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2023.10.15
詩人の暴力は愛情表現だったのか…… 東出昌大が葛藤しつつ演じた「天上の花」再公開
東出昌大が詩人・三好達治を演じ、戦争に翻弄(ほんろう)されながら詩作と愛に葛藤する姿を描いた「天上の花」が、東京、大阪で10、11月に再上映される。2022年末の公開がコロナ禍に見舞われたことに加え、脚本をめぐるトラブルが発覚、興行は製作側にとって「不本意な結果」となっていた。製作側の「もう一度見せたい」との思いや上映を切望する声に応える形での公開である。公開直前に行ったインタビューで東出は、映画について「後世に残したい作品」と熱を込めて語った。
三好達治と妻慶子の愛憎描く
萩原朔太郎の娘、葉子の小説「天上の花―三好達治抄―」が原作。詩人三好達治は師と仰ぐ朔太郎の末妹・慶子に思いを寄せるが、慶子の母に貧乏書生と侮られて拒絶され、佐藤春夫のめいと見合い結婚をする。数年後、慶子が夫と死別したことを知った達治は妻子を離縁。戦争中の1944年、越前三国で慶子と暮らし始める。戦争を賛美する詩を作り続ける中で、独自の潔癖な人生観を持つ達治は、奔放な慶子へのいちずな愛とその裏返しでもある憎しみを抑えられなくなり、再三激しく手を上げてしまう。
「荒井さん脚本の作品に出たかった」
東出は本作を「本格的な文芸映画として後世に残ってほしい作品」と位置付ける。出演を決めた理由はシンプル。「荒井晴彦さん脚本の作品に出演したかった」。本作の脚本は、五藤さや香と荒井晴彦。「荒井さんの脚本作品を何本も見てきて、どれも何か色っぽいんです。品がある一方で、人の悪さ、意地の悪さもある」。ちなみに、脚本に荒井晴彦も加わった「福田村事件」にも出演している。
とはいえ達治は横暴で、慶子を殴る場面も多い。非難されそうな人物だ。「時代ものだし、映画はフィクション。映画の中で人を殺したり、ハラスメントもあったりするが、それらも含めていつの時代でも残すべきものと思っている。ただ、実際にとんでもない役柄で、ある意味凄惨(せいさん)な映画だった」
「天上の花」©2022「天上の花」製作運動体
詩人が人を愛するなんてない
それでも達治は慶子を愛していて、暴力はその表現の一端とも言える。「創作への葛藤を抱え暴力を振るいながら、それでも自分は慶子を愛していると思い込む。撮影が終わって東出に戻った今の僕は、あれが本当の愛なのか説明しきれない。もう一度作品を見たら達治の思いが違って見えるかもしれない」
萩原朔太郎の孫でエッセイスト、演出家、映像作家の萩原朔美は「詩人が人を愛するなんてない。僕ら散文家は言葉を手段として用いているが、あの人(詩人)たちは言葉を目的にして生きている。目的がある詩人が人を愛するなんてない」と言ったという。東出は「達治も朔太郎もそうなのかと思ったりもします」。
朔太郎との対比を意識した
詩人の役は初めてだった。「現代アートでもゴッホでも、新しい価値観を創造し、新しい境地にいかねばと考える。言葉を選んで選んで、考えて世に放つ。その生きざまは芸術家なんだと思った」
戦争詩を多く残した達治が背負っていたものは何だったのか。「撮影中は達治と、師匠である朔太郎とを対比していた。朔太郎は自由詩のパイオニア的な人だったのに対し、達治は古典文学を読んで、エミール・ゾラやシャルル・ボードレールを翻訳した。一方で、朔太郎へのあこがれもあった。達治は格調が高いというか、誰かのわだちを歩いて新たなところに向かう。集団とか社会や時代にどっぷりと身を置いたのが達治で、ふわふわしながらマンドリンを奏でたのが朔太郎なのかな」
愛は重さで量れない
慶子との関係性に話を戻そう。達治は愛していると思い込み、慶子にもそう伝え続けていた。「人の愛って、重さで量れない。達治が愛していると言うなら、それが愛のようにも思う。達治が慶子さんにこうあってほしいという期待や願望があったのは、ミューズを探していたのかと考えたこともあった」
こうした言葉を聞くうちに、役への理解を探求し、のめりこんでいく俳優が像を結んできた。優れた監督たちから多くの出演のオファーを受ける要因の一つだと確信した。とはいえ、何度も出てくる慶子を殴打するシーンは、今日の映画界では珍しく強烈である。
「もちろん、1回も当てていません。カメラ位置を先に確認して、殴る瞬間には右手を高めに上げるからそれを目線で合図しましょうとか、慶子役の入山法子さんと入念な打ち合わせをした。事故があったら撮影が止まってしまいますから。でも、自分で自分の顔を平手打ちするシーンは本気で殴っています(笑い)」
「慶子への暴力は自傷行為に近い」
愛憎相半ばする迫真の演技を作り上げた。「達治にとって自分より尊い存在が慶子だった。それを暴力で壊してかかるというのは、自傷行為に近かったのではないか。まあ、振り返ってみるとなんですが」と当時を思い出し語った。
達治はどんな人物だったのか。「詩人だったということ。いい詩を書きたい、残したい、ということばかり考えていたと思う。ただ、詩作に向き合う時間を確保しながらも、慶子と初めて温泉に入った日に手をつないで帰ったり、スズキをおいしそうに食べる慶子の顔を見たりした時は、ものすごく幸せだったはずだ」。複雑な感情への理解を深めていった。
おままごとのようになぞる他人の人生の面白さ
出演作品には「菊とギロチン」(18年)、「Winny」(23年)、ヒット中の「福田村事件」など歴史・社会問題を背景にした作品が目立つ。「それは偶然です。政治的主張は右も左もない。両翼を知るのは大事だと思っていますけど」とキッパリ。
ただ、資料がたくさんある作品は好きだという。「役が細かく自分の中に入ってくれるので、こういうことを考えていたという裏付けにもなる」。その半面、準備が大変にもなる。「基本的に読んだり調べたりするのは好きなので、資料は多いほうがいい」と何のためらいもなく言い切った。
文献など資料にとらわれすぎることはないのかと、聞いてみた。「例えば、『菊とギロチン』で演じたアナキストの中濱鐵は、ロープシンの『蒼ざめた馬』を読んでいた。自分でも読んでいれば、同じように受け取れる可能性もあるんです。知らない人の人生をおままごとのようになぞるのは面白いんですよ」
デ・ニーロ、ホアキン・フェニックスが目標
22年暮れに「天上の花」、23年には「とべない風船」「Winny」と作家性の強い3本が公開された。いずれも「東出はこの人物になり切れるだろう」とオファーしてくれた作品ととらえた。「役者がその人になっている映画が好き。そういう芝居をしたい。『ゴッドファーザー PARTⅡ』のロバート・デ・ニーロや『ジョーカー』のホアキン・フェニックスら作為も技術もありながらも、その人物になっている瞬間が一番輝いている。そういう芝居を目指したい」と目標に掲げている。
さらに「脚本を読んで『このセリフはいい、言ってみたい、人はこんなこともたまに言ってしまうと思って出演させてもらうこともある」。本作でも気になるセリフはいくつもあったという。「慶子が達治に『私に着物ぐらい買ってみせなさいよ』と言うと、達治は『売れているものばかりがいいものだとは限らない』と答えるんです。みんなで歯を食いしばってインディペンデント映画を作っているようにもとれて、いいですよね」
読書と狩猟の日々
プライベートを少しだけ明かしてくれた。スキャンダルで騒がれた後、21年の暮れごろから、仕事をしないときは山にこもる生活を続けている。「元々、自然も動物も好き」。有害鳥獣駆除の免許を取得して猟友会にも加入し、仕留めた動物を自分でさばく。東京での〝スマホゾンビ〟のような生活を捨てて、「付け焼き刃」と言いつつも「俳優をしていないときは、文化人類学とか心理学、哲学の本とかを読み、狩猟する生活」という。「根っから真面目なんですね」と聞いたら、「チャランポランのところも多いですよ」とほほ笑んだ。
「天上の花」は、東京では10月23日から26日まで渋谷のユーロライブで上映。上映後に片嶋一貴監督や寺脇研プロデューサー、出演者などのゲストを招きトークショーを実施する。大阪では11月4日から1週間、第七藝術劇場で上映される。