映画やドラマでよく見かけるようになったあの人、その顔、この名前。どんな人?と気になってるけど、誰に聞いたらいいのやら。心配無用、これさえ読めば、もう大丈夫。ひとシネマが、お教えします。
2024.9.24
「Cloud」で見せた菅田将暉の〝こわさ〟 娯楽大作から作家映画まで万能俳優
第81回ベネチア国際映画祭、第49回トロント国際映画祭で上映され、第29回釜山国際映画祭にも正式出品が決定。さらには、第97回米国アカデミー賞国際長編映画賞日本代表作品に選出された黒沢清監督作「Cloud クラウド」。その主演を託されたのが菅田将暉だ。
押しも押されもせぬ人気俳優であり、ミュージシャンとしても9月に大阪城ホール&国立代々木競技場第1体育館での大規模なライブを成功させた菅田。近年では「ミステリと言う勿れ」や「花束みたいな恋をした」、あるいはミスタードーナツやウィルキンソンといったCM等のイメージが強いかもしれない。だが、実は彼はキャリア初期から強烈な作家性映画に出続けている。本稿では、「Cloud クラウド」にいたる〝道〟を振り返りつつ、本作で転売ヤーに扮(ふん)した菅田の魅力に迫る。
問題作「共喰い」で存在感
まずは2013年の映画「共喰い」。22年に世を去った青山真治監督が田中慎弥による芥川賞受賞作を映画化したもので、菅田は暴力的な父親と同じ血が流れていることに苦悩する高校生を熱演。性と暴力が退廃的な空気感で描かれる問題作で、父母役の光石研・田中裕子に負けない強烈な存在感を放った。続いては、呉美保監督の「そこのみにて光輝く」(14年)。第38回モントリオール世界映画祭で最優秀監督賞に輝いた力作で、菅田は綾野剛演じる主人公と親しくなる少年に扮した。一見社交的だが、姉(池脇千鶴)と共に生活苦であり、自身も刑務所の仮釈放中と闇を抱えた複雑な人物像を乾いた芝居でみせた。
そして、柳楽優弥・小松菜奈と共演した真利子哲也監督作「ディストラクション・ベイビーズ」(16年)。暴力衝動に身を任せる危険な男(柳楽)にくっつき、刹那(せつな)的な快楽におぼれる高校生を怪演。商店街で目が合った通行人にいきなり暴力を振るうなど、見る者に毛嫌いされかねないキャラクターに挑戦している。
「Cloud クラウド」©2024 「Cloud」 製作委員会
山戸結希、瀬々敬久、山田洋次……引っ張りだこ
同年には、小松との再共演作「溺れるナイフ」(16年)も公開。山戸結希監督がジョージ朝倉の同名マンガを映画化した作品だが、山戸監督の作家性がほとばしったアートな世界観になっており、菅田は独自のオーラを放つ金髪の少年を好演。翌17年公開の「あゝ、荒野」は、のちに「正欲」を手掛ける岸善幸監督が寺山修司の小説の映像化に挑んだもの。菅田は復讐(ふくしゅう)のためにボクサーの道を目指す不良少年を力演。鬼気迫る試合シーンも見ものだ。この作品で毎日映画コンクール男優主演賞を受賞した。
関根光才監督が長編劇映画デビューを果たした「生きてるだけで、愛。」(18年)では躁うつ病の恋人(趣里)に振り回される陰鬱な青年役にダウナーな芝居でリアリティーを与えた(ストレスがピークに達して爆発するシーンが痛々しい)。「帝一の國」(17年)に続き永井聡監督と組んだ「キャラクター」(21年)では、殺人鬼を目撃したことでインスピレーションを得てしまう漫画家の変化に説得力をもたらし、サスペンスフルな物語の屋台骨として機能。「アルキメデスの大戦」(19年)では山崎貴監督と組み、その後「糸」(20年)で瀬々敬久、「キネマの神様」(21年)で山田洋次、「銀河鉄道の父」(23年)で成島出と幅広い年代の監督に重用されている点も菅田の特徴だ。
黒沢清監督との相性も抜群
記号的なキャラクターとは一線を画す、善も悪も混合したような人物たちに息吹を与えてきた菅田。こうして見ると、黒沢監督が好きを詰め込んだというオリジナルスリラーに参加するのは実に自然なことのように思える。「Cloud クラウド」で初タッグを組んだ両者だが、ファーストシーンから相性の良さをいかんなく発揮。感情を表に出さず、閉鎖した工場の機械を冷徹に買いたたく、えたいの知れない男を不気味に演じて観客を物語に引き込めば、彼もまた工場で働く一介の労働者であり、緩やかな生活苦から抜け出すためにせっせと転売に精を出している――という現代の閉塞(へいそく)感にからめ捕られた人物としての顔が見えてくるのもうまい。
ただ、かといって人間臭く見せて同情や憐憫(れんびん)を誘うのではなく、菅田はあくまでもドライに吉井という人物を演じ続ける。その結果、インターネットを介して集まった集団に吉井が命を狙われる展開になっても観客が変に肩入れすることなく、じっと観察し続けることが可能になり、その残酷な関係性が実にシニカルな本作独自の空気感を創出している。
恐怖を体現した新たな引き出し
菅田は「黒沢監督から指示を受けずとも、(正解であろう)ゾーンからはみ出ないように演じた」と語っていたが、彼の芝居には及第点のそれではなく、見る者をぞくりとさせる何か――狂気の片りんのような〝こわさ〟が根本的に漂っている。まさに黒沢監督の真骨頂である「わからない恐怖」の体現者であり、これほどの人気者がまた新たな引き出しを見せつけてきたことに、驚きを禁じ得ない。
劇中で吉井は最強の哺乳類といわれるラーテルを自身のハンドルネームにしているが、「Cloud クラウド」は、娯楽大作でも作家性映画でも生息できる菅田の万能感を今一度証明する一本となった。