の結末だけをみると、決して明るいお話ではないはずなのに、温かな涙が止まらなかった。それは最初から最後まで、父の情熱と、周囲の人々の愛情がずぅっと乗っかっていたからだと思う。その証拠に終始劇場からもすすり泣く声が止まらなかった。みんなきっとさまざまにそれぞれの大切な人を思い浮かべていたのだろう。
思い浮かべたのは自分の父親の顔
かくいう私が真っ先に思い浮かべたのは自分の父親の顔だ。というのも普段は福岡と東京、離れて暮らしているが、今作を見た日の朝、たまたま空港で一緒に食事をしていた。思い返せば、子どもの頃は私をホラー映画の怖いシーンを見せてからかったり、絵本をでたらめに読み聞かせしたり・・・・・・とにかく子どものような父だった。それが離れて暮らすようになってからは会うたびに話が止まらなくなり、毎度ビジネスパーソンとしての情報交換会が開かれている。不思議なのはお互いの状況が違っても、父と自分は近い考えかたのもと生きているということだ。めったに会えないこともあり、父は日々感じている自分の思いをさらけ出してくれる。そうして私たちは唯一無二の戦友のようになっていった。父とは長い年月をかけて共に成長していったのだ。常々、その後ろで手綱を握るのは母であったとも思う。父は母によく相談をし、同じく私も日々の出来事に伴う感情の機微を頻繁に報告・相談していた。母はいつもただ否定も肯定もせず忍耐強く聞いてくれた。我々は同じ母のもとですくすくと育った親子なのだ。
家族というチーム
話は戻り、今作から特に感じたのは、家族とは人生における何か共通のテーマを持って集まったひとつのチームなのではないかということだ。少なくとも坪井家はそうだ。次女の難病という課題に対して、父がエンジンとなってチームを動かし母や娘たちが時々給油する(勝手ながら母の度々のお茶を出すシーンと重なり、ちょっと笑える)。更にその後、娘の命以上に世のため人のため、〝娘と共に〟多くの人の命を救うという視点に広がっていく。人工心臓からバルーンカテーテルの開発にシフトして実際に実用化されたIABP(大動脈内バルーンパンピング)はその後世界中の命を救い続けることとなる。
私は正直なところ、愛する家族か? 世界を救うのか?とてんびんにかけられるような物語に対してどこか既視感があると思っていた(それはそれで毎回心つかまれるのだが!)。しかし今作では悩ましい選択ではあるが、悲劇ではないと心から腑(ふ)に落ちる描かれ方をしているところが印象的だった。家族というチームが行き着く先に世界が在るのだということを示してくれたのだ。身近な大切な人を亡くしてしまった人たちにとっても、心に寄り添った展開になっていると感じた。
30代未婚女子として
鑑賞後、自分が母親だったら? 生まれた子が誰も治せない難病をかかえていたら?という問いについて考えた。正直、ホントのところは当事者にならないと分からない。しかし、長い人生何が起こるか分からない。善きに向かうためには常にあがくしかないと感じた。あがいた先に新しい答えが見えてくる。今作で、決して諦めない父親である宣政さんを知り、〝最善を尽くす〟という言葉はきっとこういうことだと思った。 30代未婚女子としてまだ見ぬ未来の家族像のイメージとして非常にインスピレーションを受けた作品となった。