参加者全員が参加したDMZ Docs閉幕式での記念撮影 ⒸDMZ Docs

参加者全員が参加したDMZ Docs閉幕式での記念撮影 ⒸDMZ Docs

2023.10.09

ドキュメンタリー映画界に新展開!? 筆者がこの目で見た「DMZ Docs」の伸びしろ

国際交流基金が選んだ世界の映画7人の1人である洪氏。海外で日本映画の普及に精力的に活動している同氏に、「芸術性と商業性が調和した世界中の新しい日本映画」のために、日本の映画界が取り組むべき行動を提案してもらいます。

洪相鉉

洪相鉉

「事実的に正確で虚構的な要素を含まない実際の事件、時代、ライフストーリーなどを基に再構成される映画、テレビㆍラジオ番組」は、ドキュメンタリーの定義として十分だろうか。断言するが、これが全てではない。もしそうなら題材を決めて監視カメラさえ設置すればドキュメンタリーを作れるだろう。主観や意図を含めて事実を描写するクリエーターの役割が不要になるという話。そのような意味でありのままの現実を記録するだけでなく、創意的に再構成することもドキュメンタリーの本領だという説明がより正確だろう。したがってドキュメンタリーの世界的な流れをみれば、その構成においても内容においても我々がよく思い浮かべる形を越えることが計り知れないほど多い。

ドキュメンタリー映画が筆者にくれた「経験」

当然だが、拙稿を読むほとんどの読者と同様に、筆者にも冒頭の定義を越えられない認識を一生持っていくかもしれない時期があった。20世紀を1年2カ月残した1999年10月、単身赴任をしていた親友に会いに行った山形市の山形国際ドキュメンタリー映画祭で、釜山国際映画祭の「ワイドアングル」部門を経て、「アジア千波万波」部門に招待上映されていた「3本足のカラス」を見るまで。軍事政権当時の韓国ではチリのパブロㆍネルーダに匹敵する抵抗の象徴として崇められていた詩人・朴労解(パクㆍノヘ)を描いた同作は、ただの伝記を越えて、民主化という時代の変化像を眺め、その中で彼がどこにいるか問い返す過程を示す監督の目線は、さまざまな国を転々としながら映画が描く時代時代を経験したことのない筆者にかけがえのない感動を与えた。
 
さらに驚くべきことは、それから2年後の2001年に「3本足のカラス」の監督ㆍ吳正勲(オㆍジョンフン)と筆者が師弟の縁を結ぶことになったという事実。アメリカ大学院の入学許可を放棄して遅く入った中央大学(韓国)の公演映像創作学部映画コースで、彼は記録映画製作実習を担当していた。憧れの監督から指導を受けることもうれしかったが、何よりマスタークラスを受講しているようで、毎週製作状況のチェックを受けたり充実したコメントを聞いたりしながら一本の作品を完成する過程こそ感動の連続だった。その他にも筆者がこの時を忘れられない理由は、当時彼からいろいろな激励を受けながら自信を持つようになった末、08年の第7回済州映画祭開幕作で南太平洋のマグロ乱獲を防ごうとする南太平洋の人々を描いた作品「For The Islanders」をプロデュースすることになったためだ。 その上、この経験は後に理論的アップデートのために東京大学に留学することになるやいなや、映像人類学の箭内匡先生を訪ねて師事したり、原一男監督と個人的に交流したりする決定的な影響を筆者に及ぼすことになる。


▲DMZ Docsが誇るプログラムのアジア青年ドキュメンタリー共同制作ショーケース ⒸDMZ Docs

「DMZ Docs」が引き合わせてくれた、吳監督との縁

それからさらに10年ほどの時間がたった後、全く予想できなかった場所で、予期せぬきっかけで恩師と再会した。それは09年、国際平和の象徴的空間である休戦ラインの非武装地帯(DMZ)にちなんで、平和と生命のメッセージで世界的な問題の解決策を洞察する趣旨で発足し、わずか15年でアジアを代表する世界有数のドキュメンタリー映画祭に成長したDMZ国際ドキュメンタリー映画祭(DMZ Docs)で。隣国の国際映画祭としてDMZ Docsは、日本のドキュメンタリー作家の世界進出にも多大な貢献をしてきた。筆者の経験を例に挙げても、DMZ Docsでこの5年間で10人以上の日本ドキュメンタリー監督の作品と出合い、彼らにインタビューした。 そして、20年3月からコロナ禍による暗黒期に苦しんでいた同映画祭は、今年から心機一転した。KBS Japanの社長を努めた国際通であると同時に、韓国版「ブエナㆍビスタㆍソシアルㆍクラブ」とも言えるジャズミュージシャン第1世代のドキュメンタリー「ムーングロウ」を演出し、提川国際音楽映画祭の観客を熱狂させた監督という神出鬼没のキャリアと、日本のNHK教育テレビジョンにあたる放送局の社長まで歴任した「巨人」長海朗(チャンㆍヘラン)元韓国教育放送公社(EBS)社長が執行委員長として赴任し、文字通り「ニュージェネシス」を迎えている。まさにここに今まで監督としての活躍はもちろん、汎(はん)社会的なメディア教育のために献身し、インディーズのドキュメンタリーを中心とする映画祭のインディーㆍドキュㆍフェスティバル執行委員長を務めた吳監督が、6月から副執行委員長として働いていたのだ。
 

▲国際競争部門出品作で日米共同制作作品の「オキナワより愛をこめて」(砂入博史監督) ⒸEarly Elephant Film
 

ドキュメンタリー映画祭で頭角を現す「DMZ Docs」

筆者は、「ロサンゼルスㆍタイムズ」の役員で北米有数の短編ドキュメンタリー映画祭であるShort Docsのディレクターの「莫逆(ばくぎゃく)の友」ナニーㆍウォーカーから、ニューヨーク大学教授で造形芸術家である日本人の友人ㆍ砂入博史氏の作品「オキナワより愛をこめて」がコンペティション部門に招待されたので会ってみないかという話を聞いて、DMZ Docsに向かった。同作は17年から19年まで、沖縄を拠点に活動してきた独歩的な写真家であり、歴史と個人が出合う交差点にある人物、石川真生氏を主人公にバイオグラフィーに実験的なスタイルの融合を試みた傑作。一人の人物の火花のような人生と芸術を深く省察し、冷戦時代について証言するが、そのフォーカスがヒューマニズムに合わされている点が魅力的なこの作品を見るやいなや、筆者の知人を通じてひとまず日本国内配給からあっせんしてみることを決心した。
 
しかし、楽しみはここで終わらなかった。「オキナワより愛をこめて」以外にも全州国際映画祭などで活躍してきた張炳元(チャンㆍビョンウォン)首席プログラマーをはじめとするプログラム陣が現象と対象の実体を見つめ、表現するクリエーターの新しい形式的ㆍ美学的実験と挑戦に注目し連帯する方針に合わせた充実したプログラムを準備していた。特に筆者を感動させたのは、地球的イシューに注目する映画祭の趣旨に合わせてウクライナ特集「定着できない、または離れられない: 見過ぎた戦争の緊急性」を企画し、12本もの作品と関係者を招待したことである。アジアの映画祭としては類を見ない企画の斬新さと規模感。ふとこれから新しい次元の発展を重ね、アジアを越えてアムステルダム国際ドキュメンタリー映画祭(IDFA)と肩を並べるドキュメンタリー映画祭に浮上していくDMZ Docsの未来が目の前に感じられた。
 
 
▲ウクライナ特集の参加者対談 ⒸDMZ Docs
 
「来年も必ず参加します。素晴らしい日本ドキュメンタリーもまた紹介されるといいですね」

閉幕の日。22年ぶりに再会した恩師と名残惜しいあいさつを交わして別れた時、筆者は寂しい気持ちより期待に満ちていた。ソウルから至近距離、しかも平和観光で脚光を浴びている京畿道の国際映画祭で、地理的な利点も言うまでもない立地。日韓の連休風景が両国訪問で満たされている傾向を考えると、来年のシルバーウイークのコンセプトをDMZ Docsツアーに決め、世界のドキュメンタリー監督を応援しに来る人々もいるかもしれない。

ライター
洪相鉉

洪相鉉

ほん・さんひょん 韓国映画専門ウェブメディア「CoAR」運営委員。全州国際映画祭ㆍ富川国際ファンタスティック映画祭アドバイザー、高崎映画祭シニアプロデューサー。TBS主催DigCon6 Asia審査員。政治学と映像芸術学の修士学位を持ち、東京大留学。パリ経済学校と共同プロジェクトを行った清水研究室所属。「CoAR」で連載中の日本映画人インタビューは韓国トップクラスの人気を誇る。