毎週公開される新作映画、どれを見るべきか? 見ざるべきか? 毎日新聞に執筆する記者、ライターが一刀両断。褒めてばかりではありません。時には愛あるダメ出しも。複数の筆者が、それぞれの視点から鋭く評します。筆者は、勝田友巳(勝)、高橋諭治(諭)、細谷美香(細)、鈴木隆(鈴)、山口久美子(久)、倉田陶子(倉)、渡辺浩(渡)、木村光則(光)、屋代尚則(屋)、坂本高志(坂)。
2022.8.12
この1本:「ストーリー・オブ・マイ・ワイフ」 愛の遍歴 重厚、精緻に
1942年に出版されたハンガリーの小説を、「心と体と」のイルディコー・エニェディ監督が映画化。20年代の欧州を舞台に一組の男女の遍歴を描く文芸調のメロドラマに、ヒロインを演じたレア・セドゥが現代の息づかいを吹き込んでいる。
貨物船の船長ヤコブ(ハイス・ナバー)が結婚を思い立ち、友人といたカフェで「最初に入ってきた女性と結婚する」と賭けをする。現れたリジー(セドゥ)はヤコブの唐突な求婚を受け入れて、結婚生活が始まった。
運命的に出会った2人が電撃的に恋に落ちる、なんてご都合主義の展開は、今どき誰も使うまい。しかしレア・セドゥなら話は別。謎めいた微笑と一瞬で表情を変えるまなざしに、ヤコブがとりこになるのも無理はないと思わせてしまう。
映画は7章仕立てで「苦悩するヤコブの七つの教訓」とでもいった副題が付いている。幸せな時はつかの間、ヤコブはリジーとの関係をめぐってもだえ苦しむことになる。裕福なリジーの友人、デダン(ルイ・ガレル)との仲を疑って嫉妬に狂い、一方で束縛されないのをいいことに、若い女性との浮気に走る。
捕まえたと思うと逃げられ、突き放そうとして離れられない。男たるものかくあらねばと振る舞うヤコブは、リジーに翻弄(ほんろう)されるばかり。登場した時の頼りがいのある船長は、次第に器の小さい男に成り下がる。
カメラはヤコブの視点から離れず、リジーの素性や素行は観客にも謎のまま。純粋とも小悪魔とも映るリジーが、愚かで哀れな男の本性をむき出しにする。
2時間49分はさすがに長く、終盤にいたる展開はいささか古くささも感じさせる。それでも、時代を再現した重厚精緻な映像も相まって、とろり濃密な映画である。東京・新宿ピカデリー、大阪・なんばパークスシネマほか。(勝)
ここに注目
あくまでも夫の目線で描かれる、いくら体を重ねてもどこか捉えどころがない妻との物語。男らしさにとらわれた夫の目がジェラシーや疑心で曇ってしまった時、見えるはずのものが見えなくなってしまったのか、それとも妻は本当に不貞を働いているのか。長尺でありながら最後まで見る者を引きつける愛のミステリーとして成立しているのは、神秘性と生々しさを併せ持つセドゥの圧倒的な存在感によるところが大きい。エニェディ監督が描き出した、リジーを〝運命の女〟として消費することのないエンディングが、複雑な後味を残す。(細)
技あり
マルツェル・レーブ撮影監督がフィルムをうまく使い、白熱灯の時代の画(え)を作った。広い室内の壁や長く重々しいカーテンなどの質感描写の柔らかさは、フィルムの得意分野だ。リジーがヤコブに出会うカフェ、日なたに座るリジーがたばこを口に持っていく瞬間の、ボケたヤコブを入れたアップ。太陽光が金髪と下手の頰へ斜めに落ち、帽子の影で柔らかくなった光が目を輝かせ、皮膚感もよく分かる。美しい画を作った。戸外では、夜にヤコブがリジーを捜して走っていく場面。道に水をまいて光らせた画は、硬調なのに柔らかく、秀逸だ。(渡)