誰になんと言われようと、好きなものは好き。作品、俳優、監督、スタッフ……。ファン、オタクを自認する執筆陣が、映画にまつわる「わたしの推し」と「ワタシのこと」を、熱量高くつづります。
2022.6.09
〝泳ぐ〟って前だけに進むこと。「はい、泳げません」が示す生き方のヒント
タイトルと序盤から、バツイチ中年男とスイミングスクール・コーチのラブ・コメかと思っていたら。――これは、主人公をめぐる小さなコミュニティーの中での喪失を抱えた人たちの再生物語だった。スイミングスクール版「ドライブ・マイ・カー」なのだ。
インタビュー:演じ手と作り手の〝ズレ〟が面白い映画を生んだ 長谷川博己「はい、泳げません」
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「泳げない」「泳ぎたい」そこには大きなワケがある
大学で哲学を教えている小鳥遊雄司(たかなし・ゆうじ、長谷川博己)は、ある日思い立ってスイミングスクールに通い始める。教壇での「知性とは自分を変えようとする意志。新しい経験を積むことが大切なんです」という、自分の言葉に鼓舞されたのか。
颯爽(さっそう)とした姿の男性が実は泳げない、というギャップ萌(も)え。いえいえ! 引いてしまうくらいに水が怖いのが小鳥遊という男。
プールを前に体を硬くして。
おなかが痛くなりトイレに駆け込む。
理屈をこねてなんとか水に入らないようにする。
水に顔をつけることすらとんでもなく怖くてできない。
「人は誰もみな胎児の時は母親の羊水の中にいたのだから」と言う薄原静香コーチ(綾瀬はるか)の至極真っ当な理屈が腑(ふ)に落ちプールに入るが、もうもうそれは大騒ぎ。
彼には子供の頃、親戚のおじさんに漁船から海にたたき落とされたトラウマがあったのだという。そのトラウマに楽しそうに突っ込む元嫁(この会話の時は別れていない?)の美弥子(麻生久美子)のなんと楽しそうな事か。
そんな彼が、なぜ今さら泳げるようになりたいのか?
実は彼には気になる存在、理容師でシングルマザーの奈美恵(阿部純子)がいる。そんな彼女の息子・順也が「夏に海に行こう」とせがむのだった。何としても泳げるようになりたい……!
静香コーチの叱咤(しった)激励のかいあって小鳥遊がだんだんと水に親しんでいくにつれ、彼の泳ぎたいという気持ちへの執着が、ちょっと違った方向なんじゃないかと分かってくる。
5年前に元嫁・美弥子との間に起こった、決して消えない後悔との向き合いが小鳥遊の心を千々に乱れさせていく。
一方、水の中では頼もしい静香コーチも陸に上がれば大きなトラウマを抱えて日常生活もままならないのだった。
愛すべき、不完全な登場人物たちのストーリー
この映画の登場人物はみんな、何かが欠けている。
小鳥遊も静香コーチも元嫁美弥子も、彼女の奈美恵も。
小鳥遊が泳げるようになることでそれぞれの欠けているものが埋められ、全てが前向きに、まるでオセロの角を全て押さえたように解決する。
それが分かっていながら、哲学者らしく言語化する理屈でしか動けない小鳥遊。もう、水底に沈んでしまいそうなくらいがんじがらめである。
そんなイライラさせる彼に手を差し伸べ救ってくれるのが静香コーチ。
自らトラウマを持つからこそ力強く、水の底から彼を助けあげてくれる。
もちろんこちらは生粋の体育会系。
そんな2人の関係はある意味バディー、ムービーでもあったのだ。
主題歌のLittle Glee Monsterの「magic!」が流れる頃には、僕自身にも前向きな気持ちがあふれるほど。
ホント、おススメです。
本日公開、ぜひとも劇場にてご覧ください。
追伸:スイミングスクールのクラスのあっけらかんとしたおばさまたちや大学生たち、悟ったような先輩教授も、それぞれ何かを抱えて生きているのかなあと思わせるほど意味深い作品でした。
望む!続編、静香コーチ主演「はい、泳げます」。
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