国際交流基金が選んだ世界の映画7人の1人である洪氏。海外で日本映画の普及に精力的に活動している同氏に、「芸術性と商業性が調和した世界中の新しい日本映画」のために、日本の映画界が取り組むべき行動を提案してもらいます。
2024.5.22
全州国際映画祭で見えた未来―「夜明けのすべて」など日本映画界がアジアの多様な映画文化を築く足がかりになる
5月15日現在、韓国内2980スクリーンでの累積観客数は1017万465人、累積売上高は5月16日の為替レート基準で111億5966万7969.14円。これはすでにパート3まで公開されている韓国アクション映画「犯罪都市4」の興行成績である。2022年の全人口(5163万人)を基準にすると約19.6%、すなわち国民の5人に1人がこの映画を見たということになる。実に驚異的な数値である。
「産業」としての映画作り、その弊害から脱却するために
しかし、誰かに日本映画人として「この数値が羨ましいか」と聞かれたら、筆者の答えは「NO」である。もちろん中央大学校演劇映画科(韓国)で一緒に学生時代を過ごした先輩の製作者が、韓国映画界の頂上に立っていることに対してはお祝いしたい気持ちは持っている。しかしこの結果は、今まで何度も強調してきたように売れる映画だけに「オールイン」する流通システムで全国チェーンの財閥系シネコンに愛され、どこの映画館に行ってもむしろ他の映画を見るのが難しい状況で生まれたものだ。少数のブロックバスターが支配する映画界で多様性は枯死していき、それは読者の皆様が名前を知っているほどの規模を持つ韓国有数の国際映画祭で受賞した作品も例外ではない。「勝者総取り方式」の不条理が蔓延(まんえん)する現状で、映画の製作本数はむしろ減少傾向にあり、韓国映画産業化以後に養成された優秀人材は外資系の配信に流れていく。今年の第25回全州国際映画祭はアジアのサンダンス映画祭を目指すアートㆍインディーズ映画中心の国際映画祭として、このような現実について一緒に世界映画人の知恵を集めようという真剣な問題意識を持ち、関連フォーラムなどさまざまな関連プログラムまで準備して開催された談論の場でもあった。
厳しい現実の中に反転のポイントもあったが、同映画祭に集まった世界のフィルムメーカーに希望を与え、未来について話させる役割をする、それと同時に筆者の鼻も高くした存在が他でもない日本映画だった。
2本の「日本映画」が、産業発展のための議論を加速させた
▲開幕式場で開幕作を紹介している三宅唱監督
その始まりは言うまでもなく筆者の心友で、今日の日本映画の未来を担うプロデューサーの一人・井上竜太が企画プロデュースを担当した「夜明けのすべて」だった。第14回北京国際映画祭コンペティション部門で最優秀芸術貢献賞受賞という勝報とともに、10日間の全州国際映画祭の扉を開いたこの作品は、当日の天気予報でも分からなかったゲリラ豪雨が降る悪天候の中、開幕式直後に上映される開幕作として観客の呼応度が思ったより高くない(ほとんど当日に入国してレッドカーペットイベントまで参加するため、疲れている状況)という先入観を破り、レセプション会場を「開幕作懇談会」にする異変を演出した。まるでコンペ部門受賞作の上映後のレセプションのようであった。閔盛郁(ミンㆍソンウク)執行委員長のアドバイザーであり、韓国ではそれなりに日本映画の専門家として知られている筆者は、四方から投げ出された質問に答えるために、とても愉快な気分になった。何より韓国映画界の基準なら低予算にあたるコストで驚くほどの興行成績を記録した点でも、アートフィルム作りの難しさを訴えている全州の皆に輝くロールモデルになっただろう。西川朝子プロデューサーに「井上竜太の友達です」とあいさつし、三宅唱監督に本サイトでのレビューについて語りかけると、喜んでいる井上の姿を聞き、さらに感無量な瞬間となった。
▲レッドカーペットを歩いている保中良介監督と女優の内海誠子氏
もうひとつは、日本映画の未来を見せる点で意味深長なワールドシネマ部門正式出品作の「スキマのオヤジ」。デビュー作の監督とはいえ、実は20年以上も映画現場でキャリアを積んだベテラン新人の保中良介監督は、実にポジティブな化身のような積極性で、世界の映画関係者に出品作と自分の映画に対する気持ちを伝え、日本映画特有の普遍性に基づいたワールドフレンドリーなイメージを固め、同行したヒロインの内海誠子氏は、秀麗なルックスに関西人ならではの快活さ、さらに3カ国語(日本語ㆍ英語ㆍ韓国語)を自由自在に駆使する国際感覚で注目を集めた。当然の話だが、彼らのイメージは開幕3日目と4日目に続いた上映会での爆発的な反応によってさらに上昇した。当初出品された部門自体が、これまで欧米ではクロエㆍジャオ、日本では三島有紀子など世界のアートフィルムの動向を示す趣旨であるため、毎年観客と評壇の関心を集めているが、今年参加した彼らの映画は「父親代行業」という独特の題材とともに、実に今の時代に存在するすべてのクリシェを破ろうとする新鮮な演出と、とても初主演作とは思えない内海氏の演技という三拍子が完璧に調和し、時には難しすぎる作品もある全州出品作に対する先入観を超えた傑作である。
▲筆者(左)、閔盛郁全州国際映画祭執行委員長と開幕式のレセプションで歓談している保中良介監督と女優の内海誠子氏
日本のミニシアターは〝映画のこれから〟を変えるエンジンになる
何より誇らしかったのは、このように世界の人々に愛された作品の映画祭以降の歩みに対し、ブロックバスター中心のシネコンのシステムと、それさえも脅かす外資系配信の氾濫に優れた代案として機能しているミニシアターの存在だ。1000万観客の韓国映画界にもシネコンの特別館を除けば全国に42館しかないミニシアターだが、日本全国には136館もある。これらのミニシアターは、全国各地で時には配給会社の影響からも独立して、大資本の秩序の下では決して生まれない多様性の映画体験を観客に伝えている。告白すると、洪常秀(ホンㆍサンス)の作品「小説家の映画」のロケ地として、今は全州国際映画祭のサロンの役割をする「カフェ小説」で過ごした最終日の夜、午前3時まで筆者と海外映画関係者が熱い討論を続けたテーマは、アジアにおける芸術映画事情と日本のミニシアター文化だった。あの時に会ったあるイギリスのインディーズ映画監督の表現のように「実に適切で希望的な(truly appropriate and hopeful)話」。
もちろん国内でも最近いろいろと難しい事情があることは知っている。世界中どこにでもあるクリエーターの過酷な現実もきっとあるだろう。それにもかかわらず、今この瞬間にも映画作りに熱情を燃やしている頼もしい映画界の仲間たちにメッセージを伝えたい。
「親愛なる諸君、我々にはまだ頑張れる時間と才能がある」