2021年7月高校生主催の上映イベントを実現させ2日間で2000人の観客に映画を届けた 「ユナイテッド・シネマ福岡ももち」にて 写真提供:一般社団法人MAKEINU.

2021年7月高校生主催の上映イベントを実現させ2日間で2000人の観客に映画を届けた 「ユナイテッド・シネマ福岡ももち」にて 写真提供:一般社団法人MAKEINU.

2024.5.21

高校生がでコロナ禍真っただ中に起立性調節障害の実話を映画化!「今日も明日も負け犬。」の原作本が涙の発売

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小田実里

小田実里

空前絶後の発想をマジで受け入れた16歳の私

本日私の作家デビュー作となる、「今日も明日も負け犬。」が幻冬舎より発売された。「今のうちに本作っとけば、いつでも映画作れるっしょ」。当時クラスメートだった西山夏実は、私にそう言った。彼女の空前絶後の発想をマジで受け入れた16歳の私は、そこからいろいろな道をたどった結果、20歳の今作家デビューをしようとしている。

正直よくわからない。だって私って、本を書くような人間じゃない。小さい時から本を読みあさっていたとか、文章を書くのが好きだったとか、アーティスト家系に生まれたとかそんな境遇にもない。20歳でデビュー作出版? 小学生の頃、登校中にぬかるんだ地面で毎日足を滑らせ、ランドセルごと泥まみれになって、「遅刻しちゃう〜」と泣きべそかいていた私が、もし何かの時空のゆがみで20歳の私の状況を知ってしまったら、「ありえんし!」と言ってまたワンワン泣きだすだろう。発売日になっても、実は脳内から「?」がダダ漏れなので、今回出版に至った経緯を最初から振り返っていこうと思う。全部ウソのようでホントの話。

 

彼女が言った「自分の人生を映画にしたい」

高校1年生の秋、教室で紙切れに書いていた詩ともいえない言葉が西山に見つかり、彼女がそれを読み感動したことがきっかけで、私は西山から温泉に誘われる。その時に西山の口からこぼれたのは、彼女の中学時代の闘病生活についてだった。当時は、なんとなくその場の流れでそんな話になったと思っていたが、西山は私を意図して温泉に誘ったのだと4年たった今気づく。西山は高校で出会った私に向かって、中学時代のことを一から全部話した。
 
中学で「起立性調節障害」という病気になったのがきっかけで保健室登校していたこと。保健室登校中支えてくれた人物がいたこと。勉強もままならなかったけど夢を諦めたくなくて偏差値72の高校に受かるために死ぬ気で勉強したこと。当時の自分を支えてくれた人に恩返しをするために自分の人生を映画にしたいということ。小田に映画の元となる原作本を書いてほしいということ。
 

なぜか書ける気がした

当時私は、部活をやめたばかりで毎日をただただ浪費していた。友達も少なく、学校生活がとにかく退屈だった私にとっての唯一の話し相手は紙だった。誰にも言えないようなことも紙に書けばスッキリした。書くのに飽きると本を読んだ。本から得た情報がたまるとまた紙に吐き出した。そんな学生生活を送っていたからか、西山に「本書いてよ」と言われた時、二つ返事で「いいよ」と答えていた。

本を書いたことはなかったが、なぜか書ける気がした。何も書いたことはなかったけれど、書いてみたいと思った。とは言っても西山と交わしたのは口約束程度。映画製作と同様、いわゆるいつかやれたらいいね、レベルの話だった。けれど、わたしたちの計画を見計らっていたかのように2020年3月、新型コロナウイルスの流行がやってきた。突如現れた国民の閉鎖的バカンス。学校から3カ月の休校期間が下った。私は3カ月の休校期間を全て西山の生い立ちから現在に至るまでの聞き取り、取材、執筆に充てた。聞き取り、取材に関しては100時間以上にも及んだ。

「小田、この本売ろう」

書き始めた当初、私は紙と鉛筆で原稿を手書きしていたが、ある日西山に原稿を渡した時に「手書きなん?」と言われて初めてWordの存在を知った。書くということが物理的に紙に書くということだと思っていた。かと言って私はブラインドタッチも全くできなかったので、Wordを学びつつもそのまま手書きの原稿を西山がパソコンに打ち直す作業を繰り返した。

こうして休校期間3カ月で原稿用紙300枚、文字数にして約10万文字の小説が出来上がった。原稿を2人で眺めながら「小田、この本売ろう」という西山の言葉が放たれた。私も賛同し、100冊製本し、ネットで自費出版を行った。

自費出版された「今日も明日も負け犬。」

友達が5人もいなかったはずの私が書いた本100冊は24時間もたたないうちに完売した。一気に友達100人できた気分になってその100人と一緒に富士山の上でおにぎりを食べたいと思った。100人の中には、聞いたこともない遠くの町に住む学生や西山と同じ病気を抱える子どもの保護者の方がいた。続々と届く感想の中に「もっと起立性調節障害を広めてほしい」という声が多くあり、作品に対しての使命感がその時、腹の底から噴き出した気分になっていた。それは西山も同じだったようだ。受け取った感想を眺める日々の中で、西山が私に「本、書いてよ」とお願いしてきた原点のようなものに立ち戻っていたのだと思う。

いつかじゃなくて今

「いつかこの本を映画化したい」という目標である。いつかといっても何年後の話になるのだろうか。そんな漠然とした考えに彼女は我慢できなくなったのだろう。「いつかじゃなくて今」

企画書を手にした彼女の言葉から、私たちは高校生のうちに映画を作ることになった。本の自費出版から2カ月後に、高校生の映画コンクール「eiga world cup 2021」で日本一をとることを目標にして「今日も明日も負け犬。」映画化プロジェクトがスタート。監督は実際に起立性調節障害と闘う西山自身が務め、脚本を小田が務めた。「西山夏実」役は親友である古庄菜々夏が、「蒔田ひかる」役は本人役としてひかる自らが演じた。他にもSNSの呼びかけでスタッフが集まり、高校生の映画製作チームが完成した。コロナ禍真っただ中に集まった高校生スタッフの中には、西山と同じようにハンディキャップを抱える高校生もいた。そんな不完全な状態でスタートした「負け犬。」チーム。うまくいかない撮影も当たり前のようにあったが、遠回りしながらも。

1年かかって映画「今日も明日も負け犬。」がついに完成した。完成後、映画を届けるために、クラウドファンディングで資金を集めて福岡の劇場で公開、18歳の冬に目標だった「eiga world cup 2021」で最優秀作品賞を受賞することができた。けれど、負け犬。チームは「負け犬。チーム」のままだった。


起立性調節障害という病気を知ってほしい

高校生映画日本一という称号を得てからの「今日も明日も負け犬。」は、国内外でその存在を広めていった。映画を見た人々からの、起立性調節障害という病気をもっとたくさんの人に知ってほしいという思いを受け、上映依頼に対応し、講演の依頼があった時には全国どこにでも駆けつけた。全米学生映画祭への出場が決まると、米ニューヨークに飛んで、現地の学生からの感想や国際部門にノミネートされた瞬間を目に焼き付けた。そんなせわしない毎日を送り続けて1年がたった頃には「今日も明日も負け犬。」という作品には数えきれないくらいの応援者がついていた。私たちが届けなくても毎日誰かの手で誰かに届く作品に育っていた。作品の独り立ちの時期だと考えた私たちは、映画「今日も明日も負け犬。」の活動を初の劇場公開からちょうど2年がたつ2023年7月4日に終了し、DVD/Blu-rayという形に残すことで、作品を巣立たせた。

米国の地を踏む「チーム負け犬。」

自分の将来への焦り

けれど作品が成長しているのを見守りながらそれをうれしく思うとともに、今度は小田実里個人としてのこれからの方向性についての焦りが芽生えた。作品が知られる度に、私は「脚本家の小田さん」「小説家の小田さん」とも呼ばれるようになり、あたかもこれから物書きとして生き、死んでいく人間になるように見られた私は本当にそうなりたいのかということを考え始めた。気づけば私はもう19歳の大人になっていた。共に映画を作った仲間のほとんどは立派な大学生活を送っていて、私は映画を届ける活動にのめり込んでいたことに気づいた。大学も辞めてしまった。私はキャリアを考えることをいつからサボったのだろうか。映画の活動をすることで、私は自分の将来と向き合うことから逃げていたのかもしれない。そんなモラトリアムから抜け出したくて、友達、信頼できる大人たちに相談したけれど、焦点の合わない、当たり障りのない会話しかできず、現在地から右にも左にも動けない自分がおっくうだった。

スマホに届いた1件の通知

20歳の誕生日を迎えても焦りだらけで、今いる場所から逃げたい。そう思った時には、東京の幼なじみの友達の家に居候していた。9月の下旬頃、昼過ぎまで友達の家でどっぷりと寝ていた私はひどい悪夢を見た。親の前で大量に血を吐く夢だった。ギョッとして目を覚ました時、スマホには通知が1件来ていた。地元の放送局でずっと密着をしてくださっていたディレクターさんからだった。出版社から「今日も明日も負け犬。」の原作本の出版をしたいというメールが送られてきていると思うので確認してほしい、という内容だった。慌ててメールを探したが、そんなメールは受信ボックスになかった。高ぶった気持ちと、何かの間違いだったんだという切ない気持ちが複雑に入りまじるなか、一応見とくか、ぐらいの気持ちで迷惑メールのフォルダーを開いた。感情の大きい波にのまれずに、早く夢の中に戻りたかった。それでも恐る恐る開いた迷惑フォルダーのたくさんのメールの中から「幻冬舎」という単語を見つけた瞬間、自分の中の止まっていたなにかがゆっくりと動き出したのがわかった。歯車の歯がうまくかみ合わさったような。夢とは反対方向に時間が進み始めた。

社長の目に留まった

原作本出版の話がきてから、私はすぐに福岡に戻った。東京からわざわざ担当の編集者さんが福岡にきてくださり、正式に出版の話をいただいた。「幻冬舎」という単語は東京の大きな出版社の名前だった。とんとん拍子で出版のスケジュールの調整も進められた。編集者さんによれば、映画「今日も明日も負け犬。」の密着ドキュメンタリーが幻冬舎の見城徹社長の目に留まったことがきっかけで、今回出版を依頼するに至ったと知らされた。

2カ月後には、見城社長の元にごあいさつをするため上京し、その時社長から私の本についての感想、映画についての感想を直接言葉でいただいた。書いてから4年もたつと、感想を感想として、純粋に受け取れるようになるのだということにその時気づいた。本を書いた当時は、登場人物に感情が乗り移っていたせいで本の感想を受け取っても自分ではない自分に向けられているように感じていたから。私に向けられている言葉を今私が受け取っているということがうれしくて、見城さんを前にして涙があふれた。見城さんも泣いていた。

2024(令和6)年5月22日に「今日も明日も負け犬。」は出版され、私は作家になった。

左から西山夏実、見城徹社長、小田実里、古庄菜々夏

登場する人物、一人一人に人生がある

最初は100冊しか届けられなかった「今日も明日も負け犬。」が、今何千という人の元に届けられようとしている。映画では伝えたくても伝えられなかった部分があり、本が読みたいという唯一応えられなかった声に、今正面から応えようとしている。本に記したフィクションを交えたノンフィクションの物語に登場する人物、一人一人に人生がある。全員が今日もどこかで息をしている。この本を手に取った全ての方の心に、少しでも何か揺れ動くものがあれば、原作者冥利に尽きる。

関わってくださった全ての方に感謝を込めて。

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ライター
小田実里

小田実里

おだ・みさと
小説家・脚本家
一般社団法人MAKEINU.代表
2024年5月に小説「今日も明日も負け犬。」(幻冬舎)で作家デビュー。

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