国際交流基金が選んだ世界の映画7人の1人である洪氏。海外で日本映画の普及に精力的に活動している同氏に、「芸術性と商業性が調和した世界中の新しい日本映画」のために、日本の映画界が取り組むべき行動を提案してもらいます。
2023.12.24
ビムㆍベンダース監督を知れば「PERFECT DAYS」はもっと濃密になる
いわゆる「シネフィル」を自任する人間として、筆者が初めて接したヨーロッパ映画がヌーベルバーグではなく、ニューㆍジャーマンㆍシネマだった理由は極めて簡単である。ベルリン自由大学で「マルキㆍドㆍサドの演出のもとシャラントン精神病院患者たちによって演じられたジャン=ポールㆍマラーの迫害と暗殺(Marat/Sade)」の脚本家・ペーターㆍバイスに関する論文で博士号を取得し、ドイツで評論家として活動し、第46回ベルリン国際映画祭と第34回シカゴ国際映画祭で審査員を務めた叔父の影響だった。映画は好きだが、それを「読む」ことに対する概念がなかった筆者にとって、演劇ㆍ映画を包括する当代ヨーロッパの芸術史的傾向や観点を自己化していた叔父への師事は、祝福のようなものだった。
過去作からひもとく、ビムㆍベンダース監督のルーツ
その頃、もちろん「不安は魂を食いつくす(不安と魂)」のライナーㆍベルナーㆍファスビンダーや「ブリキの太鼓」のフォルカーㆍシュレンドルフなどの映画作家にも畏敬(いけい)の念を抱いていたが、青少年期をアメリカで過ごした筆者を魅了した人は他にいた。アメリカ旅行中に初めて接したインスタントカメラからインスピレーションを受けた「都会のアリス」、アメリカの写真家ウォーカーㆍエバンスの作品から視覚的なイメージを引き出したロードムービーの「さすらい」 、アメリカの作家パトリシアㆍハイスミスの小説を映画化し、「ニューㆍジャーマンㆍシネマとハリウッド映画をうまく結合させた」と評価された「アメリカの友人」など、第二次世界大戦後、アメリカ文化に浸ったドイツ人としてアイデンティティーを問う映画を作ったビムㆍベンダースだった。
ミュンヘンテレビㆍ映画大学で映画を勉強しながらベンダースが悩んだのは、映画表象の問題であった。当時、彼が書いた文章や映画にはイメージの力、ストーリーテリングの難しさ、知覚の変化をめぐる考察が行われている。初期短編映画の「シャウプレッツェ」と「セイムㆍプレイヤーㆍシューツㆍアゲイン」で彼はイメージの停止や運動を実験し、初長編映画の「都市の夏」から今までナラティブが繊細なイメージを圧倒することを止揚し、物語と映像の間の緊張を保ってきた。1987年、そんな彼が海外での活動をやめ、変化への希望と未来への不安が共存していたベルリンに帰る。破片化したナラティブをポストモダンの映像文法で見せるとともに、時間と空間、歴史とアイデンティティー、欲望と実践を描いた「ベルリン・天使の詩」を作るためだった。同作は彼にカンヌ国際映画祭監督賞の栄誉を与えた。
主演・役所広司と音楽が「PERFECT DAYS」の世界を繊細に紡ぐ
12月22日に公開される「PERFECT DAYS」は、ベンダースが「ベルリン・天使の詩」を撮る2年前に「東京画」で錨(いかり)を上げた「アナザーㆍシネマティックㆍジャーニー」の起着点である。小津安二郎への憧れから始まった歩みで、東京は彼に監督人生の最高の瞬間を迎えさせてくれたベルリンに続き、アーティストとしての新地平に到達する都市として位置づけられる。「ベルリン・天使の詩」の後、彼はファッションデザイナー山本耀司に関するドキュメンタリー「都市とモードのビデオノート」を発表し、写真展「尾道への旅」を開いた。そして、2014年にはドキュメンタリー「セバスチャンㆍサルガド/地球へのラブレター」で、第67回カンヌ国際映画祭の「ある視点」部門特別賞を受賞し、ドキュメンタリーのキャリアの頂点に達する。アートハウスのフィルムメーカーとしてのアイデンティティーを改めて固めることで、ハリウッドの商業的基準から自由になったのだ。
その芸術的歩みの延長線上で生まれた「PERFECT DAYS」の主人公(役所広司、小津安二郎の作品に繰り返し使われていた「平山」という名前)は、まるで「ベルリン・天使の詩」で人間の道を選んだ天使ダミエル(ブルーノㆍガンツ)を思い出させる。無口だがいつもほほえみながら毎日の生活を誠実に過ごし、小木の一本も何気なくやり過ごさない温かい心性。何より無邪気な表情は天使のようだ。ここで「職人意識」が体現されている働き方は、「もしかしてノンイベント映画のように見えるのではないか」と思っていた日常の描写にさまざまな注目すべきポイントを作り出す。おそらく「handwerkliches Geschick(職人芸)」を体質的に理解している監督ならではの演出だろう。ここに加わるのが音楽映画のマスターピース「ブエナㆍビスタㆍソシアルㆍクラブ」の監督ならではのサウンドトラック。実に「ぜいたく」としか表現できない。
より深い映画体験を与えてくれる、緻密な〝日常〟の表現力
また、「PERFECT DAYS」の完成度を高めているのは、ベンダースが小津安二郎の住んでいた街であり、ファッションデザイナー山本耀司と出会った「東京」での日常の究極の愛情と美感が込められた映画的再現。人間としての人生の全ての瞬間を大切に感じ、記憶しようとするダミエルのように、人情あふれる居酒屋や素朴な町のパブ、穏やかな感じの古いけどきれいな銭湯、おもしろい口調であいさつをしてくる店主のいる本屋、朝夕に走る首都高は我々がよく知っていると思っていたが、実はそれは錯覚に過ぎなかったことを示す映画体験を提供している。ただし、平山はこの全ての感じをダミエルのように詩語で並べず、意外性がむしろ生命力を感じさせる画像をフィルムカメラで撮ることを繰り返すことで客席の皆を完璧すぎる「パーフェクトデー」に招く。そして映画のエンディング曲が流れる頃には、不思議な感情で涙を流す我々がいる。
映画を見た後、すでに夕食を食べた後なのに、どこかお店に寄ってとんかつを食べたくなった。その原形はフランス料理のコートレットだといわれるが、今や言うまでもない立派な日本料理。まるで世界の巨匠に第二の映画人生に導いた日本文化の包容力を連想させるものではないか。世界のいいものを幅広く受け入れ、新しい何かに再創造させるこのような底力は日本映画にもあるのだ。「PERFECT DAYS」はビムㆍベンダースのもうひとつのデビュー作と言えるはず。ためらっている時間はない。早く劇場に向かって走らなければ。