「敵」

「敵」ⓒ1998筒井康隆/新潮社ⓒ2023 TEKINOMIKATA

2025.2.08

<考察>「敵」 老境文学部教授が読み解いた「北から来るもの」の正体

誰になんと言われようと、好きなものは好き。作品、俳優、監督、スタッフ……。ファン、オタクを自認する執筆陣が、映画にまつわる「わたしの推し」と「ワタシのこと」を、熱量高くつづります。

筆者:

重里徹也

重里徹也

老境というのは不思議なものだ。記憶力は衰えるし、物事の判断能力も低くなっていく。仮定を重ねて思いを進めていく傾向が募り、それは妄想になってしまいがちだ。ところが、他人の考えていることが手に取るようにわかったり、次にどんなことが起こるかぼんやりと目に見えたりすることもある。経験によるものか、身体が弱ること自体が感覚を鋭くさせるのか。鈍くなっていくところと、とぎ澄まされていくところが、でこぼこなのだ。この敏感なところに注目すると、若い人には感じられないものが感じられたりすることもある。


70代元教授 孤独だが端正な生活に漂う不安

そんなことを考えたのは、吉田大八監督の「敵」を見たためだ。見ごたえのある作品だった。原作は筒井康隆の同名の長編小説(新潮文庫)。全編がモノクロ。当初は「どうして」と思うが、まもなく作品の空気に引きずり込まれる。明暗がはっきりとしていて、闇が深い。奥行きのある映像からは、不穏さが漂ってきて、こちらの不安感を募らせるのだ。

主人公はフランス文学の研究者だった元大学教授の渡辺儀助(長塚京三)。70代の後半。子供はなく、妻にも先立たれ、孤独な生活を東京都内の古い日本家屋で送っている。講演料や原稿料などのささやかな収入と貯金を合わせたものを支出で割って、ゼロになれば、自分で自分の命の始末をつける覚悟で生きている。といっても、その暮らしは淡々としたものだ。家の中はきちんと片付けていて、そうじも欠かさない。食事は自炊して、丁寧な手順で作る。焼き鳥も、冷麺も、ざるそばもおいしそうだ。豆からひいたコーヒーを食後に楽しむ。飲酒はするが抑制的だ。ときどき、フランス文学に関する原稿を書くためにパソコンに向かう。

交友関係は少ない。かつての大学の教え子である鷹司靖子(瀧内公美)をたまに招いて一緒にワインを楽しんだり、近くのバーで働く女子大生の菅井歩美(河合優実)とフランス文学の話をしたり、友人のデザイナー(松尾貴史)と人生を語り合ったりするのが日々の潤いといえるだろうか。主人公は老いたインテリの落ち着いた生活をマイペースで楽しんでいるようなのだが、一方で心の中のドロドロとした欲望が透けて見える。鷹司とは肉体関係を持ちたがっているし、菅井との会話にもときめきを感じているようだ。亡くなった妻(黒沢あすか)への未練もしばしば心を占める。


「北の方から来る。皆が逃げ始めている」

その無意識の欲望が露出するように、よく夢を見る。鷹司と結ばれそうになったり、亡妻と一緒に風呂に入ったり。やがて、夢は現実に混入し、その境界が溶けていく。その時に突然、パソコンに奇妙なメールが送られてくる。

「敵が来ると言って、皆が逃げ始めています」「北の方から来るらしいけど、もう近くにいるという噂(うわさ)も」。実は主人公のパソコンにはこれまでも、いたずらメールや詐欺メールが何度も送られてきた。現代社会の悪意が、平穏な生活に不意打ちをくらわすように送られてくる犯罪的なメール。私たちにも覚えがある。映画の主人公も、面倒だと思いながら、パソコンのごみ箱に入れていく。しかし、それだけにとどまらない。「敵」に関するメールは続々と送られてくる。混乱の中で、もがいているうちに、何が現実で、何が幻想なのか、わからなくなってくる。見ている私たちも、どこかで思い当たるような不安に駆られながら、この混沌(こんとん)とした状況に投げ込まれる。

「敵」とは一体、何なのか。さしあたっては、現代人の心の底に潜む悪意や欲望と考えられるだろう。それはコントロール不能で、暴力を伴う。しかし、少し引いて考えると、全ての人間を例外なく襲ってくるものの比喩と読む方が妥当だろうか。たとえば、老いであり、時間の流れであり、いつか来る死かもしれない。一部だけ異様に敏感になった老人の神経が、それらの実態を全身で感じている光景が展開されているようにも思った。物語は悪夢のように怖く、黒い笑いを醸し出しているのだが、一方で人間の運命を笑い飛ばすような知的な背骨も感じさせる。


儀助の背景は原作に詳しく

最後に原作との比較をしておこう。筒井康隆の原作は「老人文学の傑作」(川本三郎)と評される小説だが、確かに面白い。奇妙なメールはパソコン通信の会議室(雑談のサロン)で投稿されたもので、メンバーがその個性に合わせて、次から次に反応する。集団的な共鳴が妄想を大きくしているのではないかと疑いたくなってくる。

主人公の人間関係にも詳しく触れられる。そりが合わなかった父親、「へえ、すみません」が口癖だった母親、亡妻の親族のあつかましさ、近所の商店との付き合い、なぜ、60代で大学を辞めないといけなかったか。大きな構図の中で、彼の孤独が浮き彫りにされる。カネの細かい計算(退職金や生活費)、性生活の実際も詳述されている。

ただ、映画は原作の世界を見事に映像化しているといっていいだろう。主人公の内面に焦点を絞り、彼の魂の行方を問いかける。私は2度見たが、3度、4度と見たくなるに違いない。

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