第79回毎日映画コンクールで主演俳優賞を受賞した「正体」の横浜流星

第79回毎日映画コンクールで主演俳優賞を受賞した「正体」の横浜流星前田梨里子撮影

2025.1.24

「しんどい、でも幸せ」横浜流星の〝役を生きる〟演技術 毎日映画コンクール主演俳優賞

2024年を代表する映画、俳優を選ぶ「第79回毎日映画コンクール」。時代に合わせて選考方法や賞をリニューアルし、新たな一歩を踏み出します。選考経過から受賞者インタビューまで、ひとシネマがお伝えします。

筆者:

勝田友巳

勝田友巳

撮影:

ひとしねま

前田梨里子

2024年は出演映画が次々と公開され、NHK大河ドラマ「べらぼう 蔦重栄華乃夢噺」の主演も決まり、実績も人気も充実する一方だ。それでも「正体」での受賞は格別だという。というのもこの映画、初主演作として5年ほど前に企画されたが諸事情で流れ、形を変えてようやく実現したのだ。それだけに「うれしいですね。どの作品にも全力を注いでますが、特に思い入れが強いので」と喜ぶのである。


変装しながら逃亡する死刑囚を熱演

受賞の知らせは「べらぼう」の収録中に聞いたという。「重たいシーンで疲れていた時に、マネジャーからとほぼ同時に藤井道人監督からも連絡があって。その時演じていたのは悲しい場面でしたが、心は喜びでいっぱいでした」

「正体」は、染井為人の小説が原作。死刑囚の鏑木が無実を証明するために脱獄し、真相に迫るサスペンス。鏑木は姿形や職業を変えながら逃亡し、出会った人々に全く別人の印象を与える。横浜は、鏑木が変装した5人の人物になりきった。しかし、5役を演じたのではないという。「どの人物も鏑木なんです。鏑木は町や人に溶け込むために、出会った人それぞれに対して、自分でない人物を演じる。人は誰でもいろんな顔を使い分けていると思いますが、それを強調しただけ」

「全くの別人になるのなら、その方が楽だったと思います。常に鏑木がここ(と胸を押さえ)にいなきゃいけない。そこにいるのは自分なのに、見せている顔は自分ではない。出会った人たちがくれる温かさも、100%素直には受け取れないんです。その申し訳なさ、もどかしさが、しんどかった」


「正体」©︎2024 映画「正体」製作委員会

鏑木が背中を押してくれた

鏑木の逃避行は1年に及び、撮影も夏と冬の2期に分けて行った。役に入り込むタイプだけに、正体を隠した逃亡犯として、長い期間を過ごすことになった。「不器用で、簡単にスイッチをオン、オフできない。常に役のことを考えて、気持ちを維持しないといけない。孤独でした」

「身も心も削られて本当にしんどかった」と振り返るが、「撮影環境としてはすごく幸せだった」とも言う。「逃亡する鏑木と同じ気持ちになって、共存できた。鏑木は、自分の無実を証明するんだという意識をずっと持っている。自分も、決めたことは絶対に曲げない性格だけど、やっぱり心が折れそうになる瞬間はある。でも鏑木は折れない。希望を捨てなければ絶対いいことが起きる。そういう思いを鏑木がくれたし、背中も押してくれた」

それだけに、演じきった手応えも感じたようだ。「藤井組は常に妥協せず、納得いく作品を届けていると思っています。特に今回は、初日の舞台あいさつで映画を見終わった人たちにすごい熱気を感じて、たくさんの人に届くかもしれないと思った。一つ上のステージに行けたねと話していました」

ここ数年、俳優としての評価がうなぎ登り。「流浪の月」(22年、李相日監督)のDV夫、「ヴィレッジ」(23年、藤井道人監督)では殺人犯の息子としてさげすまれどん底にいる男、「春に散る」(23年、瀬々敬久監督)の再起を図るボクサーと、精神的、肉体的にハードな役を好演してきた。「心からやりたいと思えた役でした。挑戦ですが、そういう作品は見るのも好きですし。本当に幸せな環境にいると感じています」


空手少年から方向転換

小学校6年生でスカウトされて、芸能界に踏み込んだ。所属事務所に言われるままボーイズグループで活動したが、当時は空手に夢中。「格闘家として生きていくと決めていたから、芸能活動は習い事感覚。テレビに出られるならうれしいな、ぐらいの気持ちで、電車でレッスンに通う間も、空手の稽古(けいこ)がしたかった。道場では勝ってもガッツポーズをするな、負けても泣くなと指導されていたから、自分を表現するのも嫌いでした」。しかし高校時代にドラマ「烈車戦隊トッキュウジャー」で、戦隊の一人を1年間演じて、演技の面白さを知った。「芝居の学校のように一から教えてくれる環境でした。大学に進学するかこの世界で生きていくか、格闘家の道か。悩みましたけど、今楽しいことは芝居だと」

決心したものの順調とはいかず、オーディションに落ち続けた。それでもやめようとは思わなかったという。「作品に参加できないなら、まず自分がやるべきことをやろう」と、映画を見たり演技のワークショップに参加したりと、くさることなく雌伏の時を過ごした。やがて舞台に出演するようになり、ドラマや映画の役が付き、認知度も人気も上がっていく。「流浪の月」が一つの転機となった。「それまでのことは通じず撃沈して、李監督にしごかれた。でもそのおかげで、次のステップに上がれたのかな」。藤井監督とも「全員、片想い」(16年)の打ち上げで出会って以来、盟友という間柄だ。「縁を感じています」

ただ、慢心することはない。「自分たちの職業は、ある種の商品。間違えたらどん底まで落ちる。これからも世に訴えかけるような、意味のある作品に出演して、日本映画を盛り上げていく一人になれたらなと思います」

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