「アイミタガイ」

「アイミタガイ」© 2024「アイミタガイ」製作委員会

2024.11.15

生死を超える日本的美学の具現「アイミタガイ」に〝日本はIP産業のエルドラド〟を実感

国際交流基金が選んだ世界の映画7人の1人である洪氏。海外で日本映画の普及に精力的に活動している同氏に、「芸術性と商業性が調和した世界中の新しい日本映画」のために、日本の映画界が取り組むべき行動を提案してもらいます。

洪相鉉

洪相鉉

コンテンツ産業を国家戦略産業に育成し、2027年に世界4大コンテンツ強国に跳躍するという政府の発表。このため、映像コンテンツ産業の規模を27年までに約4兆4000億円以上に拡大し、キラーコンテンツの創出のため、28年までに1100億円以上の戦略ファンドを新設し、エミー賞、アカデミー賞など主要海外授賞式の受賞作を5年間で5本創出すると韓国文化体育観光省が発表した。昨年11月14日、ソウルのモドゥ芸術劇場で発表した映像産業跳躍戦略の内容である。就任後初の政策発表に乗り出したのは大臣の柳仁村(ユ・インチョン)で、筆者の先輩であり恩師でもある。彼とはただこの関係性だけでは説明が足りない縁がある。

恩師の一言

かなり長い話を最大限簡単に言うと、そもそも筆者と彼との出会いは筆者の突発行動が原因だった。国際関係の研究者になることを願った父の意に逆らい、アメリカの大学院の入学許可を受けた状況で決行した演劇映画学科の学部進学。自業自得というか代価は苛酷だった。20代半ば、同期生よりおよそ5、6歳上だった私だが、自立といえばまだ子供に過ぎなかった筆者。年を取るほど遅れているという自責の念とともに、中途放棄の誘惑から脱することができなかった。

そうして夜明けに作成した退学届が入ったリュックを背負ったまま参加した期末公演のアフターパーティー。そんな筆者の顔から一抹の不安を感じ取ったのだろうか。柳先生は卒業に10年かかった自分の大学時代の話を始めた。「新卒採用を目標とする学科ではなかったことは、すでに分かっていたではないか。途中放棄は自分の選択が間違っていたことを認めることだ」という言葉で終わったまたとないの忠告。大事な縁。誰でもひとつくらいは持っている。さらには当事者たちが世の中から消えた後も生き残って、誰かに伝承される話。

日本はIP産業のエルドラド

面白いことは、釜山国際映画祭で親友の佐藤信介と共に彼の代表作をプロデュースしたもう一人の親友、辻本珠子の紹介であいさつを交わし、ひときわ優しく人の良さそうなプロデューサーの宇田川寧の正式出品作「アイミタガイ」によって、競争力のあるストーリーを見つけるビジネスに国の命運をかける恩師の構想を思い浮かべるようになったということだ。

読者の皆様には「なんというとんでもない話か」と指摘する前に、どうか考えていただきたい。場合によっては莫大(ばくだい)な予算を投入して数多くの専門家たちが精密な計画を立ててこそ確保できるストーリーが日本の映画業界には散在している。そうではないか。国境を越えて数多くの読者を泣かせ、その原作が映画化されることを待ち、再び劇場を訪ねて泣かせようとする数え切れないストーリーを見てみよう。浅田次郎や東野圭吾のような「世紀の宝物」まで言及する必要もない。みんなの想像を超える原作が数え切れないほど多いのだから。IP(知的財産権)産業という専門的な名称で呼ばれる現代の基準で言うと、日本列島は「IP産業のエルドラド(昔、スペイン人が南米アマゾン河畔にあると想像した黄金郷)」である。


日本的美学の具現「アイミタガイ」

宇田川寧プロデュースの「アイミタガイ」は、幻冬舎の自費出版ブランドから刊行された連作短編小説で、「台風家族」などの監督である市井昌秀が土台となる構成を完成させ、「チルソクの夏」、「半落ち」、そして「夕凪の街 桜の国」では被爆して現在を生きる七波(田中麗奈)が、被爆で命を落とした皆実(麻生久美子)の写真を眺めるシーンを何度も振り返り、号泣させた巨匠、佐々部清の遺志を受け、釜山国際映画祭のオープンシネマ部門でコロナ禍のさなかの世界の若者たちを慰めた新進気鋭の草野翔吾が、MZ世代の感性を加えて「ブランディング」した「IP産業の寵児(ちょうじ)」に違いない。

愛らしい娘であり、かけがえのない友達だった叶海(藤間爽子)の足跡を一歩一歩たどって、誰も気づかなかった瞬間、光の当たらない社会の所々に残した「美しい遺産」と向き合うこの胸いっぱいの話の鍵が、極めて現代的なスマートフォンのメッセージだったという驚くべきナラティブを確かめるだけでも、劇場に駆けつける理由としては十分である。

それに恥ずかしさに躊躇(ちゅうちょ)する人は多いが、実は皆がタイトルの意味のように「アイミタガイ」=「相身互い」を思い、優しい目線で眺め、結局は誰かが支えてくれることを確信するようになるという、この極美の世界観に、我々は映画が終わった後も簡単に客席から立ち上がれない。不信と憎しみが広まった今の世界で、小さな話であるにもかかわらず、このように大きな力を伝える作品が他にあっただろうか。

さらに、作品を200パーセント理解したように見える黒木華、中村蒼、藤間爽子、安藤玉恵の「若組」、西田尚美、田口トモロヲ、風吹ジュン、草笛光子の「年輪組」が競合する演技の饗宴(きょうえん)は、観客に息をする時間も与えないが、心に充足した気持ちが続く幸せの瞬間を与えてくれる。これはまるで人間の生は死として終わらず、彼を記憶する皆によって永遠に続くという生死を超える日本的美学の具現である。

やはり釜山ではなく、東京でもう一度劇場に行かなければならない。そこで涙を含んだ笑みを浮かべながら作品が伝える長い余韻を吟味していれば、劇場のロビーでカメラを首からかけて笑っている叶海に会えるのではないか。

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ライター
洪相鉉

洪相鉉

ほん・さんひょん 韓国映画専門ウェブメディア「CoAR」運営委員。全州国際映画祭ㆍ富川国際ファンタスティック映画祭アドバイザー、高崎映画祭シニアプロデューサー。TBS主催DigCon6 Asia審査員。政治学と映像芸術学の修士学位を持ち、東京大留学。パリ経済学校と共同プロジェクトを行った清水研究室所属。「CoAR」で連載中の日本映画人インタビューは韓国トップクラスの人気を誇る。

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