印象に残るのは泣き顔ではなくて笑った顔
「ディア・ファミリー」は、よく泣く映画だ。出てくる人たちが、たくさん涙を流す。家族の1人が不治の病で助からないのだから、当然ではある。それでもこの映画、印象に残るのは泣き顔ではなくて笑った顔だ。特に、映画の半ばで命が尽きる次女の佳美の笑顔がいい。その死は物語の終点ではなく、むしろ新たな始まりとなる。若い命が失われる悲運に見ている方も泣かされるけれど、見終わると前向きな気分になって、温かい気持ちで席を立つ。〝難病もの〟はたくさん見てきたけれど、こんな映画、なかなかない。
苦闘と挫折の10年
登場する坪井家の人たちは、みなたくましい。映画は1970年代、父親の宣政がアフリカから帰国するところから始まる。単身で未知の大陸に飛び込んで、自社製品の髪留めを売り込んで大もうけ。その馬力もすごいが、おうように迎える妻の陽子も、たいした包容力だ。坪井家には3人の娘がいて、真ん中の佳美が先天性の心臓病である。9歳で手術は無理だ、余命10年と告げられて、夫妻は日本中の病院を回るがどこでも診断は治療不能。ならば運命と受け入れて穏やかに10年を過ごすのも選択肢だが、宣政は「お父さんが人工心臓を作ってやる」と決意する。そこからはタイムレース、佳美の命が尽きるのと人工心臓の開発と、どちらが先か。苦闘と挫折の10年である。
オレが諦めたら、それで終わり
宣政は陽子とともに医療の知識を独学で集め、大学に潜り込み、教授にすがりつく。しかし素人の夢物語を真に受ける医療関係者はいない。「人類が月に行くなんて思ってなかったでしょう」と強引に説得するのだが、アームストロングを月に運んだのは国家プロジェクトだ。町工場の経営者が、人類に大きな一歩をもたらすと言い放つ。その熱意に協力者が現れる。自社工場の一角を研究室にして心血を注ぐものの開発は難航し、残された時間はどんどん少なくなる。それでもめげない宣政は、「オレが諦めたら、それで終わり」と突き進む。
家族は一丸となって前を向く
この親にしてこの子あり、か。3人の娘も頼もしい。長女の奈美は小学校で佳美をいじめる悪ガキに食ってかかる。三女寿美は、屈託のなさで和ませる。佳美本人にも悲壮感がない。発作を起こし入院しながら、高校生活を楽しみ、父親の会社に就職して働き始め、青春を満喫する。もちろんこの間、いくつもの障壁に阻まれる。開発のための借金は膨らみ、佳美の容体は悪化する。協力者の手のひら返しにも遭う。ことあるごとに、家族は泣く。しかしそのたびに、宣政が号令をかけ、時に弱気になる宣政を娘たちが叱咤(しった)激励し、家族は一丸となって前を向く。
絶望するものの、佳美の言葉を糧に再起
そしてついに、宣政は「たとえ明日、人工心臓ができても完治は無理」と言い渡された。そのことを告げられた佳美が「私の心臓は治らないから、その知識を苦しんでいる人のために使って」と答える場面は、この映画の中盤のクライマックスだ。宣政は、もちろん泣く。号泣する。観客も泣かされる。しかし、映画の本領はここからだ。宣政は打ちのめされて絶望するものの、佳美の言葉を糧に再起する。血管に挿入するカテーテルの改良、開発を目標に定め、再び没頭する。佳美の命の火はどんどん小さくなり、陽子や姉妹は佳美との思い出作りに精を出すが、宣政は研究一筋だ。
涙の量も多いけれど、希望と夢を手放さず
映画にはずっと、死の影が付きまとっている。佳美の最期は確実に迫る。治療不可能宣告を受けるまでは、一家はそこから全力で遠ざかろうとし、その後は死を受け入れてなお前に進もうとする。悔しさと無力感を味わう場面の連続なのだが、絶望はしない、諦めない。全力でぶつかってくじけるから涙の量も多いけれど、希望と夢を手放さずに壁を乗り越えていく。
出演者の明るさと生命力
物語は実話を基にしている。宣政の不屈の闘志と坪井一家の前向きな姿は、モデルとなった家族のままという。月川翔監督は、ノンフィクション「アトムの心臓『ディア・ファミリー』23年間の記録」を出版した清武英利の取材メモと、家族への取材を通して、ウソのない物語を目指したと話す。映像にもそれが表れて、時代背景となる70年代から2000年代初めにかけての風俗や町並みを、CGやセットで再現。坪井家の様子も衣装や小道具で細部まで作り込んだ。宣政の研究機材や試作品も忠実だそうだ。そのこだわりが、信じがたい物語にリアリティーを与えている。そして、一家を演じた大泉洋と菅野美穂、佳美役の福本莉子ら出演者の明るさと生命力が、画面にエネルギーを注ぎ込んだ。
開発されたカテーテルは、今も世界中の医療現場で使われているという。映画を見終わって浮かぶのは、前に前にと進み続けた家族の姿と、一つの命が救われるたびに「良かった」と喜ぶ、佳美の笑顔なのである。