誰になんと言われようと、好きなものは好き。作品、俳優、監督、スタッフ……。ファン、オタクを自認する執筆陣が、映画にまつわる「わたしの推し」と「ワタシのこと」を、熱量高くつづります。
2024.11.25
<ネタバレあり>音声ガイド制作者が見た「本心」 田中裕子さんのお芝居の素晴らしさに身震いする
「本心」を最初に見た時、近い未来にバーチャルフィギュア(VF)というものが当たり前になっているかもしれない、というようなリアリティーより、主人公・朔也の動機、亡くなった母の本心を探りたくてVFを作るという発想に興味を引かれました。若い頃なら、好きな人の本心を探りたいと思ったりしたかもしれないけれど、今は、誰かの本心など知っても意味がないと思ってしまっているからかもしれません。でも、朔也の朴訥(ぼくとつ)で純粋なキャラクターを知り、そこへいくことも納得しました。そして、作品の真ん中にある本心を知りたいという気持ちに、母と仲が良かった三好との同居生活の中から生まれる気持ちが絡んできて……という展開で、アイテムは近未来的であるけれど、普遍的なことが描かれていると感じた作品でした。
音声ガイドは自由に鑑賞すべき部分に口出しはしません
さて、私のお仕事は、映画の音声ガイド制作でして、ガイド原稿を書き、スタジオでナレーターさんに読んでもらうといったことをしています。音声ガイドは、映画館の中では、音声認識の技術を活用したアプリとイヤホンがあれば聞けるようになっていて、どなたにでも使っていただけますが、そもそもは、目の見えない、見えにくい方が安心して作品を楽しめるように作成されているものです。
なので、私は目で見たものを説明する係です。登場人物たちの感情や、見ている人がどういうこと?と考えてしまう部分に何か説明をするものと勘違いされがちなのですが、それは基本的にはしません。つまり、見えている人にも見えていない人にとっても、自由に鑑賞する部分に口出しはしません。今回の「本心」も、作品から伝わる「気持ち」の部分は、視覚(映像)からつかんでいるというより、ストーリーそのものだったり、セリフだったり、役者さんの演技だったり、音楽だったりからつかめるものでしたので、その部分にガイドは入れていません。ただ、作品の目玉とも言えるバーチャルフィギュア、通称VFがいる世界、つまりゴーグルを装着した世界と、装着していない世界があったりするので、その違いが目で分かっている場合は、音声ガイドでも拾わないといけないので、拾い忘れがないか丁寧に確認しました。
リアルアバターに絶妙なリアリティーを感じる
主人公が1年の眠りから覚めた後の世界なので、「リアルアバター」というサービスが流行中という世界が妙なリアリティーを持っていました。それは、AR(拡張現実)グラスとVR(仮想現実)ゴーグルの合わせ技を使いながら、実際には生身の人間が働くという、SF映画やアニメーションのようなシュン!シュン!という音とともにすべてが処理されるといったスマートな世界ではなく、どこかのスタートアップの若者が作ったサービスかな、という仕組みだったからこそ、すぐ先の未来として、現実味がありました。また、一対一の連絡手段に、バーチャルリアリティーを使うのも、すぐ先の未来の感じがありました。その中の朔也のアバターがちょっと安っぽい印象なのですが、どのように表現すべきか迷っていたところ、「出来がよくない」という設定だということが分かったので、音声ガイドでは、「作りこまれていない見た目」と描写しました。ちょっぴり、朔也に申し訳ない気持ちになりましたが…。
混乱させる音声ガイドを書いてしまった反省
私が音声ガイド制作をお手伝いする際に、「モニター検討会」と呼ぶ、視覚障害のあるモニターさんと、映画製作陣(監督やプロデューサーなど映画の内容を把握している方)が立ち会って、原稿を確認する工程があります。今回、冒頭3分くらいのところで、原稿に大きな失敗があって混乱させてしまったところがありました。
シーンとしては、主人公・朔也が、工場の中で同僚と話していると、携帯電話に母から電話がかかってくる。そのため、電話を手にしながらその場を離れていく。映像としては朔也が背を向けたあたりで、カットが変わって、外の景色になります。
そこに、工場の遠景が映し出されるのですが、その映像が素晴らしくて、すぐに母の電話の声が入るのでほとんど隙間(すきま=尺と呼んでいます)がないところに、「工場の遠景」とガイドを入れていました。でも、その遠景は海を挟んだ向こう岸の工場の様子。工場の遠景とだけ入れたら、朔也がどこにいるのか、ということが消滅してしまう上に、そこに母の電話の声だけが聞こえてくる。そこに音声ガイド(私)が軌道修正のために「海を望む原っぱ」と母の電話の声の後に入れたため、母が原っぱにいるように聞こえてしまったり、とさまざまな混乱をさせてしまい、モニターさんの頭の中で映像の軌道修正に時間がかかってしまい、映画についていけなくさせてしまいました。「工場の遠景」と一言入れたところで、その映像の素晴らしさが伝わるわけもないのに、変にこだわってしまった故の失敗でしたので、反省しています。
<最初の原稿>
朔也がスマホを見る。岸谷が様子をうかがう。
その場を離れる朔也、イヤーピースをつける。
工場の遠景。
(母のセリフ)
海を望む原っぱ。
<修正後の原稿>
朔也がスマホを見る。
その場を離れ、ワイヤレスのイヤーピースをつける。
工場の外。
(母のセリフ)
朔也が歩きながら聞く。
※「イヤーピース」が台本からのワードなのでイヤホンと言い換えたくなかったため、初出のここでワイヤレスの、という言葉も付け加えることにしました。
工場の遠景を、工場の外、と最初に伝えるべき情報に置き換えただけの、とても細かい修正に思われるかもしれませんが、流れを断ってしまうと映画を台無しにしてしまうといういい例(悪い例?)でした。
もう一つ、反省ガイドがありました。映画の初見の時より、2回目の鑑賞の際に、ぐっときたというシーンがありました。なのでしっかり作っておかないといけないのに、そのシーンのガイドも、使った言葉が悪く、モニターさんにはちゃんとイメージしてもらえなかったということがありました。
<最初の原稿>
朝。青いビーズカーテンの向こうにダイニング。
壁際に母の遺影が置かれた低い棚。
食卓の壁向きの椅子に朔也。
パンを食べている。
ここで絶対に伝えないといけないのは、朔也が遺影が見える席に座って朝食を食べているという点です。けれど、このガイドだと、目の前に壁があるようにイメージしてしまったという意見をいただきました。確かにそうです。まどろっこしい。あるまじきガイドにしてしまっていました。反省しつつ、書き直しました。
<修正版>
朝。青いビーズカーテンの向こうにダイニング。
壁際の低い棚に母の遺影が置かれている。
食卓に朔也。棚に向いた席でパンを食べている。
そもそも最初の原稿では、「棚」にフォーカスが当たっていたのもよくなかったですね。またまた反省。ただ、この後に、朔也の想像で、向かい側の生前の母の定席に母が座っていて、ほほ笑みを交わすというシーンがあります。つまり、ゴーグルを手に入れる前から、そこに母を見ながら食事をしていた朔也がいることに改めて気が付いたのです。未来に来る技術発展を拒否する気はありませんが、人間本来の持っている感受性のようなものを見失いたくないと感じるシーンでした。
朔也と登場人物の会話からこちらに流れ込む本心
一つ、おもしろいなと感じたのは、朔也が登場人物たち、つまり、幼なじみの岸谷、VF制作者の野崎、母の生前の友人である三好、アバタークリエーターのイフィー、リアルアバターの客たちとの会話の中で、こちらの胸に去来するもやもやのようなものがあります。そのもやもやこそが、朔也の本心とリンクしているかもしれないと思ったという点でした。朔也は口下手なので、すらすらおしゃべりして、ましてや本心をさらけ出すというタイプではなく、かと言って、モノローグで本心を語るというようなこともなく、表情だったり、言葉が継げない間(ま)だったりが、朔也の本心を物語っていたと感じます。
AIに心はあるのでしょうか
音声ガイド制作の際、どうしても小さな画面で見ているので(という言い訳ですが)、映像の見落としがあったりするのですが、それを防ぐためにも、伴走してくれるサブ制作者がいます。その方に指摘されて、その重要さに慌てて書き直したのが、ラストの母の涙です。野崎のところで出会うVF、綾野剛演じる中尾に、朔也は「心はあるんでしょうか?」と質問をしました。それに対して、中尾があっさりと「ありません」と答えます。そうだよなーと納得しながらも、そもそも人間の「心」というもの自体が曖昧なもの。身体のパーツでもなければ、臓器でもない。どうやって出来上がっているのかの曖昧さを考えたら、AIに心がないと言い切るのは難しいのかも、と思いました。それが、ラストの母のこぼす涙に表れていた気がします。拾いきれていなかった分、通し試写でスクリーンで拝見して、演じていらっしゃる田中裕子さんのお芝居の素晴らしさに身震いするようなシーンでした。音声ガイドもちゃんと修正してありますので、皆さんがどう感じられるか聞いてみたいです。
この作品を見る前は、VFがあればリッチな暮らしができるという漠然としたイメージを持っていました。なので、朔也のようなタイプにはうまくハンドルできないのでは?と思っていましたし、朔也自身もVFを作ったことを多少なりとも後悔しているような節が見られました。けれど、最終的には作ったからこそ得るものがあったので、良かったなと思えました。私自身は、音声ガイド制作中、もし、VF作っていいよとなったら誰のを作ろうかな、という思考で、電車の中などの空き時間を楽しめたので、見終わった方たちにも聞いてみたいです。