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2024.8.03

「ターミナル」で学ぶ、揺るがない自分を持ちひたむきに生きる勇気と誠実さ

Y2K=2000年代のファッションやカルチャーが、Z世代の注目を集めています。映画もたくさんありました。懐かしくて新しい、あの時代のあの映画、語ってもらいます。

下地芽衣

下地芽衣

私はこの作品をはじめて見た時、主人公ビクターに対していら立ちを覚えた。
 
この物語は誠実さという軸のもと、二つの要素を含みながら展開される。一つ目は「待つ」ということ。主人公は空港ターミナルという待ち人の行き交う場所で、ひたすら父との約束を果たすために待ち続ける。もう一つは「応援される」ということ。応援されることは、案外難しい。衆目にさらされながら自分が生きるために空港ターミナル内で生活するビクターは、物語の終盤数多くの人々から「応援」されている。そしてこの二つの要素には、誠実さが必要不可欠であり、彼にはそれが備わっていた。私はこの作品を通じて、「誠実に生きる」ということについて考えてみた。
 

もどかしい時間をどう過ごすべきか……、考えさせられる生き方

 まず、先述した一つ目の要素である「待つ」という観点から。
主人公のビクターは、東欧の小国クラコウジアからニューヨークを訪れた。しかしジョン・F・ケネディ空港に到着するや、祖国クラコウジアがクーデターによって消滅したと告げられる。パスポートが無効になってしまったビクターは、ニューヨークに降り立つことも祖国クラコウジアに戻ることもできず、空港で暮らす羽目になる。
 
これが物語の発端だが、ビクターは祖国クラコウジアのクーデターが終結するまで空港の中で「待つ」という選択をする。その中で、ビクターは難民として「クラコウジアが怖い」と発言することで保護してもらいアメリカに入国することができたり、国境警備局員のディクソンから直接出ることを促されたりという状況に何度も立たされる。しかし彼は必ず、空港に残る選択を自らとるのだ。つまり、彼が空港でその瞬間を「待つ」という選択をせざるを得ないという状況に縛るものは、彼自身がアメリカに入国して祖国クラコウジアに帰るという目的を果たそうとする誠実さであった。
そしてこの作品には数多く、待っている人の描写があり、ビクターの「待つ」姿勢と比較されている。例えば、不倫相手からの連絡を待っているヒロインのアメリア、昇進のチャンスを待つ国境警備局主任であるディクソン、恋人との駆け引きをビクターに頼み返事を待つエンリケ、飛行機の搭乗を待つ名もなき人々。「待つ」ということは、単純なようでいて複雑であることを劇中の「待つ」人々を通して考えることができる。その場が花畑であれば、そこに立ち止まり花を眺める人もいれば、種を集めて植える人もいるように、それぞれ「待つ」という行為と時間、意味が存在する。例えば、作中ビクターにおける「待つ」ということは、今できることをし、目的の時間まで生きることであった。一方、ヒロインのアメリアの「待つ」ということは、不倫相手からのポケベル着信を受け身になってひたすらに待つことである。一見アメリアの「待つ」行為は無意味に思えるかもしれない。しかし、これは彼女にとっての生きがいなのかもしれず、長年待ち続けているうちに「待つ」こと自体が彼女の目的になっているのかもしれない。
人の時間はそれぞれであり、「待つ」ということもそれぞれである。しかし「待つ」ことに慣れ、アメリアのような「待つ」ことが目的になることは避けたいと心のどこかで私は感じる。人生のどこかで、もどかしい待ち時間は必ず存在する。そのような待ち時間をどう過ごすか、ビクターのように生きることに正直になれているのか、誠実に「待つ」ことを恐れずにいられるか、その場に立った時に自分は待っていると理解できるのか、考えさせられる。
 

一生懸命に生きる主人公を応援したくなる、人々の感情に共感!

 次に二つ目の要素「応援される」ことをもとに、誠実さについて考えたい。はじめに書いたように、私はこの作品を見て主人公のばか正直さにいら立ちを覚えてしまった。劇中に登場する空港内の人々もはじめは、言葉も通じず不思議な行動をとるビクターにいら立ち、まさに異邦人を見るような目で見ていた。しかし作中に登場する空港の人々同様に私自身まで、ビクターに頑張ってほしいと思うように心情が変化していく。それほど、さまざまな問題に対して一生懸命に立ち向かいながら今を生きる主人公の誠実かつひたむきな姿は、多くの人の共感を呼ぶのだ。ひたむきに生きていくことは、周りからどう見られているか考えることを手放したり、自己防衛の鎧(よろい)を脱ぐという行為であり、容易にできることではない。そのような姿を劇中で見せ続けるビクターに私も心を動かされた。
 

私たちは〝ばか正直〟に生きられている? 作品から得た気づき 

私はこの物語を通して、ばか正直になるということの難しさと、今を生きる大切さに気付かされた。どんな状況下であったとしても自分の信じたことを疑う事なく、ひたむきに突き進むビクター。一方の私たちは現実を生きながら、ばか正直に物事と向き合えているだろうか。非難されても自分を貫き通す強さ、優しさを忘れない心、誠実に向き合う根気。きっとそれらは自己防衛によって忘れ去られ、心がけて実践できないことばかりである。ばか正直だと私は言葉を選ぶ。それは生きることに正直であることがばかだと私が思うからである。ばかになるほど正直に、今を生きながらその時をしっかりと「待つ」勇気と誠実さを忘れずに私はこれからも生きていきたい。

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ライター
下地芽衣

下地芽衣

2002年8月16日、沖縄県生まれ。国学院大学文学部哲学科在学中、現在大学4年生。
23年6月よりガールズユニット「Merci Merci」3期生として活動開始。幼少期より17年間打ち込んできたクラシックバレエを得意とする。
好きな映画は「スター・ウォーズ」「バーレスク」「さよならの朝に約束の花をかざろう」などの洋画やアニメ映画。

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