2024年を代表する映画、俳優を選ぶ「第79回毎日映画コンクール」。時代に合わせて選考方法や賞をリニューアルし、新たな一歩を踏み出します。選考経過から受賞者インタビューまで、ひとシネマがお伝えします。
2025.1.24
トランスジェンダー初受賞に「伝説になるわよ」 毎日映画コンクール助演俳優賞 カルーセル麻紀「一月の声に歓びを刻め」
「一月の声に歓びを刻め」では、性適合手術を受けて女性になった父親、マキを演じた。はじめは「分かんなかった。役に入れなくて……」と戸惑った人物を極寒の北海道で熱演。男女の別を撤廃した毎日映コン俳優賞で、初のトランスジェンダー俳優の受賞。「こんなことがあるなんて」と喜びを爆発させていた。
オーケーはしたものの……
自身もトランスジェンダーだが、「私は女になりたくてこの世界に入ったわけじゃないですか、オペまでして。結婚して子供もいるのに手術まで受ける人っているのかしら、と」。実際にそうした例があると知っても、すんなりとは行かなかった。
カルーセルをモデルに小説「緋の河」を執筆した作家の桜木紫乃が、桜木の別の小説をドラマ化した縁でこの映画の三島有紀子監督とも親しく、背中を押したという。ただ「おっかない監督だよ、怖いよって」脅された。「オーケーはしたんですけど、どうなるか分からない、役になかなか入れなくて」
「一月の声に歓びを刻め」© bouquet garni films
メークなし、体も凍る長回し
役だけでなく、環境も厳しかった。撮影は極寒の洞爺湖。出身は北海道だが、このときは記録的な寒さで、腰まである雪の中だった。「北海道に着いたら猛吹雪。タクシーでホテルまで3時間半かかって到着したら、誰もいないし」。翌朝は午前4時出発。メークをして現場に現れたら、三島監督は「あ、それ取ってください。素顔でいきますから」。少しだけ残ってしまったマスカラも「それも取ってください」。撮影はベランダに出てたばこを吸う場面から。氷点下20度。「もう、寒くて寒くて寒くて」。共演の宇野祥平は、頭に湯たんぽ乗せていた。「たばこを何十本も吸って、終わって部屋に入ろうとしたら、脚も口も凍っちゃって動かない」
「食事の休憩時間は短いし、共演の片岡礼子さんや宇野さんとおしゃべりしていると、『仲良くしないで。カルーセル麻紀に戻らないで』って。すれ違い様に『メルド(フランス語のののしり言葉)』って言ったらにらまれて。『鬼』って呼んでました」。撮影中はほとんど会話することもなかった。「監督に殺されるかと思った」は、舞台あいさつでの決めぜりふになった。
「麻紀さんの肉体と声を信じた」三島監督
ただ、それも三島監督流の演出術。マキが鏡に向かって化粧し、多くのセリフを言いながら過去をたどる一人芝居の長回し場面は、映画のクライマックスのひとつ。共演者は先に宿所に帰され、カルーセルが一人残された。「待ち時間にこうしよう、こうしなくちゃと考えて、そのときに役に入れたんです。監督の狙いだったんですね」
圧巻はラストシーン。マキは幼くして湖で死んだ長女れいこへの罪悪感から逃れられず、正月に訪ねてきた次女にも拒まれて、動揺する。錯乱状態のまま深雪の中に歩き出し、娘の遺体が見つかった湖畔までたどり着いて、号泣する。ここも長回しだった。「雪に足跡が付くから一発勝負。監督からは、湖のあの辺まで行って、こう回って、死体が上がった場所はこの辺で、と説明されただけ」。三島監督は「麻紀さんに言ったのは、その場所でれいこの遺体が見つかったということと、父親の声で、世界中の人に届くように言葉を発してほしいという二つだけ。麻紀さんの肉体と言葉を信じました」と振り返る。
カルーセルは中断するわけにはいかないと、尿意対策に紙おむつまで装着。「でも私はそのとき、役に入ってた。湖に張った氷がれいこに見えて、パッと手を入れて『わー、れいこー』って叫んで倒れて、その勢いで雪が舞って、晴れた空の太陽を見たら、涙が出てきた。すごいきれいなシーンでした」。カメラのそばにいた三島監督が飛んできて、「麻紀ちゃんよかったーって、抱いてくれた」。そこで初めて「本当にいい監督だって、思いました」。
自主製作と知って「文句言ってられない」
後になって、本作は三島監督がやむにやまれぬ思いで作った自主製作映画で、八丈島、大阪と各地を回る厳しい日程だったという事情を知った。「しゃべったり一杯飲んだりしてる暇なんかないわよ。朝早く現場に行って夜中まで撮影して、いつ寝てんのかと思うぐらい。私財投げうったっていうから、文句言ってられないわって」。全て終わってから新宿・ゴールデン街に誘い、全国の映画館を舞台あいさつで回った。
「でも、久しぶりに映画らしい現場だった。監督が目の前にいて、やりやすかったの」。近年は離れた場所に置いたモニターで俳優の演技を見る監督が多いが、三島監督はカメラの横に陣取る、昔ながらのスタイルだった。1960年代初めに芸能界に入り、石原裕次郎や太地喜和子、勝新太郎ら多くの知己を得、映画にも出演。深作欣二監督の「道頓堀川」で演じたゲイの青年役は高く評価された。「いろんな監督と映画撮って、楽しい人ばっかり。でも、こんな初めての役、三島監督がいなかったらできなかった。きつかったですけど、やりがいがありました」
鬼監督がいたから すごく仲がいいんです
毎日映コンは今回から男女優の別を撤廃。「助演俳優賞」として初の受賞者となった。「ノミネートって聞いて、仲間と大騒ぎしたの。みんなものすごい喜んで。『映画には私たちみたいな人も出演してるけど、賞をもらうのは初めて。伝説になるわよ』って」。
「それもやっぱり、〝鬼監〟がいたから。今はすごく仲いいんです」。取材の場にも、三島監督が花かごを持って駆けつけた。「この年だし、これが最後の映画だと思ってました。でも、三島監督とだったら撮るわ。いろんな監督さんとお仕事してきましたけど、今回は本当に映画を撮ったって感じ。さんざん苦しめられたけど、よくできたなと思います」。80歳を越えてなお、若々しい。〝次回作〟が楽しみである。