「雨の中の慾情」

「雨の中の慾情」©2024 「雨の中の慾情」製作委員会

2024.12.11

音声ガイド制作者が見た成田凌主演「雨の中の慾情」 さまざま不思議なことが起きる映画を出演者自身がナレーション

誰になんと言われようと、好きなものは好き。作品、俳優、監督、スタッフ……。ファン、オタクを自認する執筆陣が、映画にまつわる「わたしの推し」と「ワタシのこと」を、熱量高くつづります。

松田高加子

松田高加子

若い頃に、つげ義春の漫画をいくつかまとめて読んだことがありました。「雨の中の慾情」の映画ができたと聞いた時、おぼろげに、男女2人きりの短編漫画で、つげ義春作品らしいエロスと珍妙さをそなえていたことを覚えていたので、たちまち興味をかき立てられました。

音声ガイド制作に取り掛かるにあたって、スクリーンで試写ができました。見終わった後、小さい声で「すっっばらしかったー」とつぶやきました。促音の「っ」が二つです。まるで、香水の香りの変化を楽しんだような印象が残りました。トップノートはのんきなムードの中にセクシーさが漂う香り、ミドルノートで不穏さが混ざったミステリアスな香り、ラストノートでカオスの中に切なさが香る、というような……。


これから始まる映画の行く末を示唆する

そして、いつものごとく、見たままを説明する係として音声ガイドの原稿を書きました。音声ガイドについては、連載第1回の「悪は存在しない」の冒頭部分に詳しく書いてありますので、参照してください。

「音声ガイド制作の仕事「悪は存在しない」私は分からせる係ではなく、見たままを描写する係」

音声ガイドは、目の見えない人に「答え」を教えるといった性質のものではないので、この作品を完全に理解してます!という状態では書きません。けれど、少なくとも音声ガイド原稿を書く私の主観で決めつけることだけは避けたいと思って、書き始めました。映画の冒頭のシーンというのは、これから始まる映画の行く末を示唆するものでとても大事だと思っていますが、この作品の始まりを音声ガイドでお伝えしますと
 
泣く女と黄金バットの絵。
タイム(ロゴマークの読み上げです)
 
トンボを捕まえる甚兵衛姿の男の子。
法衣(ほうえ)をまとった即身仏。
赤い液体まみれのリンゴ。
全裸で野ぐそする男。
海の上で爆炎があがる。
 
TAICCA/MyVideo(これもロゴマーク)
 
暗闇へ続く線路。
穴の向こうに少年の目元。
割れたピスタチオ。
テングザルの交尾、腰を振るオス。
 
セディックインターナショナルのロゴ、
サルがSの字にぶら下がる(ロゴマークの説明)
 
水中のオタマジャクシ、
耳たぶに触れる手、
檻(おり)の中のクマを銃殺、
囚(とら)われたざんばら髪の武士、
死んだクマの濁った眼、
押し寄せる侍、
核実験の映像、爆破される建物。
暗転。
白い手書き文字でタイトル 「雨の中の慾情」
「欲」の漢字には、下に心がついている。
 

何が映っているのか、にこだわって描写する

本当はこれ以上に映像は出ているのですが、大変短い尺で切り替わっていくので、読み切れる範囲の情報にとどめてあります。さて、この冒頭を聞いた視覚障害モニターさんはどう感じたか?きいてみました。「全くワケは分からないけれど、なんか変な映画なのだろうなと思った」「全然ついていけてない。どうなるんだろう?と思った」というようなご意見でした。ご覧になった方、どうですか? 目が見えていても見えてなくても、おおむね同じような感じではないでしょうか? そして、期待通りと言いますか、次から次へと奇妙な人が登場してキテレツな展開をしていきます。

主人公の義男は、尾弥次(おやじ)という大家さんに頼まれて、引っ越しの手伝いに行った先で福子と出会うのですが、今でも福子がなぜ引っ越しという時に、あのような状態にあったのか不明ですが、とにかく私は見たままに説明をしました。冒頭の音声ガイドはこんな感じです。
 
(義男が)壁に目をやり、はがれかけのポスターの端をつまむ。
すぐに視線を戻して、ポスターをはがす。
ポスターの横にあった楕円(だえん)形の鏡に、ベッドが映っている。横たわった全裸の女性の背中。
ベッドのそばに膝をつく義男の後ろ姿も映る(A)。
女性の艶やかな色白の肌。
義男がポケットから出したもので、ポスターの裏に絵を描き始める。
時々視線をあげては、手を動かす。黒いチョークのようなコンテで描いている。
背中の輪郭を描き、目をあげる。手が止まる。

 

生まれつき視覚を使ったことがない人と映画を共有する役割

少し分かりにくいでしょうか。つまり、漫画家である義男は、部屋に入るなり、奥のベッドに全裸の女性が背中を向けて横たわっているのを見て(この時点では映像に女性は映っていない)、とっさに、描きたくなって紙を探すのですが、一秒たりとも目を離したくないという心境。なので、壁に貼られたポスターの端をつまむやいなや目を戻して、床にポスターの裏面を上にして置いて、ポケットからコンテという名前のチョークで絵を描き始めるということです。

「義男が描く姿」は鏡に映った後ろ姿を見せることで伝えています。音声ガイド「時々視線をあげては」というところでは、義男を正面から捉えた映像になっています。生まれつき視覚を使ったことがない人の中には、「鏡に映る」というようなことがよく分からないと言う方もいるかもしれません。ちなみに、今回のモニターさんにも1人、一度も視覚を使って何かを見た経験はない、という方がいましたが、彼は問題なくついてきてくれていました。映画製作は視覚を使う人の文化と言える部分が大きいです。私としては、音声ガイドがそういった目が見える人独特の行いを、生まれつき見たことない人と共有する役割を果たす可能性があると思っています。そういったことも含めて、なるべく映像に忠実に描写することを心掛けています。

たとえば、(A)の部分を、「ベッドのそばに、義男が膝をつく。」と書いても、起きている現象としては間違いないのですが、見えてくる映像が違うと思うんですね。このガイドだと、映像には義男の顔が映っているとイメージされてしまうと思うのです。さらに、この作品ではところどころで、鏡を使って私たちに見せてくるということがあるので、鏡の描写はやはり外せないと思います。なぜ、こういう撮り方をしたのかまでは聞けていませんが、「映画とは何が映っているかだ!」派としては、できうる限り、映像に忠実に描写をしてしまうのです。

どうして冷えてると分かるの?

毎回、何かしら、反省をしながら音声ガイド制作をしていますが、今回は、「冷えたシャンパン」問題がありました。全体的にセリフの少ない映画でしたので、おのずと、映像を説明しないといけない音声ガイドが多めになるのですが、逆にセリフがあるところにあまり尺(無音の部分)がない傾向もあり、苦労するところもありました。義男が病院のベッドでお守りの匂いをかぎながら寝落ちすると、義男と福子がバスタブの中にいる、というシーンに切り替わります。ここは、台本からの言葉を借りて「不思議な空間」としました。尺があれば、ツタのはう壁に囲まれた空間。真ん中にバスタブがあるという見た目を伝えたいのですが厳しかったので、「不思議な空間」というズルをしました。不思議な空間って言われても何をイメージすればいいの?とおっしゃる方がいるかなと覚悟していましたが、そもそも不思議なもので埋め尽くされた映画のせいか、そこに引っかかる人はおらず、それよりも、「ろうそくやランタンがともっている。そばに冷えたシャンパン。」と雰囲気を伝える意味も兼ねて書いたガイドに、ちょっと待った!がかかりました。どうして冷えてると分かるの?と指摘がきました。

まさに、まさに、です。冷えたシャンパンというのはイメージすべき映像を迷子にさせてしまう音声ガイドです。音声ガイド制作者の中には、この書き方を貫く方もいますが、私の場合、何を見て冷えてると判断したか、の方を書くようにしているので、初稿を提出した時に、ここは尺もないし見逃してもらえるかな?と甘えた気持ちもありました。映像としてはバスタブのそばの台の上に、バケツ型のクーラーが置いてあり、そこにシャンパンのボトルが入っていて(シャンパンという言葉にも厳密な定義がありますがここはシャンパンでOKということでした)。シャンパンがつがれた二つのグラスも置いてある。グラスに水滴が浮いていたりはしないのですが、冷えてるだろうと思う。ここは、尺との相談で、結局冷えたシャンパンという文言のままで収録しましたが、「シャンパンの入ったグラス」だけでもよかったのかも……と反省しています。また、義男が全速力で走るシーンがあるのですが、義男が腕を伸ばして走ります。気になってはいたのですが、さまざまな理由で書くのをやめました。が、成田凌さんが何かのインタビューで、義男の走り方はこうだろうと思ってあの走り方にした、というようなことをおっしゃっているのを読んで、やっぱり書いておけばよかった、とまたまた反省しました。

 

出演者自身がナレーション

今回は、音声ガイドのナレーターを映画内で「靴屋」役を演じている松浦祐也さんにお願いしました。ありがたいことにご本人たっての希望もあったので、モニター会の終わりに、「登場人物である靴屋さんがナレーションするという案はどう思う?」と視覚障害のあるお二人にきいたところ、「作品そのものが不思議な映画なので、きれいに読むナレーターさんじゃない方が雰囲気に合うかもしれない」というご意見をいただいたので、松浦さんにお願いしました。ちょうど30分ほどたったところに、スローモーションのおもしろいシーンがあります。登場人物のエックスが商店主たちに追いかけられて、羽交い締めにされるまでの様子を描いているのですが、人々の声などは入っていないため、視覚を使わずに鑑賞すると、タンゴ調の音楽が流れているだけ、という状況になります。その部分は、松浦さんに自由にやってくださいとお願いをしたところ、そのシーンにぴったりの雰囲気で読んでくださいました。この部分だけでも聞いてほしいくらいです。ちなみに、このシーンには靴屋の店主である松浦さんも出ています。音声ガイドとしては、こんな感じです。
 
「横から靴屋の店主。幅跳びのように飛んできて、つんのめって消える」。もしかしたら、「俺が横から飛んできて、つんのめって消える」でもいいかなーと思ったりしましたが、そういう冒険はまた次の機会に……。

さまざまにおかしなことが起きる映画でしたが、ラストのところで、福子が壁に貼られた義男が描いてくれたヌードのスケッチを見つめるシーンがとても好きです。なんと表現しようかと迷いましたが、どストレートに「寂しそうな目で見つめる」としました。それ、松田(筆者)の主観では?とおっしゃる方もいるかもしれませんが、ここまでくれば、私が何と表現しても見ている方の中にそれぞれの福子の表情が表出されているのではないかと考え、どストレート表現を選びました。時に、音声ガイドユーザーは私の言葉など聞いていないことがありますから。

松浦祐也さんの音声ガイドナレーションに興味のある方は、UDCastというアプリを映画館で試してください。

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ライター
松田高加子

松田高加子

2001年より視覚障害のある人と一緒に映画鑑賞を楽しむサークルに参加。音声ガイドのノウハウは視覚障害のあるメンバーたちと共に構築しながら習得。映画のお客さんの中に見えない見えづらい人がいて安心して鑑賞できていないことを知り、映画鑑賞人口を増やす一助にもなるはず、とそれまで音声ガイドの制作は、ボランティアによるものが主流だったが、職業として認知されるべく活動を開始。
配給会社勤務を経て、現在は、映画、映像の音声ガイド制作を中心に、配給のお手伝いを少々。映画の持つ<人と人をつなげる力>にあやかって日々邁進中!
音声ガイド制作に携わった作品「福田村事件」「ゴジラ-1.0」「夜明けのすべて」など。

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  • 「雨の中の慾情」
  • 第37回東京国際映画祭のレッドカーペットに登場した「雨の中の慾情」の(左から)森田剛さん、成田凌さん、中村映里子、李杏さん=東京都千代田区で2024年10月28日
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