「はい、泳げません」

「はい、泳げません」©2022「はい、泳げません」製作委員会

2022.6.09

この1本:「はい、泳げません」 体に委ねて素直になる

毎週公開される新作映画、どれを見るべきか? 見ざるべきか? 毎日新聞に執筆する記者、ライターが一刀両断。褒めてばかりではありません。時には愛あるダメ出しも。複数の筆者が、それぞれの視点から鋭く評します。筆者は、勝田友巳(勝)、高橋諭治(諭)、細谷美香(細)、鈴木隆(鈴)、山口久美子(久)、倉田陶子(倉)、渡辺浩(渡)、木村光則(光)、屋代尚則(屋)、坂本高志(坂)。

カナヅチの哲学者が、スイミングクラブの美人コーチと出会って人生を見つめ直す。長谷川博己と綾瀬はるかの顔合わせ、楽しそうなラブコメディーかな。と予想させ、そうはいかない。渡辺謙作監督、くせ球でコーナーを突いた。

水恐怖症の雄司(長谷川)が一念発起して水泳教室に通い始め、コーチの静香(綾瀬)に泳ぎを習う。滑り出しはシュールなギャグを配して、漫画調のコメディー風。雄司は静香の手ほどきを受けて、体の使い方、呼吸の仕方を体得し、みるみる泳ぎを覚えてゆく。スポーツとノウハウ映画の趣も加わり、軽快に進む。

ところが雄司には、幼い息子を亡くした過去がある。その心の傷は深く、普段は奥底にしまい込んでいるものの、彼の人生に重く居座っている。水の中で自分と向き合ううちにつらい記憶が浮かび上がり、雄司は喪失の苦しさと罪悪感を再体験することになる。

理屈っぽく頭でっかちの雄司と、考えるより体に委ねて素直になれと諭す静香の組み合わせは分かりやすい対比で、トラウマからの再生というモチーフもおなじみだ。しかしそれを、直線的で文学的なリアリズムでもなく、夢想的なファンタジーとも違う、独特の筆致で描いてゆく。

雄司が思いを寄せるのが、静香ではなくシングルマザーの奈美恵(阿部純子)だという小技をはじめ、静香のおかしな恐怖症や唐突な映像トリックなど、寄り道や凸凹が挟まれて、ともすれば映画が足を取られそうなものだが、この作品ではそのいびつさがかえって新鮮だ。複雑な軌道をたどったボールは、意外やど真ん中のストライクとなって、観客の胸を打つ。

「エミアビのはじまりとはじまり」など、風変わりな映画を作ってきた渡辺監督の、映像と語り口のセンスが、いい具合に熟成。心に残る佳品だ。原作は高橋秀実のエッセー。1時間53分。東京・TOHOシネマズ日比谷、大阪・TOHOシネマズ梅田ほか。(勝)

ここに注目

カウンセリングという言葉が何度も浮かんだ。元妻や先輩の大学教授がカウンセラーで、静香は水泳教室という相対する水と親しく、時に背中を押してくれる実践編のコーチ。愛情を注いでくれるシングルマザーもいる。教室のおばちゃん仲間は応援団。聞いてくれて、導くのはいい人ばかりだ。肩肘張らずに気持ちがよく、コメディータッチで明るい。理屈ばかりでかたくなだった最初の一歩を踏み出せそうな気がしてくる。映画はそこまでで十分。「そんなにうまくはいかない」と内心感じても、「あるかも」と思わせてくれるのだ。(鈴)

技あり

笠松則通撮影監督が安定感のあるルック(画像の外形)で撮った。特徴的なのは、大学内で同僚の教授と雄司が歩くサイズ変化の多い場面。後ろ姿から始まってあずまやで座り、子供の話をする雄司が「肩の力を抜いて生きてみたら」と言われる。引き形だがちょうどいいサイズ。また奈美恵の家でソファに雄司、奈美恵は畳に座る。高低差で不安定そうだが、何となく折り合いがつく。雄司が子供のことを打ち明けると「つらい事は思い出さなくていい」と言われる。長回しを狙った場面など、監督の要求に応えた画(え)を作る気迫を感じる。(渡)

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