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2023.5.15
コメディーでありながら、女性が働くことについて問題提起する「医師チャ・ジョンスク」:オンラインの森
〝国民のクズ夫〟という不名誉な称号がある。大衆から長く愛されている有名人に、特徴を捉えて〝国民の~〟という愛称を付ける風習がある韓国。例えば、IUは〝国民の妹〟、ペ・スジは〝国民の初恋〟、パク・ボゴムは〝国民の彼氏〟。ヒョンビンやコン・ユら世界的なスターに至っては〝国民の4大公共財〟と呼ばれ、ユニークなネーミングが目白押しだ。
なかでも エキセントリックな呼び名である〝国民のクズ夫〟は、ドラマ「夫婦の世界」(2020年)の浮気夫・テオ(パク・ヘジュン)のこと。いくらなんでも〝クズ〟は言い過ぎでは?と思われるかもしれないが、ドラマを見た人は少なからず納得がいくのではないだろうか。テオの開き直りや数々の迷言(「恋をしたのが罪か」、「俺も君を許すから君も俺を許してくれ」……)、妻の名義で借金をしていたことを考えると、まあ、クズと呼ばれても仕方がない。
韓ドラ界には〝クズ夫〟が結構いる。配信中の「医師チャ・ジョンスク」も、この手の夫が大活躍している。
「夫婦の世界」が終始シリアスなトーンだったのに対し、「医師チャ・ジョンスク」は100%コメディー。クズ夫の描写もコミカルで、軽やかだ。しかし、底流にあるテーマは重く、簡単に笑い飛ばせるものではない。
医学生から専業主婦歴20年、自分を後回しにしてきた女性が医師に復帰する物語
専業主婦20年目のチャ・ジョンスク(オム・ジョンファ)が、46歳にして医師に復帰し家庭医学科レジデント(専攻医)になる物語。ジョンスクは、優秀な成績で医大を卒業しながらも、同期のソ・イノ(キム・ビョンチョル)とデキ婚し、家庭に入る。育児と家事を一手に引き受け、夫、姑(しゅうとめ)、長男、長女の世話を焼き、自分のことはいつも後回しだ。
医師としてキャリアを積む友人を羨みながらも、平凡な毎日を送っていたジョンスク。ある日、急性肝炎で倒れ、肝臓移植が必要な状態であると診断される。家族の中で唯一、肝臓を提供できる立場にいるのは夫イノだった。
体調の悪いジョンスクを前に姑は移植に平然と反対し、イノも明らかに気乗りしない様子。移植を強いることはあるまじき事だが、ここでは不安な気持ちを抱くジョンスクに対する配慮がまるでない。彼女の家庭での扱われ方が露呈する場面だ。
イノは渋々ドナーになることを決意するが、土壇場で取り下げる。母親(ジョンスクの姑)と、愛人が反対したためだ。一刻を争う病状のジョンスクは倒れるが、幸い、他のドナーが見つかり一命を取り留める。死の淵から生還したジョンスクは、夫の行動に怒りとむなしさを覚え、この出来事が復職の引き金となる。
イノの人物像はこうだ。クラシック音楽を好み、著名な科学誌に論文が乗り、上司にワインをプレゼントするなど細やかな心遣いを忘れず、順調に出世をする。頭脳明晰(めいせき)で上品、神経質そうな雰囲気は隠せないもものの、部下たちに温厚にふるまう。
もちろん、家ではまるで違う顔を見せる。自己愛の強さから、外では体面を傷つけられることを過度に恐れるくせに、ジョンスクのささいな買い物にも目を光らせるドケチで、ジョンスクが無断でコーヒー豆を変えたことに対して朝から小言を言う。子どもたちに医者になることを求め、高圧的な言動を繰り返す。このあたりは、キム・ビョンチョルが「SKYキャッスル〜上流階級の妻たち〜」(18年)で演じたモラハラ教育パパを彷彿(ほうふつ)とさせる。
夫役キム・ビョンチョルの演技で抑圧された妻の姿が際立ち、問題を浮かび上がらせる
ここまでで、イノのクズっぷりを十分ご理解いただけたかと思う。もはや初恋の人との不倫のことまで説明する必要もない気がするが、ドラマの柱なので触れておく。大腸肛門外科の科長であるイノは、医学生時代の元カノで初恋の相手、その上同じ病院で働くドクター・チェ・スンヒ(ミョン・セビン)と長らく恋愛関係にある。
ジョンスクも、スンヒも、イノのどこに引かれるのか、はじめは理解できなかった。ケチで、思いやりがなく、母親の言いなりで、自分のことになるとやたらと過敏な男を、2人の女性が取り合うという設定に首をかしげた。
ところが、である。不思議なことに、回を追うごとにイノに親愛の情を抱くようになった。ジョンスクのことは心から応援しているのだが、自分と愛人が勤務する病院に就職したジョンスクの一挙手一投足に肝を冷やし、平静を装いながらも裏で右往左往するイノが気になって仕方がない。腹立たしさを覚える一方、どこか可愛らしく、安心すらするのだ。
イノを憎めない理由は、彼の卑劣さや臆病なところ、自己中心的な考え方が、実は誰もが抱く本音だからではないか。私たちが普段、隠そうとしている醜さを滑稽(こっけい)に、面白おかしくあらわにする姿は、落語家・立川談志が言うところの「人間の業の肯定」なのかもしれない。
この難しい役を軽妙に演じたキム・ビョンチョルは、「太陽の末裔」、「トッケビ〜君がくれた愛しい日々〜」、「ミスター・サンシャイン」などの話題作に、スパイスを加えてきた名バイプレーヤー。「SKYキャッスル〜上流階級の妻たち〜」では、学歴至上主義の気難しい教授を演じた。いるだけで空気が張り詰めるような陰湿さ、最後に心を解き放って〝キャラ変〟する様は、メインの「妻たち」をしのぐ存在感だった。
とはいえ、ジョンスクが長年置かれてきた状況を見過ごしてはならない。出産を機に、長男の〝嫁〟(この言葉は普通には使いたくないのでカッコ付きにした)という理由でキャリアを断絶させられ、家に閉じ込められ、専業主婦の名の下で当たり前のように家族のパシリのようなことをしてきた。復職する際は、家のことをしてくれないと不便だからという理由で、家族の中では否定的な意見が多かった。
彼女を抑圧していたのは夫(男性)だけではない。3食はもちろんのこと、デトックス・ジュースまで作らせる姑、学校の持ち物の準備すら一人でしない長女たちもまた共犯である。女性が賃金を得るまでに越えなければならないハードルはこうも多いものなのかと、実感を持ってウンザリした人もいたはずだ。
この喜劇の核にあるのは、女性を巡る悲劇だ。視聴者を笑わせ、登場人物たちに愛着を持たせながらも、シビアな問題を提起している。
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