誰になんと言われようと、好きなものは好き。作品、俳優、監督、スタッフ……。ファン、オタクを自認する執筆陣が、映画にまつわる「わたしの推し」と「ワタシのこと」を、熱量高くつづります。
2024.12.05
90年代の韓国で「踊る大捜査線」は青春だった 「室井慎次」が20年後にくれた〝生きる力〟
真っ暗な劇場のスピーカーから、「ドゥーン」という長い鐘の音が聞こえてくる。続いてスクリーンに現れるのは、何の映画のロゴか。「トップガン」だ。行進曲風の軽快なBGMと共に、中折れ帽をかぶるレザージャケット姿の男のシルエットが見えたら、「インディ·ジョーンズ」だろう。しかし、日本の国民的ヒーローは、このようなすべてを必要としない。ただ一言だけでいい。「レインボーブリッジ」
この単語を聞いた瞬間、皆の頭の中にはオリーブグリーンのロングコートを翼のように広げている男と共に、眉間(みけん)に川の字を描いている頑固おやじの顔が浮び上がる。室井慎次。彼が帰ってきた。しかも1カ月の間に「室井慎次 敗れざる者」「室井慎次 生き続ける者」と2本の映画で。ありがたくてありがたくて、仕方がない。
映画を夢見た若者たちの教科書だった
1964年1月3日、秋田県本荘市(現由利本荘市)生まれの室井慎次は、東北大法学部を卒業した警察官僚だ。この日本生まれの日本人は、少なくともアジアでは20世紀と21世紀をつなぐ刑事物のヒーローなのだ。その理由をたどるために、約20年前、2学期の初めの9月ごろにさかのぼり、韓国・中央大近くの小さなアパートをのぞいてみよう。
ビデオプレーヤーに日本から持ってきたテープを入れれば、皆が息を殺す。夏休みに東京の家に行ってきた筆者を待っていた演劇映画学科の友人たち、正確に言えば彼らが待っていたのは筆者ではなく、「踊る大捜査線」だった。〝観客〟の中には「冬のソナタ」に出演し、後に日本でも活動した同級生のパクㆍヨンハのように、もうこの世にいないやつもいたが、韓国映画産業化の流れに乗って映像産業を主導する人物に成長し、今では東京の映画館のポスターや動画配信シリーズなどでよく名前を見るようになったやつも、かなりいた。そう、このドラマや劇場版は、製作現場に役者、または監督やプロデューサーとして進出することを目指していた我々の教科書であり、青春そのものだった。
「室井慎次 敗れざる者/室井慎次 生き続ける者」©︎2024 フジテレビジョン ビーエスフジ 東宝
アジアになかった刑事物
90年代の韓国は「シュリ」に象徴される国策産業としての映画振興政策の確立と大資本の進出、つまり「映画の産業化」が行われる前で、警察官を主人公にして商業的に成功した作品としては「ツー・コップス」シリーズ(93~98年に3作が公開されたが、パート3は観客と評論家から酷評され、興行的に失敗)がある。2人の悪徳刑事が登場するコメディー映画だが、本格的な刑事物に分類するのは無理がある。
香港映画では80~90年代に計4本が製作されたジャッキーㆍチェンの「ポリスㆍストーリー」シリーズがあるが、全ての問題の解決がカンフーアクションヒーローの活躍にかかっていた点で、ドラマの完成度を語る前にまずは彼のファンかどうかが問われるという限界があった。このような面から見ると、テレビドラマとそこから派生した劇場版の「踊る大捜査線」シリーズはまさに革新的だったと言うに値する。
人間賛歌の総合版
警視庁を「本店」と呼ぶ所轄署の刑事たちは人間くさく、刑事よりも民間企業のサラリーマンに近い青島俊作、彼との付き合いを通じて警察改革への意志を固めていく室井慎次を中心に、恩田すみれ、真下正義ら個性的な登場人物が組織の力学の中で奮闘する姿も斬新だった。扱われる事件も恐ろしい凶悪犯罪から大笑いを誘うささいな軽犯罪までいろいろだ(特に、湾岸署内で捜査本部の弁当が重要案件となる様子などは、国家警察という軍に準ずる上命下服組織の韓国の警察を思うとかわいいものだ)。
「正義の実現」という巨大なテーマだけではなく、法の優しさと隣人のような警察官、時には涙ぐましい事情を抱えた犯人の姿を見せるこの「庶民型」刑事物は、韓国において、ユーモアとペーソスと共に、生きる知恵まで伝えてくれる人間賛歌の総合版として位置づけられた。
田舎のおじいさんの生き様に涙
東京の劇場で「室井慎次 敗れざる者」「室井慎次 生き続ける者」 を見るまで期待していたのは、(「踊る大捜査線」シリーズの特性を十分に知っていながらも)予想を超える凶悪犯罪者と最後の対決を繰り広げ、壮絶な最期を迎える彼の姿だった。しかし筆者を待っていたのは、正義について絶えず悩みながら数十年かけて巨大な官僚組織と戦ったにもかかわらず、改革の任務を果たせぬまま故郷の田舎に引きこもった、だだのおじいさんだった。
「室井慎次 敗れざる者」では事件に対する話が多少扱われるが、「室井慎次 生き続ける者」に至ると、刑事物というよりは彼の老年を描いたドラマに近い。だが、それにもかかわらず筆者の目頭が熱くなったのは「元公務員で独身のよそ者」として生きながら、今日も自分の人生の場で希望を探し続ける彼の生き様だった。実の親が責任を負わない子供たちの里親となり、虐待を受ける子供を守り、家を出た息子の行方が分からないという隣人の訴えを聞き、そして未来が見えない田舎町の現実で荒れる若者たちを諦めない。
希望を持って、できることを
「夢をかなえられなかったからといって失敗した人生ではない。私たちは最後まで希望を持って、今できることをしながら生きていかなければならない」というメッセージ。そして、「あなたは次の世代のために何を残すのか」という問いかけ。スターになりたかった夢も、名プロデューサーになりたいという夢もかなえられないまま50代の男になった筆者に、室井慎次は語りかけていた。「生きる力を持って!」
映画が終わった時には、歴史の新たなページがめくられたことを実感して、長い間劇場の外に出られないような気分になった。97年1月から2024年11月まで27年10カ月。20代前半の青年から50代の中年になってしまった筆者は結局、全ての思いをこの一文に込める。「室井さん、ありがとう」