誰になんと言われようと、好きなものは好き。作品、俳優、監督、スタッフ……。ファン、オタクを自認する執筆陣が、映画にまつわる「わたしの推し」と「ワタシのこと」を、熱量高くつづります。
2024.6.07
夜の歌舞伎町を取材した社会部記者が知る 隣にいる「あん」たちと「モモ」のこと
生気が無く、うつろな目をした主人公・香川杏(河合優実)は、ひとり人けのない街を歩く。物語は、そんな場面から始まる。母親から暴力を受け続けて売春を強いられ、10代で覚えた覚醒剤から抜け出せなくなった一人の少女。それでも、出会いを機にやり直そうとする彼女に差し込む情と無情を、「あんのこと」は淡々とつづっていく。
杏の生い立ちや境遇は、社会の「日陰」として扱われがちだ。学校に通わず、売春をして、違法薬物に手を染める。この社会に確かに存在しているのに、そこに至った経緯に目を向けられることは少ない。こうした世界を自分とは無縁だと思っていたならば、「あんのこと」は見る者に痛切なリアルを突きつけるだろう。
売春で日銭 ネカフェを転々
私は今春まで2年余り、夜の新宿・歌舞伎町で路上に立って客を待ち、売春をする女性たちの取材をしていた。ほとんどが10~20代で、売春で日銭を稼ぎつつ、帰る家がないままネットカフェを転々として暮らしている女性も多かった。
彼女たちと接するようになって、すぐに気付いたことがあった。睡眠薬を多用したり、自らの腕や足に傷をつけたりする女性が珍しくないということだ。そうした女性たちには、少なからず複雑な家庭環境や生い立ちがあった。
買春客を待つ女性たちが立つ歌舞伎町の大久保公園周辺=春増翔太撮影
家族から虐待「ホストクラブが家」
出会った中に19歳の女性がいた。私は後に彼女を記事に書き、仮の名で「モモ」と呼んだ。モモは、幼少期から母親だけでなく父親や兄にも暴力を振るわれてきた。兄からは性的虐待も受け、食べるためにコンビニで万引きをした。小学校5年生で実家を飛び出し、その後のほとんどを児童相談所と児童養護施設で過ごしてきた。
だから、「家族は家族だと思えない」とモモは言う。歌舞伎町に出てきたのは18歳の時。ネットカフェで暮らし、稼いだ金はホストクラブにつぎ込んだ。それでいて、真冬の道端では、疲れと寒さからうずくまっていた。なぜ、そんなに身を削ってまでホストクラブに通い、明日をも知れない日々を続けるのだろう。尋ねると、彼女は淡々と言った。「私にとってホストクラブって家みたいなんだよね。行くと『おかえり』って言ってくれて、すごくアットホームなの」
「あんのこと」© 2023『あんのこと』製作委員会
高額な料金を払って得る〝居場所〟
モモにとって、夜の街には、ささやかな安息があり、たわいない言葉を交わせる相手がいた。かけがえのない「居場所」だった。ただし、それを得るためには体を売って稼ぎ、高額な料金を支払わなければならなかった。彼女の言葉に接し、私は何とも言えない気持ちになった。
路上の女性たちは誰一人として、売春を好きでもなく、望んでやってもいなかった。とはいえ、売春は違法行為だ。暴力や金銭トラブル、性感染症のリスクだけでなく警察に捕まることもある。そして、体を売る女性たちに対して社会が向ける目線は厳しい。「自業自得」「自己責任」という言葉が飛び交い、匿名の言説は彼女たちを簡単に切り捨てる。
社会の目線を、彼女たちはどこかで感じていたと思う。大半の女性たちは自己肯定感に乏しく、誰かを頼れず、他者との関係を築くのが苦手だった。だからおのずと夜の街が居場所になっていた。
「あんのこと」© 2023『あんのこと』製作委員会
コロナが断ち切った人とのつながり
でも、誰もが一人では生きていけない。人とのつながりは、誰にとってもかけがえのないものだ。それは、本作に通底するテーマになっている。作中、杏は言う。「私みたいなバカでも」と。自らを温かく何度でも迎え入れてくれる刑事・多々羅(佐藤二朗)への感謝の言葉の前置きだが、日陰にいる者が抱きがちな卑下そのものだ。
だが、杏は少しずつ変わっていく。やり直したいという意志を持ち、それを口にする。「クスリ抜くには、自分を大事にするとこからだ」と投げかけた多々羅を頼り、心を開き、外の世界とのつながりを築いていく。誰かに頼られ、誰かの力になれることを知る。差し出された手を握り返し、杏は自分が生きる世界を積み上げていく。そして2020年春、社会を新型コロナ禍が覆う。多々羅にも、ある影が発覚する。人とのつながりが、いや応なしに断ち切られてしまった中で、杏は一つの道を選ぶ。
歌舞伎町を南北に貫く「区役所通り」。多くのホストクラブが軒を連ねる=春増翔太撮影
杏は実在した
本作は完全なフィクションだが、キャッチコピーには「『少女の壮絶な人生を綴(つづ)った新聞記事』を基に描く、衝撃の人間ドラマ」とある。入江悠監督が20年6月に掲載された1本の記事を読み、着想を得たという。
入江監督は自身のX(ツイッター)で、作中で稲垣吾郎演じる週刊誌記者・桐野のモデルが、その記事を書いた新聞記者だったとも明かしている。記事についてはそれ以上明示されていないが、私はたまたま知っている。掲載当時、私もその記事を読んだからだ。言葉にならない読後感を抱いたことを覚えている。詳述は控えるが、確かに杏は実在した。そして、杏かもしれない少女や少年は、今もどこかに居続けている。それも、あなたのそばに。