©2024「ディア・ファミリー」製作委員会

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2024.6.29

元ヤングケアラーの町亞聖が観た「ディア・ファミリー」「人生は長さではなく深さ」命の限りと向き合う・・・・・・

誰になんと言われようと、好きなものは好き。作品、俳優、監督、スタッフ……。ファン、オタクを自認する執筆陣が、映画にまつわる「わたしの推し」と「ワタシのこと」を、熱量高くつづります。

町亞聖

町亞聖

長女の自分の姿に重なりました

開発まで何十年もかかると言われる中で娘のために人工心臓の開発に挑み、一度は挫折しながらも日本初のIABP(大動脈内バルーンパンピング)バルーンカテーテル実用化に成功した父親と家族の物語「ディア・ファミリー」を妹と観(み)てきました。妹と2人で映画を観るのは本当に久しぶりでしたが、実は私たち姉妹も20代の時に家族の<命の限り>と向き合った経験があります。私の母は40歳という若さでくも膜下出血で倒れ、右半身まひと言語障害という重度障害を負い車椅子の生活を送っていました。今から30年以上前のこと。私は高校3年、弟は中学3年、妹はまだ小学6年で、最近注目されるようになったヤングケアラーの当事者になりました。

さらにその母に末期の子宮頸(けい)がんが見つかり闘病していた時のことが走馬灯のように蘇(よみがえ)りました。川栄李奈さん演じる姉の奈美が妹の方を見ずにお茶わんを洗いながら涙を流すシーンがありましたが「お母さんの前では絶対に泣かない」と18歳の時から妹弟の母親代わりとして歯を食いしばって頑張っていた長女の自分の姿に重なりました。

守りたい人がいるからこそ強くなれる

心臓病を患う次女佳美のために「俺が諦めたら終わり」と果てしない闘いに挑む父親の宣政も、「私の命は大丈夫」と言えた佳美も精神的に強靭(きょうじん)な人物に見えるかもしれませんが、人間は初めから強いわけではありません。守りたい人がいるからこそ強くなれますし、強くならざるを得ないということを私は知っています。

人生は長さではなく深さ

当時(1990年代後半)は在宅医療の体制が全く整っていませんでしたが、私は母を住み慣れた我が家で看取(みと)ると決めました。これが母と交わす最期の言葉になるかもしれないと思いながら過ごした日々は、当たり前の日常がどれだけ尊いかをかみしめた時間でもありました。障害もあったために寝たきりになりましたが、いつも笑顔で「感謝だわ」という言葉を口にできた母が、どんな状態であっても人は生きている意味があるということを教えてくれました。「人生は長さではなく深さ」。これは母の命の限りが分かった時に弟が言ってくれた言葉です。自分には間に合わないことを知っていながら他の心臓病の患者さんを救うために、父親にIABP(大動脈内バルーンパンピング)バルーンカテーテルの開発を続けてほしいと願う佳美の姿を見てこの言葉を思い出しました。

あと10年待ってください

母の介護やがんをきっかけに30年近く医療の取材を続けていますが、映画のモデルになった筒井さんのように<医療の未来>を切り開いた患者さんや家族に私も出会ってきました。現在がん治療では数多くの抗がん剤が使われていますが、2000年初めの医療現場では欧米で当たり前に使用されているのに、日本では薬の承認に時間がかかってしまい、必要とする患者さんが使えないという<ドラッグ・ラグ>の問題が起きていました。「承認されていないのだから仕方がない」。医師が口にするのは諦めの言葉ばかり。そんなドラッグ・ラグの問題を解決に導いたのは完治しないがんを抱えながらも声を上げた患者さんたちでした。NPO法人「がんと共に生きる会」の代表だった大腸がんの佐藤均さんは、日本での承認を求めてまさに命を懸けて闘いました。映画の中で光石研さん演じる石黒医師が、宣政さんが完成させたIABP(大動脈内バルーンパンピング)バルーンカテーテルを「素人が作ったものは使えない」と突っぱねる場面がありますが、私が佐藤さんの密着取材をしている時にも、ある大学病院の院長が佐藤さんに向かって「あと10年待ってください」と言い放ったことがありました。佐藤さんの余命が短いということが分かっているのに・・・・・・

ドラッグ・ラグの解消を求める活動

もう1人、大学在学中に卵巣がんが見つかった20代のあやちゃんも、佳美のように自分が生きている間には薬が承認されないことを分かっていましたが、街頭に立って署名を集めて全国の患者の想(おも)いを国に届けました。このドラッグ・ラグの解消を求める活動が、2006年のがん対策基本法の成立にもつながったことはぜひみなさんにも知っておいていただきたい出来事です。残念ながら2人にはもう会うことができませんが、同じ病気を抱える患者さんのためにという切実な願いは確実に実を結んでいます。そして「がんと共に生きる会」も、あやちゃんと共に歩んでいた卵巣がん体験者の会「スマイリー」も今も活動を続けています。

母の前で泣いても良かった

母の命の灯と向き合う中でひとつだけ後悔していることがあります。それは前述したように母の前では泣かないと強がってしまったこと。自分の命が長くないことを一番よく知っていたのは本人だったと思います。父が一度だけ酒に飲まれて「母さんはもうすぐ死んじゃうんだぞ」と母の前で慟哭(どうこく)したことがありましたが、そんな父を母は愛(いと)おしそうに見つめていました。ベッドに横たわる娘を前に号泣する宣政のように、そして父のように私も母の前で泣いても良かったのかもしれません。大泉洋さんの普段のユーモアを少しだけエッセンスで加えても良かったかなと思いましたが(笑い)、真面目な大泉さんに泣かされました。誰もが限りある命を生きています。私も貴方(あなた)も・・・・・・。そのことを改めて教えてくれる映画「ディア・ファミリー」ぜひ劇場で。

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ライター
町亞聖

町亞聖

小学生の頃からアナウンサーに憧れ1995年に日本テレビにアナウンサーとして入社。その後、活躍の場を報道局に移し、報道キャスター、厚生労働省担当記者としてがん医療、医療事故、難病などの医療問題や介護問題などを取材。〝生涯現役アナウンサー〟でいるために2011年にフリーに転身。脳障害のため車椅子の生活を送っていた母と過ごした10年の日々、そして母と父をがんで亡くした経験をまとめた著書「十年介護」を小学館文庫から出版。医療と介護を生涯のテーマに取材、啓発活動を続ける。直近では念願だった東京2020パラリンピックを取材。元ヤングケアラー。
(町 亞聖公式ブログ→http://ameblo.jp/machi-asei/)

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