美術賞を受賞した今村力(右)と新田隆之両氏=幾島健太郎撮影

美術賞を受賞した今村力(右)と新田隆之両氏=幾島健太郎撮影

2023.2.05

キルケゴールから始まった「死刑にいたる病」のセットデザイン 美術賞 今村力、新田隆之:第77回毎日映画コンクール

毎日映画コンクールは、1年間の優れた映画、活躍した映画人を広く顕彰する映画賞。終戦間もなく始まり、映画界を応援し続けている。第77回の受賞作・者が決まった。

勝田友巳

勝田友巳

「死刑にいたる病」で阿部サダヲ演じたサイコパス、榛村が恐ろしかったのは、演技や脚本もさることながら、榛村がいた空間によるところも大きい。第77回毎日映画コンクール美術賞の2人、今村力と新田隆之の仕事である。
 


 
白石和彌監督と長く組んできた今村が体調を崩し、旧知の新田と共同で担当することになった。今村の構想を、新田が形にするという役割分担。今村は「相談しながら、まとめていく。スタジオではデザイン通りに仕込めるけれど、ロケセットは匂いとか空気感とか、現場で測るしかない。そこは新田さんに助けられました」。
 

教会と墓地 哲学者の名前がヒント

選考会では、美術が映画の立役者だったと高く評価された。死刑判決が確定した連続殺人犯の榛村が、大学生の雅也を操って自身の冤罪(えんざい)を証明させようとする。映画のトーンを決めたのは、榛村が誘拐した少年たちを拷問する小屋のロケセットと、拘置所の面会室だ。
 
担当することになって今村が思いついたのは、19世紀の哲学者、キルケゴールだった。「タイトルはキルケゴールの著書『死にいたる病』の引用だと分かったから、そのおさらいからスタート。調べると、キルケゴールの名前は教会や墓地と関連がある。ピッタリくるなと思った」
 
「お客さんの引きつけ方として、どれだけハイブローなシャシンにするかを考えた。怖いもの、恐ろしいものより、高級かなと思わせる。そうマジックをかけたら、心して見るんじゃないかなと」
 

©2022 映画「死刑にいたる病」製作委員会

ロケ地が完璧 発想の助けに

榛村の家は森に囲まれた郊外にあり、少し離れてレンガ造りの燻製小屋が建っている。榛村はここで被害者を切り刻んで殺害し、遺体を燃やしてその灰を道沿いに埋め、埋めた場所に木を植えた。被害者の数だけ、並木のように木が並んでいる。
 
「まず、場所が良かった」と2人。栃木県日光市にロケ地を見つけ、ロケセットを組んだ。「家のそばに水路があって。スタジオに作り込んだらこうはならない」
 
今村の力が入った。「薫製小屋はフォルムがポンと出てきた。レンガ造りの、ヨーロッパ風の古くて暗い森の中にある。そこからの連想で、榛村はクラシック好き、暖炉もなきゃ。人里離れた雰囲気で、死と生の匂いが点在する感じを表現できればいいかなと」
 

榛村が植えるのは糸杉でなければならなかった

気がついたろうか。榛村が植えたのは糸杉だ。ここにも意味がある。「植える苗木は何にするか、考えました。桜の木の下には死体が埋まっている、とかね。でも糸杉だった」。映像的には形が良くて数えやすいし、遠近感を強調できる。しかし、真意はやはりキルケゴール。
 
「聖書に必ず出てくるでしょう。棺桶の材料だったそうだし、キリストの十字架が糸杉だったという記述も見つけた。糸杉しかない。キリスト教の呪術的な、ドイツや北欧の古い宗教の匂いが感じられる世界なんです」
 
「なぜ榛村のように人をいたぶりたがるのか、理由が分からない。そこはキルケゴールを借りて、日本の話だけど、暗くてジメッとした日本的情緒ではないところに持って行けた」。今村は自身のプランや意図をレポートにまとめ、白石監督に提出したそうだ。
 
そんなイメージを実現するのが、新田の仕事だった。「絵ができあがっていて、さあどうするかと」。薫製小屋は、犯行の発覚を恐れた榛村が火を付けて燃やすという展開だ。「燃やすなら、本物のレンガを積まなきゃいけない。でも実際にレンガを使ったら、お金も時間もかかる」。新田は「発泡スチロールのレンガでいく」と決断した。「本体には火を付けず、ガスを燃やしました」。今村は「レンガが崩れてからのシルエットが頭にあった」という。

 

面会室の仕切りをまたぐカメラ

そして拘置所の面会室。多くの場面は、仕切りを挟んで榛村と雅也が向き合い、切り返しで互いの表情を見せながら会話が進むという定番通りの見せ方。しかし事件の真相を巡って2人が対決するクライマックスで、面会室の中をカメラが動き回り、壁に榛村や雅也の回想が映像として投影される。揚げ句には、カメラが仕切りを越えて移動する。
 
新田は「最初に聞いたのは、カメラが仕切りをまたぎたい、2人の周りを回りたいということだった」と振り返る。「仕切りと壁が離れることになり、不自然さをなくすにはどうすればいいか考えた」。結局、壁を曲面にするという妙案をひねり出す。模型を作って入念にカメラテストを行った。
 
「曲面にしたことで、発想がひらけた。カメラも演出も縛りを解かれて、どれだけ面白いことができるか、みんなが研究し始めた。面会室の中を自由に回る映像はありえないから、そこでリアリズムが途切れる。とすれば、それに勝る映像ができなきゃだめだってことですよね」。今村は振り返った。面会室は映画にしばしば登場し、今村はこれまでも工夫を凝らしてきた。しかし今回は「前代未聞ですよ。見たことのない映像になりました」と自信作である。
 

「怖い映画はきらいだけど」

今村は1964年、松竹大船撮影所に入社。数年で東映に移籍し、「野獣死すべし」(80年)、「いつかギラギラする日」(92年)など、斬新な発想のセットで名をはせた。85年「それから」「魔の刻」「夜叉」で毎日映コン美術賞を受賞している。
 
白石監督とは、デビュー作「ロストパラダイス・イン・トーキョー」(10年)で、プロデューサーから「新人の自主映画の面倒を見てくれ」と頼まれたのが始まり。「5日ぐらいの撮影で、ボランティア」と笑う。2作目の「凶悪」でも頼まれ、以来白石組になくてはならない存在だ。「白石監督は才能ある監督だけど、台本を読んで、やだなあと思うんですよ」と冗談めかして話す。
 
「怖い映画はきらいで。今回も拷問の場面とか、視覚化するのは堪えられない。けど、またやるんだろうな、ひどいことになるなと思ってた。ホラーがきらいだからできるのかもしれないですよ。どうやったら目を背けたくなるかって考えるから」「それにあんな映画ばっかり作ってるから、白石さんは怖い人だと思われてるでしょ、こっちまで同じように思われる」。そんな軽口も、信頼関係の証だろう。
 

「映像は〝再現〟ではなく〝表現〟。攻める美術、教わった」

一方の新田は、美術デザイナーとして「赤い月」(04年)、「アンダードッグ」(20年)「噓八百」シリーズなどを手がけてきた。東映大泉撮影所での仕事が多く、今村とは長い知り合いだ。ただ、美術監督として組むのは今回が初めて。今村を「考え方が普通じゃない」と評する。今回の仕事で「映像は〝再現〟ではなく〝表現〟と再確認した」という。
 
「美術部は、潜水艦でも法廷でも、調べて実際に見に行って、本物はこうだと再現する。でも、ただ再現しても面白くない。そこで何を表現するか。演出や技術パートを含めて、どういう作品に仕上げるかを発想するべきなんです。本物は知ってなきゃいけないけど、そこにとどまる必要はない」
 
日本映画の厳しい製作環境で、美術費は削減対象になりやすい。「予算にはめることばかり考えるようになって、いやになることもある」という現状だが、今村の仕事ぶりに感心した。
 
「画面に映るのはカメラを通した映像だから、美術は映す部分だけ作ればいい。今村さんは、これだけで大丈夫なのかと不安になるぐらい攻めてましたが、ちゃんと成立しちゃう。表現できるんだと教わった」
 
「新しい映像テクニックにチャレンジした作品だった。手が込んでいるわけではないが、ギュッと詰まっている。美術の刺激になったと思う。よく評価してくれました」と受賞を喜ぶ2人である。


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ライター
勝田友巳

勝田友巳

かつた・ともみ ひとシネマ編集長、毎日新聞学芸部専門記者。1965年生まれ。90年毎日新聞入社。学芸部で映画を担当し、毎日新聞で「シネマの週末」「映画のミカタ」、週刊エコノミストで「アートな時間」などを執筆。

カメラマン
ひとしねま

幾島健太郎

毎日新聞写真部カメラマン