国際交流基金が選んだ世界の映画7人の1人である洪氏。海外で日本映画の普及に精力的に活動している同氏に、「芸術性と商業性が調和した世界中の新しい日本映画」のために、日本の映画界が取り組むべき行動を提案してもらいます。
「少年と犬」©2025映画「少年と犬」製作委員会
2025.3.26
失ったと思っていた幸せを取り戻す旅「少年と犬」 現実とファンタジーの境界さえ越える多聞の〝プレゼント〟
漫画ファンでなくても、「イカゲーム」の配信シリーズを見て「賭博黙示録カイジ」が思い浮かばない人はいないと思う。限られた空間で繰り広げられる命がけの賭け、その中での泥仕合。非現実的であるが、没入してしまうストーリー。このように「新しくない」コンテンツが世界的に人気を得た理由は何だろうか。
筆者としては主人公を巡る背景のディテールを挙げたい。主人公は競馬などで負けて借金がかさみ暴力団に追われる。元々は平凡な自動車工場の労働者だったが、リストラで仕事を失ってしまったのだ。一緒にゲームに参加する後輩も同様。エリートサラリーマンだったが、先物投資の失敗で6億円の借金を負う。リスクを深刻に考えていなかったという問題はあったとしても、一獲千金の夢がまん延した時代の風潮なのだ。
普遍的な共感を引き出す仕掛け
もう少し深く考えてみよう。彼らの現実はただ韓国だけのものなのか。いや、違う。ここで筆者が指摘したいのは、1990年代以降アメリカとイギリスを筆頭に展開された産業構造の変化である。製造業の代わりに金融業中心に産業が再編成され、本格的な金融資本主義の時代が幕を上げた。優秀な人材のほとんどが統計学を基盤とする金融工学に熱狂し、ウォール街に進出するようになったのが時代の風潮なのだ。新自由主義の台頭、ほかならぬ金融市場のグローバル化であろう。
演出だけでなく、シナリオも書いた監督の黃東赫(ファンㆍドンヒョク)は、自分の青年期に体感したこの現実を「イカゲーム」に盛り込み、普遍的な共感を引き出した。社会派の感覚を観客にメッセージそのものではなく、観客に身近に感じてもらうための要素として仕掛けた手法。
瀬々敬久の「必勝の手法」
しかし、筆者が思うに現在公開中の「少年と犬」の監督・瀬々敬久は、この手法で黃東赫の「先輩」にあたり、深さにおいてはむしろ一枚上手である。もちろん、近作で東京国際映画祭のオープニング作品として評論家と観客の両方に称賛された「ラーゲリより愛を込めて」のような時代劇もあるが。基本的には粘り強く自分の映画世界で表現しているのは、「失われた30年の日本社会」のさまざまな社会的イシューに背を向けず、今を語る共感のストーリーテリングの手法だ。
2018年のキネマ旬報ベストㆍテン8位に輝く「友罪」は日雇い労働者が主人公であり、釜山国際映画祭で評価された「楽園」では厳しい社会的環境での外国人嫌悪(筆者が見るには、これも新自由主義化の悪影響のひとつ。中産階級が崩壊したのは移民のせいだというイメージ)が葛藤の中心にある。 同じ「社会派ミステリー」として釜山国際映画祭で再び評価された「護られなかった者たちへ」には、東日本大震災の被災者の悲しみがある。さらに、佐藤浩市と横浜流星がバーディーで演じたボクシング映画「春に散る」では、地方消滅と超高齢化問題が登場する。このように観客の涙腺を肌感覚で刺激してきた瀬々敬久の「必勝の手法」が、「意外と」(この強調に注目していただければ大変ありがたい)頂点を極めたのが「少年と犬」である。
幸せとは最も距離がある登場人物
まず「意外と」という表現を使ったのは、安逸だった筆者の鑑賞前の態度に対する反省の意味だ。「少年と犬」というタイトルを聞いた時、筆者が連想したのはアメリカCBSのドラマ「名犬ラッシー」だった。エリックㆍナイトの小説「名犬ラッシー」は1943年10代のエリザベスㆍテイラーが出演したフレッドㆍMㆍウィルコックス監督の「名犬ラッシー 家路」をはじめとして欧米で人気を博し、数多くのドラマや映画が製作された。しかし「少年と犬」が製作され公開される場所は、世界文化遺産といっても過言ではないテレビアニメ「フランダースの犬」や実在の犬としてラッシーを凌駕(りょうが)する存在であるハチ公の国なのだ。「子供の頃に戻った気分で悠々と映画を楽しめばいいだろう」という思いで映画館の席に座った。しかし、このような筆者の怠慢な姿勢は、「少年」との懸け橋となる和正が危険な裏仕事をあっせんされるシーンから始まり、初っぱなから裏切られる。
確かに「忠犬の大切な少年のもとへの帰路」という一文で要約されるシノプシスでありながらも、その深さとスケール、そして感動を醸し出す仕組みが全く異なるのだ。タイトルからしてただただ幸せそうな同作には、幸せとは最も距離がある人々が登場する。父が倒れ収入の柱を失った経済状況に東日本大震災まで加わり姉と2人で認知症の母親を支える和正は窃盗団のドライバーになる。ヒロインの美羽と犬ㆍ多聞との出会いは犯罪の現場だ。多聞にとって「たった一人の大切な人」である少年ㆍ光は、東日本大震災以降言葉を失った状態である。
意外性の魅力に満ちた幸せを取り戻す旅
しかし驚くべきことは、そのように深い闇の中にいる人々にとって多聞の慰めが何よりも大事で、 幸せとは最も距離がありそうな人々が失ったと思っていた幸せを取り戻す旅が続く。意外性の魅力に満ちた癒やしの物語だ。認知症から普通の日々に戻ったように感じられる母親との散歩、震災が起こる前の平和な幼少期に戻って犬を抱きしめ、さらには晴れた日のピクニックまで、時には現実とファンタジーの境界さえ越える多聞の「プレゼント」はささいなことだが、普段はその大切さを忘れがちなものばかりで、あまりにも涙ぐましい。そして、「ひとつだけでもいいから、いいことをしたい」という和正のセリフを改めて思い出す頃には、かばんの中のハンカチを探している自分に気づく。
タイトルやイメージだけで劇場に来てまさにその感動を望んでいた観客であれ、あるいはそれ以上の「サムシングㆍニュー」を望む観客であれ、誰にも満足できる感動や心の響きを与える「日本の映画監督・瀬々敬久」ならではの会心の力作なのである。