「ナミビアの砂漠」

「ナミビアの砂漠」©2024 『ナミビアの砂漠』製作委員会

2024.9.06

この1本:「ナミビアの砂漠」 フワフワ、今の空気映す

毎週公開される新作映画、どれを見るべきか? 見ざるべきか? 毎日新聞に執筆する記者、ライターが一刀両断。褒めてばかりではありません。時には愛あるダメ出しも。複数の筆者が、それぞれの視点から鋭く評します。筆者は、勝田友巳(勝)、高橋諭治(諭)、細谷美香(細)、鈴木隆(鈴)、山口久美子(久)、倉田陶子(倉)、渡辺浩(渡)、木村光則(光)、屋代尚則(屋)、坂本高志(坂)。

河合優実が演じた主人公のカナ、共感できる人が半分、迷惑なヤツと反発する人が半分ではないか。自分に素直、気ままだが根はまじめ。いやいや。自分勝手で気まぐれ、チヤホヤされるのをいいことにやりたい放題、しかも無気力。今を生きる若者たちの、心情のリアルがありそうだ。

21歳、脱毛サロンで働くカナは、ホンダ(寛一郎)と一緒に暮らしながら、クリエーターのハヤシ(金子大地)とも付き合っている。ホンダは、ハヤシと会って泥酔し深夜に帰宅したカナを何も聞かずに介抱してくれるマメで優しい男だが、カナはあっさりとハヤシに乗り換えた。しかしハヤシと同せいを始めるや、かまってちゃんぶりを発揮。カナ最優先ではないハヤシに無理難題をふっかける。

カナは気まぐれな猫のように、フワフワと生きている。はっきりした夢や希望はないらしく、気の向くままに快楽を求めてさまよう。社会からはみ出すこともせず、仕事を淡々とこなし、周囲とも無難に付き合う世知はある。

映画もカナと一緒にたゆたうように進み、生活の断片をつなぎ合わせてカナの肖像を描きだす。友人の死をぼんやりと受け止め、ホストクラブではしゃぎ、ホンダやハヤシに甘えてみる。毛色の違うハヤシの家族や友人たちの間で所在なげにたたずむ。映画の後半、ハヤシとの歯車がかみ合わなくなると、取っ組み合いのケンカをしては仲直りを繰り返す。

混迷と混乱が深まって、カナがカウンセリングで自分を知ろうと試みると、映画はリアリズムからも浮いてゆく。脳内を映し出したようなシュールな映像や、ファンタジー調の場面まで入り交じる。

山中瑶子監督は初長編の「あみこ」(2017年)がベルリン国際映画祭で上映されるなど、注目の新星だ。独自の骨法で物語を紡ぎ、〝まとも〟も〝普通〟も揺らぐ今の空気を映し出す。さまざまな表情でたたずみ、感情を出し入れする河合を得て、何にも似ていない映画となった。カンヌ国際映画祭で国際批評家連盟賞を受賞。2時間17分。東京・TOHOOシネマズ日比谷、大阪・TOHOシネマズ梅田ほか。(勝)

ここに注目

駅前の風景のショットから、カメラはズームして一人の女の子の姿を捉える。友人とカフェで待ち合わせした彼女の耳には周囲の不快な声ばかりが聞こえてくる。その瞬間に河合が見せる、形容しがたい目の表情! 子供のように歩き、不意に側転をする彼女の身体が作品を躍動させ、引きで撮っても寄りで撮っても映画的な俳優、河合の魅力が全編にあふれている。カナはとがめられるような行動を繰り返すが、自分が違和感を抱いたことに対して、彼女のように怒りを爆発させてみたいと思ってしまった。(細)

技あり

米倉伸撮影監督の画(え)は力があり、見やすい。山中監督は米倉を「コミュニケーションに不安はなく、現場の空気をよくしてくれた」と話す。つながりなど気にしない自由な現場でアイデアを出し合って撮っている新鮮さが魅力だ。ただ、ロケの背景など気を使わないようでいて、そうでもない。ハヤシと行くキャンプでは、背景をエキストラがタイミングよく通り、いい所にボール遊びする家族が映り込む。使い古された撮り方を避けようと工夫して仕事をすると、質が高まり新しい表現を探しあてることがある。(渡)

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