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2023.7.08

「今日も明日も負け犬。」の原作・脚本家が書いた「ブラック・レイン」のコラムを元キネ旬編集長が評価する

ひとシネマには多くのZ世代のライターが映画コラムを寄稿しています。その生き生きした文章が多くの方々に好評を得ています。そんな皆さんの腕をもっともっと上げてもらうため、元キネマ旬報編集長の関口裕子さんが時に優しく、時に厳しくアドバイスをするコーナーです。

関口裕子

関口裕子

小田実里

小田実里

高校生映画コンクール「高校生のためのeiga worldcup2021」にて最優秀作品賞を受賞し、アメリカでも上映された「今日も明日も負け犬。」の原作・脚本を担当したひと、小田実里が書いた映画コラムを読んで、元キネマ旬報編集長・関口裕子さんがこうアドバイスをしました(コラムはアドバイスの後にあります)

私の中の「高倉健」作品デビュー

 小田実里さんにとって、「『高倉健』作品デビュー」だという「ブラック・レイン」。昭和世代には1977年の「幸福の黄色いハンカチ」「八甲田山」、1999年の「鉄道員(ぽっぽや)」と多くの代表作を持つ〝スター〟なのだが、こればかりは仕方ない。
 
高倉健が「すごい俳優」であるとは知っていても、何がすごいのかはわからなかったという小田さんは、ニック(マイケル・ダグラス)とうどんをすするシーンで、英語で話す二人を見て気づいたという。
 
「うまく言葉に表現できない感情も、彼の演技では見事に表現されていた」と。不正に加担したことを恥じるニックの気持ちに、日本語訛りの英語で「盗みは盗みだ」とストレートに返し、「後悔している」という言葉を引き出すマサ(高倉)というシーンをピックアップしながら。
 
映画とは、どの時代に生きていようとも、その人なりの作品との出合い(=デビュー)を果たすことが可能なコンテンツだ。そのとき、小田さんのように初めて作品や俳優に接した感想を、ほかから得た知識ではなく、自分自身のものとして書き記してみよう。作品や俳優が、書き手の時代をまとったとき、どのような化学反応を見せるのか。それ自身がまた新たなる作品となる。

 小田実里のコラム

映画を見終わったと同時に、2回目を見ようとしている自分がいることに気づいた。数十段もの階段をバイクで駆け下りるスタントアクションや血が飛び交うようなあまりにも残虐な光景に衝撃を受けるシーンが数多くあったというのが正直なところ。人間の本能的な怖いもの見たさから、私はそれらのシーンを追いかけるように再び再生ボタンを押す沼に入るのだった。
 

あらすじ

ニューヨーク市の2人の警察官が殺人を犯したヤクザの男を拘束して日本に護送するも、犯人を逃すところから物語は始まる。2人は、言葉もわからず捜査権限もない中で犯人を追い、やがて高倉健演じる日本の刑事とタッグを組みながら逃した犯人の逮捕に奔走する。監督はリドリー・スコット。
 

「佐藤」という名前

ニューヨークと日本を股にかけて撮影されたこの映画。高倉健をはじめとする日本の役者に加え、米出身の役者も出演している。まさに日米共同製作である。
本映画は字幕・吹替の両方で見ることができるが、今回は字幕で見た。最近の私は日本のドラマも字幕で見ている。字幕で見ると、役者のセリフが聞き取りやすいうえに、セリフを監督や脚本家からのメッセージとして受け取っている気持ちになれる。本映画からは特に、字幕が日本の文化を表現する手段として用いられているような印象を受けた。
「ヤクザ」「佐藤」「ガイジン」という字幕が流れた時、私はこの映画の中で「日本」が特別視されているような気分になった。日本という国を外から見ているような気分、とでも言った方がこのコラムを読んでいるあなたと共通の認識でいられるかもしれない。
日米の考え方が対立するように進んでいくこの映画だからこそ、監督は日本という国の見せ方を綿密に考えたのではないだろうか。
ところで、「佐藤」は逃亡した犯人の名前だ。映画を見ている途中で、私は犯人の名前を「佐藤」とした製作者を拍手で迎えたいような気持ちになった。佐藤といえば日本で最も多い苗字。また、この名前は本映画で最多出場の名前だ。犯人の名前に「佐藤」をもってくることで、誰もがわかりやすい日本らしさを強調したかったのだろうか。または全くの別角度からの切り口にはなるが、外国人でも発音しやすい名前がたまたま「佐藤」だったなんてこともあるかもしれない。日米共同製作ということで、字幕から人物に当てられた苗字ひとつにさまざまな考えを巡らせてしまった。

冒頭の競走シーンの伏線を回収

そんな「佐藤」という苗字のことで頭がいっぱいに思える私だったが、ストーリーの構成にもしっかりと惚れこんでいた。冒頭に登場するのはニューヨーク市の警官の一人であるニックがバイク仲間と競走するシーン。ニューヨーク・ブルックリンを背景に見せられるシーンの疾走感、躍動感にストーリーの全てが詰まっている。冒頭でバイクでの走りを見せつけていたニックは、終盤のシーンでもバイクに乗り逮捕のために犯人の佐藤と競走する。
それまでは日本語が話せないニックにとって日本での犯人を捕まえるすべが、体力と度胸以外のものがなかった。しかし、最後に自分の得意分野であるバイクで犯人に挑むその姿が、冒頭の競走シーンの伏線を回収しているように思えるのだった。この体を張った演技で最後を締めくくる構成がかっこいい。

 高倉健のすごさ

生まれてこの方、私は高倉健の演技に触れてこなかった。つまりこの作品が私の中の「高倉健」作品デビューだ。唯一知っているのは、彼が「すごい俳優」であること。でも何がすごいのかは正直知らなかった。
彼に無知であるそんな私が本作を通して気付いた彼のすごさ、魅力。それは、微細な感情の揺れを表現できること。特に、高倉健がニックとうどんをすするシーンにそれが見られた。最初は反発しあっていた2人は犯人の捜査が進むにつれ打ち解ける。高倉健がニックに心を許し始めるのがこのうどんをすするシーンなのだが、ここに彼の細かい目の動かし方や口の動かし方が見られた。目の動きに関しては、瞳孔までも彼があやつっているかのように思えるほど微細なものであった。元々仲良くなかった相手と心を許し始める時の微妙な感情。嫌悪感を抱いている相手に不意に優しくされた時のような、相手への嫌悪と喜びが複雑に交わり胸をロープでぐるぐる巻きにされているような、あのざわつき。日常でうまく言葉に表現できないような感情も、彼の演技では見事に表現されていた。
人々の日常に潜む自然な感情に寄り添った演技ができることこそが、彼の人気に繋がっていたのかもしれない。
高倉健という人が、画面を通して穏やかさたっぷりなおじさんに思えたり、迫力ある緊張感の迫るおじさんにも思えたりすることに合点がいった。きっと彼が繊細な感情の変化までも表現していたからだろう。
今まで知らなかった高倉健の魅力。一つの作品だけで感じた彼の魅力を長々と語るのも少々気がひけるような気持ちもあるので、更なる微細な感情の変化を表現する彼の作品を引き続き見ていたいと思う。
 
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ライター
関口裕子

関口裕子

せきぐちゆうこ 東京学芸大学卒業。1987年株式会社寺島デザイン研究所入社。90年株式会社キネマ旬報社に入社。2000年に取締役編集長に就任。2007年米エンタテインメント業界紙VARIETYの日本版「バラエティ・ジャパン」編集長に。09年10月株式会社アヴァンティ・プラス設立。19年フリーに。

ライター
小田実里

小田実里

おだ・みさと
小説家・脚本家
一般社団法人MAKEINU.代表