「鳩のごとく 蛇のごとく 斜陽」の安藤政信=宮本明登撮影

「鳩のごとく 蛇のごとく 斜陽」の安藤政信=宮本明登撮影

2022.11.08

インタビュー:安藤政信の人生哲学 「自分の常識と道徳は曲げない。人を見下さない」 「斜陽」で太宰治に共感

勝田友巳

勝田友巳

安藤政信が「キッズ・リターン」で鮮烈にデビューしたのは1996年。以来26年、清新なイメージを残しながら国内外で幅広く活躍し、円熟に向かう。飾らず気負わず、しかし自分は曲げず。今年は「千夜、一夜」「鳩のごとく 蛇のごとく 斜陽」と2本の出演作が続けて公開されている。周囲とぶつかり「血だらけ」という俳優生活の中で、曲げずに貫いた信念を語ってくれた。
 

 

 「太宰治を地で行く」と言われたが……

長く一線で活躍する理由はなんですかと聞いたら「心がきれいってことでしょうかね。濁りがない」。あまりにもストレートな言葉にひるんだら、「自分で言ったっていう」とすかさず混ぜっ返した。自分の感覚を信じながら「有頂天にならないように」と自戒も忘れない。
 
「斜陽」は太宰治の代表作の映画化だ。脚本には白坂依志夫、増村保造という往年の大家の名前。よもや生きているはずはなく、増村監督が映画化を目指しながら実現しなかった企画を、増村監督らの助監督だった近藤明男監督が50年がかりで映画化したのだ。安藤も「すごい名前が並んでますね」。企画が動き出してからも、近藤監督の大病やコロナ禍と撮影は延びに延びた。その間も「『やります』と言った以上は、最後まで付き合う。監督には『絶対戻ってきてくださいね。待ってますから』と」。
 
とはいえ「太宰さんの文学は一切知らないんです」。しかし「太宰は合う」とずっと言われていたという。「芸能界に入ったころから、太宰を地で行ってる感じだからと。当時は全然分かんなかったんですけど、演じてみてこういう感覚なのかと」
 

(C) 2022『鳩のごとく 蛇のごとく 斜陽』製作委員会

心のままに生きられた「斜陽」の時代

「斜陽」で演じた人気作家の上原は、原作でも太宰本人がモデルとされる。毎夜酒を飲み歩き、没落貴族のかず子と関係を持ち、やがて血を吐いて死ぬ。破滅的な人物だ。「自分は破天荒ではないと思うけど」と言いつつ、太宰の描く人間たちには深く共感した。
 
「人が人を心の底から愛するとか拒絶するとか、当たり前の感情ですよね。それに対する常識とかモラルは、本人が決めればいいと思うんですよ。今はそれを、他人がジャッジして、たたく。気持ち悪さを感じる。『斜陽』は人間っぽくて、この時代に生まれたかったなと憧れます」
 
SNSが発達し、他人を容赦なく批判しがちな昨今、芸能界に向けられる目もことさらに厳しくなった。「こういう仕事は、無菌室のような清廉潔白な仮想空間にいさせられる、そう演じるしかないという状況です。芸能人の不倫もゲーム化されてたたかれる」
 

無菌状態強いられる芸能界

しかし人間の愛欲は、そんなに行儀のいいものだろうか。「町に出れば、愛があふれてる。年の離れた男女が別れがたそうにしていたり、若者たちが肌を触れ合っていたり。心と性を大っぴらに求めることは、汚いどころか美しくて、健全だと思う。太宰の文学は、自分で決めた人への愛を全うしてる。素直できれいだと思いました。そうやって生きるべきですよね」。そして、「太宰が合う」の謎が解けた。「自分の中の常識と道徳で生きてるっていうこと。その意識はずっと変わってない。昔からすすめられてたのはそういうことかと」
 
演技に対しても誠実だ。「共演してる相手を愛したいし、愛してる。平面的な言葉を立体的にするのは、言葉をどう呼吸から出すかということ。人の感情を動かすには、心が動かないと無理なんですよ。だから愛してる、好きだという感情で、役者も表現も動かされてると思うんです」
 

原点「キッズ・リターン」 武の言葉を今も

北野武監督に大抜てきされ、初出演で初主演した「キッズ・リターン」が公開されたのは21歳の時。今でも原点だ。「この仕事は武さんにいただいた。出会いとか、もらった言葉で人生が変わると思うんです」
 
「優等生ではなかったし、といってド不良でもない。中途半端で、卒業したらぶらぶらしようかと思っていた」という高校3年生の時、帰りの電車の中でスカウトされる。「その1カ月後には、『キッズ・リターン』の撮影してました。運が良かった」
 
撮影中に北野監督にかけられた言葉を、今でも大切にしている。「シンジ、っていうのは役名ですけど、お前は絶対売れると思う。すげえ人生になる。オレは、漫才ブームでおかしくなって潰れてく仲間を見てきたが、お前は大丈夫。突然そんな話を始めて」。自分で考えて行動しろと。「その言葉を守れば成功できるし、武さんに見抜いてもらったんだから才能は自信を持つべきだと。ずっと実践し続けています」
 
芸能界でも、自分の感覚を大切にしてきた。だから「ぶつかりまくり。周りは壁ばっかで血だらけですよ」。嫌われたし、けんかもした。「自分の中の道徳と摩擦を生じると、カッとしちゃう」
 

心を動かすセリフのために

一時期、テレビドラマに全く出演しなかったのもそのためだ。「昔は作家性の強い映画だけやって、お金がなくなるまで放浪するみたいなことをしてた。ドラマの中の、こんなセリフ言いづらい、心を動かすのは難しいと文句を言ったり。ウソをつくことに反発があった」
 
しかし年を重ね、家族ができて見方も変わる。「好き勝手にはやるけど、家族が食えない状況にはできないですしね。テレビにはスポンサーがいて、そうせざるを得ない状況もある。なんでもかんでも表現できるわけじゃない、手を抜いてるわけじゃないと分かってきた。受け入れたら、ドラマを作る人たちがオレを探し当ててオファーくれるありがたさも感じて、できることを、敬意を持ってやるようになりました」

 

人をバカにしないで生きれば、必ず助けられる

娯楽大作からインディーズまで、中国のチェン・カイコーや台湾のツァイ・ミンリャンといった巨匠とも組み、活躍は海外にも広がる。大切にしてきたのは「クサい言い方だけど、人とのつながり」。
 
「お金は大事だけど、人をバカにしないで生きることが、どれだけ自分を助けてくれるか。相手が若いからって上から目線でものを言うことはしない。先輩後輩ではなく仲間だから。後輩から『マサノブ』って呼ばれるけど、それでいいと思ってる。見えない部分を大切にしていると、ピンチになった時に絶対助けてくれる」
 
目標とするのは緒形拳。20代前半で出会って私淑した。「ちょっと出てるだけで、作品が変わるんですよ。演技が細かくて、滑舌は良くなくてもちゃんと通じる。芝居というのはこれだ、伝わるというのは、心が動くってことだと気付いた。最初に会ったのは、緒形さんが50代後半だったと思うけど、自分がその年齢に近づいていてもあんな芝居できませんね」
 
いまや後輩たちが、自分の背中を追っている。「誰から言葉をもらうか、めちゃくちゃ重要。だから、会ったヤツに少しでも人生が豊かになったと思ってもらえるようになりたいですね」。熱く、飾らない言葉はこちらの胸にも響いた。

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ライター
勝田友巳

勝田友巳

かつた・ともみ ひとシネマ編集長、毎日新聞学芸部専門記者。1965年生まれ。90年毎日新聞入社。学芸部で映画を担当し、毎日新聞で「シネマの週末」「映画のミカタ」、週刊エコノミストで「アートな時間」などを執筆。

カメラマン
ひとしねま

宮本明登

毎日新聞写真部カメラマン