毎週公開される新作映画、どれを見るべきか? 見ざるべきか? 毎日新聞に執筆する記者、ライターが一刀両断。褒めてばかりではありません。時には愛あるダメ出しも。複数の筆者が、それぞれの視点から鋭く評します。筆者は、勝田友巳(勝)、高橋諭治(諭)、細谷美香(細)、鈴木隆(鈴)、山口久美子(久)、倉田陶子(倉)、渡辺浩(渡)、木村光則(光)、屋代尚則(屋)、坂本高志(坂)。
2024.6.07
この1本:「あんのこと」 弱者の再起の難しさ
どん底の境遇にいる少女が、支援者の献身と本人の努力で立ち直る。そんな物語なら、どんなによかったことか。実際の出来事をモデルにしたとはいえあまりに重く、そしてだからこそ切実に社会のひずみを突きつける。
杏(あん)(河合優実)は母親(河井青葉)に虐待されて育ち、覚醒剤中毒で売春を強制されていた。しかし警察で風変わりな刑事、多々羅(佐藤二朗)と出会い、彼を取材する週刊誌記者、桐野(稲垣吾郎)の助けも借りて、まっとうな生活への道を歩き出す。
映画の前半、トントン拍子に事が運ぶ。多々羅は業務の外で薬物中毒者を更生させる団体に杏を誘い、社会復帰のために役所と掛け合う。杏は理解ある経営者に出会って介護の仕事に就き、行政の支援を受けて母親からも独立する。意志あるところに道ができる、世の中は捨てたものではない。他人のために本気になる人たちに胸が熱くなるし、杏が抱く夢を観客も共有し、応援したくなる。希望がすぐそこに見えている。
ところが後半、杏を取り巻く環境はことごとく反転する。コロナ禍の職場の雇い止めで行き場を失う。母親にも見つかってしまう。そして希望を打ち砕く一撃が加えられ、杏は再び社会の底へと沈んでゆく。貧困、虐待、売春、薬物中毒と現代の問題がズラリと並び、格差社会の底辺に落ち込んだ弱者の再起がいかに難しいか、その立場がどれだけもろいか、端的かつ印象的に示す。しかし一方で、明暗の転換があまりに劇的。特に多々羅の変身は極端で、映画の流れとしてはご都合主義的とも思えるほどだ。
ところが、杏のたどった運命や登場する人物の背景など、基本的に事実だという。物語自体は虚構とはいえ、現実の残酷さに別の衝撃を受けることになる。映画なら杏を救う結末も可能だったはずだ。入江悠監督ら製作陣は、あえてこの、やり切れない結末を選んだのだろう。もう一人の杏を生まないために何ができるか、問い掛けている。1時間53分。東京・新宿武蔵野館、大阪・テアトル梅田ほか。(勝)
ここに注目
杏が置かれた状況は言葉を失うほど過酷で、コロナ禍で彼女が追い込まれていく結末には胸がつぶれる思いがした。けれど、最も印象に残ったのは、未来を切り開こうとした瞬間の杏の表情だ。河合がモデルとなった女性の人生を尊重し、懸命に前を向いた人として演じた証しだろう。年齢よりもあどけなく、はにかんだ笑顔が忘れられない。杏が救われるチャンスは何度もあった。個人だけではなく社会ができることは何か。彼女がつないだとも言える命を映し出すエンディングが投げかけるものは大きい。(細)
技あり
浦田秀穂撮影監督は、前作「PLAN 75」でも暗い街灯の下での別れや、わびしい団地暮らしの描写が光った。今回は硬い階調と手持ち撮影でまとめる。例えば警察署、多々羅が同僚と立ち話。引きの画(え)で、顔に補助光はない。年季が入った団地の杏の家も同じ。母親との確執を詰め込んだ画を手持ちカメラで追う。編集は、流れをスムーズに見せるアクションカットにこだわらず、芝居や動きのつながりに関係なく切り、間を詰める。序破急のはっきりした作りと、手持ちカメラの執拗(しつよう)な動きが秀逸。(渡)