誰になんと言われようと、好きなものは好き。作品、俳優、監督、スタッフ……。ファン、オタクを自認する執筆陣が、映画にまつわる「わたしの推し」と「ワタシのこと」を、熱量高くつづります。
「ファーストキス 1ST KISS」©︎2025「1ST KISS」製作委員会
2025.2.07
「ファーストキス」を深掘り! SFの旨味排除+松村北斗の貢献度がもたらす現実×幻想のハイブリッド恋愛劇
坂元裕二×塚原あゆ子
ドラマ「東京ラブストーリー」「最高の離婚」「カルテット」、映画「花束みたいな恋をした」「怪物」の脚本家・坂元裕二、ドラマ「アンナチュラル」「MIU404」、映画「ラストマイル」の塚原あゆ子監督によるタッグが実現した。松たか子と松村北斗が共演した映画「ファーストキス 1ST KISS」だ。
見たことのある話をこのメンバーでやる
ヒットメーカーたちが一堂に会したとあって、2025年公開の日本映画における注目作のひとつだったが、大枠のストーリー自体は極めて王道。「夫と死別した妻が15年前にタイムスリップし、死ぬ運命を回避しようとする」物語であり、「見たことのない話」ではなく「見たことのある話をこのメンバーでやる」ことに意義がある企画といえる。実際に中身を見てみても、ある種の潔さが全編に行き届いている。
15年前にタイムトラベル
主人公のカンナ(松たか子)は、関係の冷え切った夫・駈(松村北斗)を突然亡くしてしまう。駅のホームから線路に落ちたベビーカーを救出した結果、轢死(れきし)してしまったのだ。喪失感と「自分よりも見ず知らずの人を大切にするなんて」というモヤモヤを抱えたまま仕事に向かうカンナは、トンネルの崩落事故に巻き込まれてなぜか15年前にタイムトラベルする術を手に入れる。ただし、戻れるのは夫と出会った1日のうち8時間のみ。若き日の自分と再会すると体に発作が起きてしまい、この世界にいられなくなるためだ。過去に戻るたびに未来が微妙に変化することに気づいたカンナは、駈を事故死から救おうと奮闘する。
「なぜ?」が放置されたまま
「一定期間を繰り返す」というタイムリープ的な設定からすると本作はSFなのだが、そのキモといえる「法則」や「理論」の追究・解明・説明はほとんど行われない。例えば「オール・ユー・ニード・イズ・キル」はとある理由から死ぬたびにリセットされ(主人公の記憶とスキルは受け継がれる)、「東京リベンジャーズ」ではある人物と握手することがスイッチになり、過去に戻っている間にも現在は進んでいく。タイムリープとは異なるが、時間の逆行をテーマにした「TENET テネット」は呼吸器を使用しなければ逆行状態で生きられない。例を挙げれば限りがなく、こうした作品群にはさまざまな〝ルール〟があるものだが、こと「ファーストキス 1ST KISS」においては「なぜ?」が放置されたまま、場当たり的にカンナが生存ルートを模索していく。誰かに相談することもしないし、文献をあさることもない。ただ、若き日の夫に何度も会いに行くだけなのだ。
〝夫にもう一度恋をする〟いじらしさ
ある種、SFとしての〝旨味(うまみ)〟を捨ててしまっているのはなぜか? 頭でっかちにせず、観客の視聴ハードルを下げるための措置ともとれるが、きっと狙いはそれだけではない。あえて〝頭〟より〝心〟に重きを置き、理論の代わりに感情を強めることで、ラブファンタジーの要素がより強く浮かび上がってくるのだ。考えてみれば、もし仮に我々がカンナと同じ状況に置かれたとして「なんで過去に戻れるかなんてどうでもいい。できてるからできてる。時間がないし早く生存ルートを探さなきゃ」となる可能性も大いにあるだろう。愛する人/愛した人が帰ってくるなら、思考停止でも構わない――こうした切実さが、描かれない部分によって逆説的に強まっている。ちなみに、本作では15年前にタイムスリップしたとてカンナが若返ることはない。現在の外見のまま若き日の夫に出会う→タイムリープするたびに着飾って洗練されていく流れが〝夫にもう一度恋をする〟いじらしさを生み出しており、夫婦のラブストーリーだけでなく、いわゆる「年下彼氏もの」や「シンデレラストーリー」の亜種としての要素もカバーしている。
かつての夫はこんな人で、自分も信じられていた
ここまで土壌を整えれば、「最高の離婚」「大豆田とわ子と三人の元夫」等で夫婦や男女の〝あるある〟な価値観のズレを解像度高く突いてきた坂元裕二の独壇場だ。結婚生活に疲れ果てた妻の口からは愚痴や不満が次々と飛び出し、結婚生活に幻想を抱いている未来の夫からはピュアな愛の言葉が臆面なく流れ出してゆく。カンナに近い世代や既婚者からするとくすぐったく、かつ「現実を分かっていない」と思ってしまうような無邪気な愛情表現も、経験していないのだからしょうがないと処理ができ、カンナともども「かつての夫はこんな人で、自分も信じられていた」と思いだすことで素直に受け入れられる心の動き――生活感漂うリアルな対話劇も、ちょっとクサい愛のやり取りも両立できる妙手といえるだろう(駈の告白に何度も「おかわり」をねだってしまうカンナがほほ笑ましい。塚原監督のニーズに応える演出が行き届いている)。
監督・脚本家・出演陣のストロングポイントが融合
こうした本作ならではの構造において〝仮想視聴者〟としての役割を見事に果たしている松たか子のレンジの広い芝居はさすがだが、松村北斗の破壊力もまた凄(すさ)まじい。元来、坂元裕二の脚本はリアルな日常会話とは一味違っていて、発される内容が的を射ているぶん言葉が持つ力が強く、時として身体性とズレが生まれてしまう。従順にセリフを発するほどに演者が傀儡(かいらい)化してしまう危険性を併せ持っているのだ。そんななかで、「Woman 」等の常連俳優・満島ひかりなどは「セリフを超える感情が湧き出てしまう」といったある種の身体による〝抗(あらが)い〟によって生きた人間として成立させていたが、松村の場合は器としてセリフを受け入れたうえで発語や発声の仕方に〝生っぽさ〟をいかんなく注入しており、結果的にナチュラルベースなものにアウトプットさせている。「キリエのうた」や「夜明けのすべて」でも顕著だった、彼の浸透圧の高さを改めて証明する格好となった。監督・脚本家・出演陣のストロングポイントが融合した王道ラブストーリー「ファーストキス 1ST KISS」は、封切り後にどれほどの反響を呼び起こすのだろうか。驚きのヒットを記録している「366日」に続き、邦画ラブストーリーブームが再来するかも含めて、注視したい。