「ナミビアの砂漠」の山中瑶子監督

「ナミビアの砂漠」の山中瑶子監督内藤絵美撮影

2024.9.05

はじめに河合優実ありき「ナミビアの砂漠」 山中瑶子監督が見せたきらめく才能

公開映画情報を中心に、映画評、トピックスやキャンペーン、試写会情報などを紹介します。

井上知大

井上知大

「ナミビアの砂漠」の山中瑶子監督は、「日本映画を変える」と言われ、濱口竜介監督に続く存在として熱い視線を注がれるほど。目下大ブレーク中の俳優、河合優実を主演に迎える今作で、いよいよ日本中がその才能に気づく。


オリジナルで描く等身大の20代

3年以上前、河合を主演にとある原作を映画化するという企画を進めていた。しかし、コロナ禍を経て山中監督の心境に変化があり「この原作は、自分より適任者がいる」と一度降りたという。それでも、河合のスケジュールを押さえているため「だったらオリジナルで好きに撮ってみては」とプロデューサーに背中を押してもらいリスタート。難産だった脚本は、男女間の権力争いのようなイメージを軸に、河合と等身大の20代前半の女性の物語として構築していった。

河合演じる主人公のカナは、脱毛サロンで働く21歳。たばことスマホを肌身離さず持っている。同棲(どうせい)する彼氏のホンダ(寛一郎)は、思いやりがあって優しいのにどこか退屈で、あっさりとクリエーターのハヤシ(金子大地)に乗り換える。でも楽しいのは最初だけ。次第に衝突が絶えなくなって傷つけ合う。


「ナミビアの砂漠」©2024『ナミビアの砂漠』製作委員会

「ホン・サンスだけじゃない」初っぱなズームで「宣言」

映画の冒頭、ラフなロンT姿で歩くカナを、望遠レンズでズームアップし追いかける。撮影はJRと小田急線が通る東京・町田駅周辺。駅構内での撮影許可が下りず、苦肉の策で生まれたファーストカットは、映画に不思議なリズムを与えた。「俳優が歩くのは大丈夫だけれど、カメラは入っちゃいけないと。河合さんを近くで撮りたいのにどうしようと考えていたときに、『じゃあ、ズームすればいいか』とロケハンのときに思いつきました」

ただ、一般的な映画の文法から外れるスタイル。韓国映画の巨匠、ホン・サンスが多用する技法と見なされがちなことは自覚していた。それでも採用したのは「『ズームと言えばホン・サンスだよね』っていうのがちょっとわかんないなって。彼だけに与えられている(特権のような)現状が、気に入らなかったので。オマージュではないです」と、聞いていて気持ちいいくらいの反骨精神を見せつつ「一発目でズームをやることは宣言みたいなもの。その後のシーンでズームするハードルがぐんと下がる」と説明した。地元・長野から上京し、映画を学ぶために日本大学芸術学部に進学。しかし「授業の進度が遅すぎていつまでたっても映画が撮れない」と中退したというエピソードもうなずける。

浮気し、ウソをつき、たまに暴れる女性、それがカナ。ともすれば奇抜なキャラクターなのに、なぜか身近でいとしく感じるのは、独自のショットによって映画にやどるリズムのおかげだろう。劇中、無為に過ごすカナの日常をゆったりと映したり、カナの脳内の空想的なシーンを挿入したりし、画面に皮肉とペーソスが漂う。奇をてらうとは違う、やり過ぎない加減の「外し方」にもセンスが光る。


〝特権性〟持った人たちがモデル

カナとハヤシは、育ってきた環境、直接的な言い方をすれば、社会的階層が違うことが描かれる。ハヤシは帰国子女で、同級生には官僚もいる。ハヤシの家族や幼なじみが参加するバーベキューに付いていったカナは始終居心地が悪そうで、誰とも会話が弾まない。その気まずい雰囲気はそのままハヤシとの摩擦につながる。本当は合わない2人がくっついているのが見ているとありありと分かる。

ハヤシのような人物像は、地元の長野から上京して驚いた体験から。「映画『あのこは貴族』みたいですけれど、東京生まれ、東京育ち、当然のように私立中学受験みたいな特権性を持った人に東京に来て初めて出会いました」


かみ合わない2人 同じ国の異なる世界

「そういう人たち」と、ひとくくりにするのは良くないことだと前置きした上で、「私が出会った、ある種の特権性を生まれながらに持っている人は、自分たち以外の(あまり裕福でない)人間が存在していることを本質的には分かっていないように見えてしまった」と言い、そんな出会ったことがあるタイプの男性のイメージからハヤシの人物像を作り上げた。

だからといって善悪で一刀両断する描き方はしない。「住む世界、見ている地平は違うけれど、同じ国に生きており、人として同じ部分は必ずあるはず。ハヤシについても悪い人間だと思わないし、チャーミングだなと思うところもあります」。小さな個人同士の物語だが、随所に現代の日本社会を浮かび上がらせた。


遠いほど安らげる タイトルに込めた意味

タイトルの「ナミビアの砂漠」とは、カナが1人でボーッと見ているユーチューブ映像のこと。アフリカ南西部の国ナミビアに設置された定点カメラが映し出す、砂漠の中の動物たちの水飲み場だ。このライブ映像は実在し、常時数百人から1000人程度が視聴している。劇中のカナは、この映像を何も考えずに見て癒やされているようだ。

「カナは身近な友達や恋人を粗雑に扱うけれど、ただの隣人や、医師の話はちゃんと聞く。その(精神的な)距離が遠ければ遠いほど、安らげたり、話を素直に聞けたりすることってあるなと思い、それを遠い国から眺める砂漠の映像に重ねました」


社会にパッと放り出されて混沌とした感じ

山中監督は、独学で作った「あみこ」(2017年)が自主製作映画の登竜門「ぴあフィルムフェスティバル」で観客賞を受賞。翌18年にはベルリン国際映画祭フォーラム部門に招待されるなど注目されてきた。当時から業界内では「日本映画を変える才能」とささやかれ、今や「濱口竜介監督の〝1強時代〟に風穴を開ける」なんて声も聞こえてくる。数年ぶりの新作映画となる「ナミビアの砂漠」は、今年5月にフランスで開かれたカンヌ国際映画祭と並行開催の「監督週間」に出品され、国際批評家連盟賞を受賞した。

カナとハヤシ、そして元彼ホンダら現代の東京に生きる若者たちの姿を、リアルなセリフと、時に抽象的な映像で表現。物語の最後は、一筋の光が差し込む。「20歳前後の急にパッと社会に放り出された時期の混沌(こんとん)とした感じがやりたかった」。では、若者の、若者による、若者のための映画なのか。反骨心と繊細なまなざしを持ち合わせた山中監督のことだ。もっと高く、もっと深いところへ響くに違いない。

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ライター
井上知大

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いのうえ・ともひろ 毎日新聞学芸部記者

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